2012年4月26日木曜日

asahi shohyo 書評

ピーテル・ブリューゲル—ロマニズムとの共生 [著]幸福輝

[評者]池上俊一(東京大学教授)  [掲載]2005年03月13日   [ジャンル]歴史 アート・ファッション・芸能 

表紙画像 著者:幸福輝  出版社:ありな書房 価格:¥ 5,040

■あの大画家もかつてはマイナーだった
 
 十六世紀フランドルを代表する画家ピーテル・ブリューゲルは、写実的な農村風景や活力溢(あふ)れる楽しい農民風俗を描いていて、日本でも人気が高い。
  ところが著者は、開口一番、ブリューゲルがフランドル画家として代表者扱いされているのは、十九世紀末以来の美術史研究の偏重によってもたらされた異常事 態であり、同時代には、人気の点でも画題の一般性の点でも、マイナー画家にすぎなかったと主張する。それどころかアントウェルペンの知識人サークルに属し ていた彼を、農民画家と呼ぶことさえおかしいと、ブリューゲル神話解体を宣言する。
 こうなると、ブリューゲル好きの読者は心配になってくるのだ が、もちろん著者は、美術史家たちが長年塗り固めてきた虚構を暴くだけですましてはいない。ブリューゲルの作品の真の意味に、思い掛けない方角から光を当 てようと企てているのだ。それはまず、画家志望者のお定まりのコースであったイタリア修行を経験したにもかかわらず、他の画家のようには古代遺跡や神話の 物語を描かずに、ただひたすら精緻(せいち)な再現性をもつ自然風景描写にこだわった初期ブリューゲルに、イタリア的理念とフランドルの伝統との融合を見 出(みいだ)すことから始まる。
 さらに瞠目(どうもく)すべきは、名作「十字架を運ぶキリスト」にネーデルラント絵画の集大成としての性格を探 り当て、月暦画連作を、その購入者であった大商人ヨンゲリンクの邸宅の装飾プログラム、とりわけ、同時に飾られた画家フランス・フローリスのイタリア人文 主義的作品との関連の下で論ずるという、後半部の水際立った議論である。
 近年全盛の図像学を中心にした解釈学では見落とされがちな、絵画の展 示、受容、国民意識といった、社会における画家と作品の意味に迫った本書は、美術史研究の流れに一石を投ずることだろう。「ブリューゲルの作品群は、いっ そうその偉大な輝きを増しているように見える」との結論に、なんだやっぱりブリューゲルは、フランドルの代表的な画家なんじゃないか、と一安心。
 [評者]池上俊一(東京大学教授=西洋史)
     *
 ありな書房・302ページ・5040円/こうふく・あきら 51年生まれ。美術史家、国立西洋美術館学芸課長。

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asahi shohyo 書評

プラトンと反遠近法 [著]神崎繁

[評者]木田元(哲学者)  [掲載]1999年03月07日   [ジャンル]

表紙画像 著者:神崎繁  出版社:新書館 価格:¥ 2,940

■古代から現代まで壮大な精神史語る

 <遠近法>といえば、三次元の立体を二次元の平面に描くための絵画技法、ルネサンス期に発明され、<現代美術>ではほとんど無視されている一つの技法と思われているにちがいない。
  だが、遠近法の成立には、ある水準に達した幾何学・光学・視覚理論、そして空間を等質的なものと見る特殊な空間観、それに芸術上の特定の立場が協力して働 いている。遠近法は、知的な科学・哲学理論が目に見える絵に感性化され、絵から知的な理論が読みとられる独特の<象徴(シンボル)形式>なのである。
  そのせいか、遠近法は多くの思想家を魅了してきた。ニーチェは、目に見えるこの世界の背後に目に見えない真の世界があるとするプラトン流の考え方を否定し た。「あるのは進化のある段階に達したわれわれに遠近法的に配置されて見えているこの世界だけだ」と。それ以降、彼に続く世代のカッシーラー、ハイデ ガー、ウィトゲンシュタイン、パノフスキー、その他多くの思想家が、遠近法に思いをこらしてきた。
 いや、それどころではない。本書によれば、絵 画技法としての遠近法が発明されるはるか以前のヘレニズム・ローマ期のストア派や新プラトン主義、さらに遡(さかのぼ)ってデモクリトスやプラトンの古典 古代においてさえ、遠近法的な世界の見方の是非が問われ、たとえばプラトンははっきり反遠近法の立場をとっていた。本書は、古代から現代に及ぶ遠近法をめ ぐるこうした壮大な精神史なのである。
 著者は古代哲学を専門とする新進気鋭の研究者だが、近現代にまでわたる驚くほど豊かな学殖をうかがわせる 論文やエッセーでかねてから注目を集めてきた。これが最初の本になるのだが、「あとがき」を読んで驚いた。はじめ二十枚の雑誌原稿を依頼され、書いてみた ら八十枚になった。いっそ本にしましょうということになり、二カ月で三百余枚を書きあげたという。針でつついたら、これまでの蓄積が一気に噴き出したので あろう。ういういしさと老練な筆さばきとを兼ねそなえた、近来珍しい名著である。

