2009年10月28日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2009年10月26日

『自壊する帝国』 佐藤優 (新潮文庫)

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 佐藤優氏は1987年にロシア語研修のためにモスクワ大学言語学部に留学し、翌1988年からそのまま1995年まで8年間もモスクワに在勤する。通例、外務省の在外勤務は4年間だが、1989年にソ連が崩壊し、著者がつくりあげた人脈が必要とされた結果だろう。

 クレムリン内部だけでなく、独立派にまで人脈をもっていた著者が現場で目撃したソ連崩壊のドキュメントというだけでも重要だが、著者はソ連崩壊の ような歴史的事件になると政治学や経済学では間にあわず、哲学や神学のレベルで受けとめる必要があると書いているが、本書でも思想の問題としてソ連崩壊を 考えようとしている。自己の経験を思想レベルに昇華しようという努力が本書の美質となっている。

 著者がソ連=ロシアと係わるようになったのも神学がらみだった。著者は学部と大学院を通じて「プラハの春」の理論的指導者だったチェコの神学者、 ヨゼフ・ルクル・フロマートカを研究するが、チェコ留学は困難だったので外務省に入省してチェコ語の現地研修を受けることを思いつく。ところが東欧研究か ら転じた外務省入省者には語学研修を終えるとやめてしまう者がすくなくなかったので、外務省は食い逃げを警戒して、著者をソ連課に配属しロシア語の研修を 命じる。

 著者はまず英国陸軍語学学校でロシア語の基本を学ぶが、ここで重要な出会いがある。ロンドンでチェコ語専門書店「インタープレス」を経営する亡命チェコ人ズデニェク・マストニークの知遇をえたのだ。

 マストニークは単なる本屋のおやじではなかった。チェコでは発禁の反体制派の出版を手がけ、チェコのみならず東欧やソ連の反体制知識人に人脈をも ち、情報活動にもかかわっていた。著者はマストニークからソ連東欧の知識人とのつきあい方を学んだだけでなく、情報活動のイロハを伝授される。著者が短期 間で広い人脈を築くことができたのはマストニークの教えを受けたことが大きいだろう。

 その後、モスクワ大学言語学部で研修を受けることになるが、ソ連時代は西側の外交官に語学力をつけさせないために、教室でフリートークを装ったつるし上げをして学校に来るのが嫌になるように仕向けていたという。

 著者もつるし上げに嫌気がさして言語学部の授業にはいかなくなるが、代わりに哲学部の無神論学科の聴講を申しこみ、ここでソ連社会の裏側に通じる入口を発見する。

 著者が神学部を選んだのは無神論を研究するためだった。だが、ミイラ取りがミイラになってクリスチャンになったが、もともとの興味が無神論だったので無神論学科の門をたたいたのは自然のなりゆきといえよう。

 ところが、モスクワ大学の無神論学科の無神論は建前だけで、実態は宗教哲学の研究拠点だった(ソ連崩壊後は「宗教哲学科」と改称)。そこには19 世紀ロシア文学から抜けだしてきたようなロシア・インテリゲンチャの生き残りが集まり、構造主義のような西欧の最新の思想もリアルタイムで研究されてい た。もちろん、神学も構造主義もソ連では禁じられた思想だが、論文の最初と最後にマルクス・レーニンを引用して教条的な批判をやっておけば、真ん中の部分 に研究成果を書きこむことはお目こぼしされていたのである。

 無神論学科のような危険な学科が許されていたのは共産党内部にロシアの知の伝統を守ろうという知識人がいたからである。

 ソ連では知識人は警戒されていた。ボルシェビキの初期の幹部はレーニンも含めて錚々たる知識人だったが、彼らはスターリン時代にほとんど粛清され てしまった。大学出のインテリは党官僚にはなれても、政治家にはしないというのが暗黙の了解だった。大学出でソ連共産党書記長になったのはゴルバチョフだ けだった。

 インテリゲンチャは少数派で警戒される存在だったからこそ、知を尊重する 者どうし互いに助けあった。著者は無神論学科のインテリゲンチャの信頼 を勝ちえることで、ソ連社会の裏側に張りめぐらされたインテリゲンチャのネットワークに乗ることができた。クレムリンの内部からバルト三国の独立派まで、 幅広い交友をもつことができたのはそのためだし、八月クーデタの際のゴルバチョフ生存情報という最重要の情報をつかむことができたのもインテリゲンチャど うしの信頼があってこそだった。著者は生存情報を教えてくれた元ロシア共産党最高幹部のイリインにこう問いかける。

「あんな重要な秘密を、僕みたいな西側の、それも下っ端の外交官に教えてくれた理由はなんですか。」
「人間は生き死にに関わる状況になると誰かに本当のことを伝えておきたくなるんだよ。真実を伝えたいという欲望なんだ。」

 日本は良くも悪くも大衆社会なので知識人っぽい人はいても、階級としての知識人は存在しないが、ソ連時代を経てもロシアには厳然と存在していたわ けだ。  思想やインテリゲンチャの問題を別にしても、本書には現地を知った人だけが書ける貴重な知見にあふれている。ソ連崩壊後、雨後の筍のように誕生したおび ただしい民主派政党のあきれた内情や、過激な反ユダヤ主義者ということになっているジリノフスキーは実はプロレスの悪役のようなものだとか、実に面白い。

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