2009年10月5日月曜日

mainichi shasetsu 20091005

社説:臨界事故10年 終わりなき安全対策

 「ウラン溶液をバケツで容器に入れていたら青い光が見えた」。10年前の1999年9月30日、茨城県東海村で起きた臨界事故で、作業員が語った 言葉は衝撃的だった。核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所」は、違法な作業マニュアルを作り、そのマニュアルさえ逸脱した作業を続け ていた。

 原子力の「安全神話」が崩壊した前代未聞の事故をきっかけに、原子力の安全管理体制は強化された。しかし、安全対策に終わりはなく、改善を重ねる努力が欠かせない。

 たとえば、安全規制の体制はこのままでいいのか。事故後の01年、省庁再編で安全規制を担当する原子力安全・保安院が経済産業省に置かれた。経産省は基本的に原発推進の立場であり、その中に規制当局が存在する矛盾は解消されていない。

 原子力災害対策特別措置法も制定され、全国22カ所に緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)が設置された。だが、施設によっては内部の人が被ばくする恐れがある。新潟県中越沖地震の際には使われず、有効活用の体制に疑問もある。

 原子力事業者の意識や組織体質にも課題が残る。当時、JCOでは、作業員への安全教育がほとんど行われず、法律を守る意識も薄かった。「安全より 効率」の体質は、04年に5人の作業員が死亡した関西電力美浜原発の高温蒸気噴出事故、07年に複数の電力会社で発覚した事故隠しやデータ改ざんにもみら れた。規制が強化されても、組織体質が変わらなければ安全性は保てない。

 温暖化対策を念頭に二酸化炭素をほとんど出さない原発に注目する動きもある。しかし、中越沖地震で想定外の揺れに見舞われた柏崎刈羽原発は長期停止し、二酸化炭素の排出増加につながった。地震国日本はどこでも大きな地震が起きる可能性があり、原発頼みの対策は危険だ。

 原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して燃やす国策「核燃料サイクル」も先行きが不透明だ。青森県六ケ所村の再処理工場も、95年にナトリウム漏れ事故を起こした高速増殖炉「もんじゅ」も、トラブル続きで完成や運転再開が何度も延期されている。

 プルトニウムとウランの混合燃料を軽水炉で燃やす「プルサーマル」計画も遅れ続けた。九州電力玄海原発3号機で初の導入が予定されているものの、延期の請願などを審議している佐賀県議会の要求で、燃料取り付けが延期された。

 連立政権では、「原子力利用に着実に取り組む」民主党と、「脱原発」の社民党で立場が異なる。しかし、民主党も「安全」「国民の理解と信頼」は大前提だ。臨界事故の教訓を今後も風化させてはいけない。

毎日新聞 2009年10月5日 0時08分




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