2011年1月31日月曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年01月31日

『ワインが語るフランスの歴史』山本博(白水Uブックス)

ワインが語るフランスの歴史 →bookwebで購入

「ワイングラスの中に見える世界」

 パリでワインクラブを主宰して15年ほどになる。その間かなり多くのワインを飲んできたが、まだまだ飽きは来ないし、ワインの世界のほんの一部分を垣間 見ただけに過ぎない。ただ言えることは、ワインはあくまでも地酒であり、作られた土地や生産者と密接に結びついているということだ。その意味でワインは間 違いなく一つの文化であり、それを通して一つの文明を見ることも可能なようだ。

 山本博は、少々ワインの勉強をしたことがある人ならば、誰でも知っているワインの世界の大家だ。種々の著書があるが、この『ワインが語るフランス の歴史』は面白い。友人や大切な人に少々ワインの薀蓄を披露したい人や、固い歴史書を読むのは疲れるがワインは大好きという人に、役立つ事間違いなしだ。

 例えば、有名な白ワインシャブリ(Chablis)には、はるか昔渡船場があり、船を操作する綱をケルト語でshableと呼び、それがローマ時 代にcableiaとなり、村名となったそうである。またシャブリと生牡蠣が合うと言われるが、「ほんとうはグラン・クリュものになると生牡蠣には合わな い。」と説明する。これは私も試した事があるが、確かに生牡蠣の強烈な風味には、せいぜい村名シャブリか若い一級くらいまでが合う。

 ワインは「ボルドーに始まってブルゴーニュに終わる」などと言われるが、ブルゴーニュ(Bourgogne)の語源は、かつて北欧から移住しこの 地方を支配していたブルグント族(Burgund)であるという。確かに英語でバーガンディ(Burgundy)と言うのが頷ける。もともと違う国なのだ から当然だが、今でもBourgogneのワインショップには余りBordeauxワインは置いていないし、Bordeauxでは逆のことが起こる。やは り「地酒」である。

 ボルドーがかつて英国領であった時に、ワインを積んだ「英国むけの船を襲う海賊を退治するために編成された護送船団」が後の「大英帝国海軍(ロイ ヤルネイヴィ)」であったとか、ロバート・パーカーのお陰で再発見され有名になった「シャトーヌフ・デュ・パップ(教皇の新城館)」はクレメンス六世がオ ランジュの傍に別荘を作った事から始まったなどという逸話は有名だ。

 だが、ポンパドゥール夫人が「飲んで女性の美しさを損なわないのは、シャンパンだけです!」と言ったのは知らなかった。シャンパンを含めた泡物好 きには嬉しい言葉だ。シャンパンは最近日本でも価格が下がったようだが、それでもドン・ぺリニョンやクリュッグの普通のキュヴェで一万円程度はするだろ う。中々手が出ないかもしれないが、山本は「人生のなにか大切な時に、少しくらい値が高くても、思いきって、優れたシャンパンのひと壜を—自分のために— おごってみたらどうだろうか?」と言う。

 この程度は誰でも言えるのかも知れない。しかし、次に「必ず、人生は決して捨てたものではないという気持ちになれるはずである。」と断言するので ある。さらに甘口ワインの最高峰であり、やはり高価であるシャトー・ディケムの項では「ソーテルヌのような名ワインは人類が創りあげた一種の歴史的文化的 所産である。こうした文化財といえるものは、次の世代に残してやるのがわれわれの義務であろう。それは一壜でも一グラスでも、多く飲んでやればよいという 楽しい義務である。」とのたまう。こうなるとワインに対する理解と愛情が達人の域と言う他ない。我々の財布の紐がゆるみそうだが。

 他にもワインにまつわる楽しい話が満載だ。自分の好きなワインを飲みながら、のんびりとこういった本を読むのは楽しい。グラスの中に色々な世界が見えてくるかもしれない。


→bookwebで購入

kinokuniya shohyo 書評

2011年01月30日

『私語り樋口一葉』西川祐子(岩波現代文庫)