 評者・木田元(哲学者)
 (新書館・242ページ・2,800円)
    *
 かんざき・しげる 52年生まれ。東京都立大助教授。専攻の西洋古代哲学から、現代哲学を考察している。

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マリー・アントワネット 運命の24時間 [著]中野京子

[評者]逢坂剛(作家)  [掲載]2012年04月22日   [ジャンル]文芸 

表紙画像 著者:中野京子  出版社:朝日新聞出版 価格:¥ 1,680

■ヴァレンヌ逃亡、劇的に再現

 著者の専門はドイツ文学だが、近年は西洋文化史、政治史への傾倒が著しく、絵画を通じて〈絵解き〉をする仕事に、精彩を放っている。
  一時、小説への志向を見せた著者は、単なる美術評論をする気など、もとよりない。絵画の背後に広がる、複雑極まりないヨーロッパの裏面史を、華麗な筆で浮 き彫りにする。本書では、フランス革命の象徴的な存在、マリー・アントワネットの一挿話、ヴァレンヌ逃亡失敗事件を取り上げ、追う者と追われる者の迫真の 攻防戦を、ドラマチックに再現してみせる。淫乱(いんらん)、贅沢(ぜいたく)、傲慢(ごうまん)などなど、あらゆる悪罵を浴びせられるアントワネットだ が、ここでは好意的な王妃像が呈示(ていじ)される。
 逃亡を助けるフェルゼン、阻止せんとするラファイエット、優柔不断で頼りにならぬルイ16世、その他関係する人びとが個性豊かに、描き分けられる。脱走と追跡のカットバックは、さながら往時の西部劇を見るようで、手に汗を握らせる。
    ◇
 朝日新聞出版・1680円

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ショパン 孤高の創造者 [著]ジム・サムスン

[掲載]2012年04月22日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

表紙画像 著者:ジム・サムスン、大久保賢  出版社:春秋社 価格:¥ 3,675

 「ピアノの詩人」と呼ばれる作曲家の生涯は、その音楽よろしく、ロマンチックな装飾を加えて語られがちだ。本書は信頼できる資料を手がかりに、想 像力による脚色をていねいにはぎとり、人間ショパンの実像に迫る。恋人ジョルジュ・サンドやその家族、ドラクロワやリストといった友人との関係性は、実に 微妙な距離感の中で成立していた。楽譜出版社と交渉する際の抜けめなさは、てだれの商人顔負けだ。
 年代別に並べた楽曲分析が、生涯と音楽的成熟の関連をわかりやすく示す。ショパンの死後、その音楽がどう受容されていったかに触れた部分は、彼の「伝説」がどのように作られていったかを知る手がかりになる。
    ◇
 大久保賢訳、春秋社・3675円

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白秋望景 [著]川本三郎

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2012年04月22日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

表紙画像 著者:川本三郎  出版社:新書館 価格:¥ 2,940

■時代と格闘した偽りなき人生

 この書は詩歌の人・北原白秋の軌跡を辿(たど)った評伝だが、 その実著者による追悼詩のような趣をもつ作品である。著者自身が描いている白秋像を自らの言葉で解きほぐしていく。20の章でその57年の人生を彩るエキ スを取り出し、それを濃密にデッサンしていくかに見える。
 「水の感受性」という章がある。「水があった」との一行から始まる。1904(明治 37)年に東京に出てきた白秋は、隅田川という「水」に接して、自らの故郷、九州・柳河の水郷を詩的風景として捉える。いやこの期、永井荷風や芥川龍之 介、谷崎潤一郎らとて「水」の東京を描くのだが、そこに通底するのは「西洋」への強い意識だ。「赤の発見」の最初は、「はじめに色があった」。白秋の心情 に、いや白秋の詩歌がモチーフとするその人間感情に、著者は否応(いやおう)なく読者を引きずり込む。練達な表現(「白秋の目に、東京はまず光の町として 飛びこんでくる」「言葉のキャンバスに新しいさまざまな色を描き出し」「思えば大正時代は、文学者が田園を目ざした時代でもあった」など)が至る頁(ペー ジ)にあり、それが白秋を文学史上に位置づける著者の執念と窺(うかが)える。
 むろん白秋の私生活はすべて明らかにされ、三度の結婚や東京に出 てきてから30回以上住所を変えたこと、さらに小笠原での隠遁(いんとん)生活で出会う「リデヤ」という無垢(むく)な少女の存在が、童謡の作詩にはいら せたのではないかとの著者の推測などは肯(うなず)ける。生涯の大半を筆一本で生きたこの詩人は、あからさまに時代と格闘したのだ。昭和のある時期には空 疎な軍歌も作詩しているが、その心情にひそんでいるのは自身のナショナリズムへの苦悩であったのか。
 著者も関心を示す「金魚」(大正8年作)の残酷さ、が、そこにあるのは白秋の説く「童心童話」だとの指摘に、その偽りのない人生を確認し、著者と涙を共有する。
    ◇
 新書館・2940円/かわもと・さぶろう 44年生まれ。評論家。著書に『荷風と東京』『林芙美子の昭和』など。

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