私語り樋口一葉 →bookwebで購入

 明治二十九年の夏、本郷丸山福山町の崖下の家で、病床にある一葉がおもいめぐらすさまざま。樋口家の来歴、いく度も住みかえた家、歌塾・萩の舎での日 々、兄と父の死、母と妹との困窮生活、小説の師・半井桃水、龍泉町での商売……。一葉の遺した日記のほか、後世の研究者によって明らかにされた伝記的事実 にもとづき、一人称によって書かれた評伝である。これに、ふたつの一葉小論が併録されている。そのうちのひとつ、評伝の創作ノートともいうべき「性別のあ るテクスト 一葉と読者」のなかで、著者は一葉の文体についてこう書いた。
 (……)女ことばは曖昧表現の他にさまざまな規制と規範をもっていた。樋口一葉は物言いの女ことば、書きことばの女文の規範を まもりつつ小説を書いた。しかも一葉は(……)自分自身は当時の女の規範をずれたすねものと決めていた。斎藤緑雨や後の和田芳恵は一葉の屈折した表現や韜 晦癖にひかれ、規範的な女文の行間を読もうとした。妻、母の資格で語るのではない一葉が自分自身で埋めなければならない空白の意識は、近代文学が追究する 自我の中でも、もってもラディカルな性質を帯びることが予想されたからではなかろうか。
 一葉の場合、女ことばで書くとは、自然な、無意識の行為では全くなかった。(……)一葉は意識的な文章を苦労しながら書いた。歌の題詠と規範的文章の書き方を教え、文を書くことによって、それだけで食べてゆかねばならないプロフェッショナルだったからである。

 評伝のなかで、小説の師となる半井桃水の家をはじめて訪れた時のことを後に、「まるで御殿女中のようにしずしずとおでましになって、物を言うにも 遊ばせづくし、ほんとに困りました」と言われたことを一葉は回想している。かねての望みであった小説家への道を開いてくれるかも知れない人物との初対面、 一葉はどれほど必死であったことか。
 一方で、創作については、女性の書いた女のせりふは乱暴で女らしくないと意見される。女形は現実の女よりいっそう女らしいではないかという桃水のことば は、一葉の心に残った。一葉が、女性を語り手とするのにふさわしい文章、現実の女より女らしい、関礼子が「女装文体」と呼んだ(『姉の力』筑摩書房、93 年)書き方を採用したのはそのためである。
 しかし、この評伝での私語り、死の床で喘ぐ一葉の「頭に通り過ぎてゆく言葉の列」には性別がない。ここでの一葉はすでに日記を書くこともままならないのだ。苦しまぎれに帳面に書きつけた一行は、「病人でも夏は暑い」。

 (……)あれは雅文でも新聞体でもない、言文一致体をも越えている。何もかも削ぎとった無愛想な文章。私が一度も書いたこと、 読んだことのない文章である。(……)  もう、なよやかな女文字で女言葉を綴ることはないのだ。私はすでにこの世の者ではない。定められた人の道を離れ、天地の法に従う存在には、大丈夫と愚 人、男と女のけじめなどありはしない。虚無にあっては君もなし、臣もなし。君という、そもそも偽りなり、臣というもまた偽り、の境地に立つ。身分の上下、 男女の左右の別は人の世の定め、生きているうちから人の世を脱してしまったこの私にはすでに何の意味もない。(……)
 文字を覚え、文章を書くことを学んだ私は、文字によって少しずつ時空を越え、身分の差を越え、男女の別を越える術を知った。

 「私が一度も書いたこと、読んだことのない文章」とは、一葉が、職業作家として意識的な文章を書かねばならなかったからこその評であろう。女こと ばの規範のなかでこそ書きえた一葉の近代性は、「書くしかた」と書き手自身とのあいだとの間にあるものを読むという近代的な読書を促し、それゆえに一葉の 作品はこうまで後世の読み手を惹きつけ、あまたの一葉論を生んだ。従来の、三人称・過去時制という評伝の書きかたではない、一葉自らが語るというこの方法 もまた、一葉という作家に対するひとつの「読み」なのだろう。
 本書のオリジナルが出された92年以降、一葉を女性の視点で読むことがさかんに行われるようになったという。文庫版のあとがきにはある。

 なぜ女の視点で読むことがあの時いっせいに始まり、支持されたのだろう。あれは与えられた物語をそのまま読むのではなく、考え ながら読むことによって作家とともに読者の数だけの物語を創出する積極的読書に女性も加わった瞬間だったのではないだろうか。それまでは女性の作家はいて も批評家は少なかった。批評の読者も少なかった。批評の読書とは、読書の読書をすることである。読書の読書は乱反射をくりかえしながらさらに複雑な物語を 生む。

 評伝には細かな注が付されているため、読者は記述の裏付けとなった資料にあたることができる。この道しるべによって読者は、「与えられた物語をそのまま読む」のではない、批評的な読書に足を踏み入れることができるだろう。


→bookwebで購入

2011年1月30日日曜日

asahi science history archeology hakuaki inseki great extinction Alamo saurus dinosaur USA America

「大絶滅」生き延びた恐竜 70万年後の骨、米で発見

2011年1月30日5時3分

印刷印刷用画面を開く

ブログに利用するこのエントリをブログに利用

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

 【ワシントン=勝田敏彦】白亜紀末の恐竜大絶滅が起きてから70万年ほど生き延びた恐竜がいたことが、カナダ・アルバータ大などの研究でわかった。論文が米地質学会の専門誌に掲載され、同大が28日、発表した。

 恐竜の大部分は、巨大な隕石(いんせき)が地球に衝突して起きた気候変動が原因で絶滅したと考えられている。地層年代を決める国際委員会は2008年、その時期を約6550万年前としている。

 研究チームが、米西部ニューメキシコ州で見つかったアラモサウルスと呼ばれる草食恐竜の大腿(だいたい)骨を使って、生きていた時代を「ウラン・鉛法」と呼ばれる方法で精密測定したところ、大絶滅の時期より70万年新しい6480万年前だった。

 研究チームは「気候変動が起きても一部の草地は残り、草食恐竜が生き延びることができた可能性がある」と指摘している。




2011年1月29日土曜日

asahi archeology history human beings Arabian peninsula arabiahantou 120000

人類、アラビア半島渡ったのは12万年前 英など調査

2011年1月28日20時12分

印刷印刷用画面を開く

ブログに利用するこのエントリをブログに利用

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

図:  拡大  

 われわれヒト(現生人類)は今から約12万年前にアフリカからアラビア半島に渡っていたことが分かった。英国やアラブ首長国連邦など5カ国の研究者による合同調査で突き止めた。28日、米科学誌サイエンス電子版に発表する。

 これまでの研究で、現生人類はアフリカで誕生し、二つのルートで勢力を広げたことが分かっている。ナイル川周辺を通ってヨーロッパへ移動した北ルート と、アラビア半島を経て東南アジアへと広がる南ルートだ。南ルートの移動がいつごろから始まったのか、これまではっきりしていなかった。

 調査チームは、アラブ首長国連邦のジェベル・ファヤ遺跡を2003年から10年にかけて調べた。出土した石器の特徴や地層を分析した結果、アフリカで出現した現生人類の遺跡と似ており、約12万年前にアフリカから南ルートのアラビア半島に渡っていた、と結論づけた。

 名古屋大学博物館の門脇誠二助教(先史考古学)は「南ルートの移動が始まった時期が分かったのは画期的だ。この時期に移住した現生人類が、このまま継続してアジアやオセアニア地域に広がっていったのかどうかは、さらに調査が必要だろう」と話している。(竹石涼子)




2011年1月26日水曜日

asahi science biology hoya baby swimming

背骨なしで泳ぐホヤの赤ちゃんの仕組み解明 阪大教授ら

2011年1月25日5時31分

印刷印刷用画面を開く

ブログに利用するこのエントリをブログに利用

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:オタマジャクシのような格好をしたホヤの幼生。体長は0.5ミリほど=岡村康司教授提供オタマジャクシのような格好をしたホヤの幼生。体長は0.5ミリほど=岡村康司教授提供

図:  拡大  

 背骨のない無脊椎(せきつい)動物のホヤの赤ちゃんが泳ぐ仕組みを、大阪大の岡村康司教授(生理学)らの研究グループが解明した。数少ない筋肉細胞一つ 一つの収縮に強弱をつけることで泳いでいた。オタマジャクシのような形をしているが、背骨のある魚やオタマジャクシとは異なる仕組みだった。生物の進化の 過程を解明するのに役立つという。24日、米科学アカデミー紀要(電子版)に掲載された。

 ホヤ(カタユウレイボヤ)は成長すると岩礁にはりついているが、生後6〜7時間はオタマジャクシのような格好で泳ぎ回る。研究グループは、筋肉を収縮さ せる働きがあるカルシウムをどう取り込むのかを調べた。ホヤの赤ちゃんは、神経伝達物質の量の違いで開く細胞膜の穴を使って体液中のカルシウムを取り込む 量を調節し、個々の筋肉細胞が収縮する度合いに強弱をつけて泳いでいた。

 魚など脊椎動物では、神経伝達物質の信号を受け取ると、細胞内の袋からカルシウムが放出され細胞が収縮する。個々の細胞は収縮の度合いを調節できず、様々な種類の筋肉細胞の塊が分業することで泳いでいる。

 研究グループの西野敦雄助教(動物学)は「生物が進化する過程で、何らかの理由で筋肉細胞がカルシウムを外から取り入れなくなり、様々な筋肉細胞が発達した。そうした進化の過程を解明するうえで役に立つ」と話している。(坪谷英紀)