2012年2月29日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年02月28日

『情報の呼吸法』津田大介(朝日出版社)

情報の呼吸法 →bookwebで購入

「「ソーシャルメディアのフロンティア」にしか見えない風景」

本書は、ジャーナリスト/メディア・アクティビストの津田大介氏が、ソーシャルメディアについての現状に触れながら、今後の向き合い方や使いこなし方について、実践的な提案を行っているものである。

 文体も読みやすく内容も具体的なので、関心のある方々にとっては、格好のソーシャルメディア入門といえるだろう。


評者にとっては2章以降が抜群に面白かった。いうなれば、まさにソーシャルメディアの最先端にいるものでなければ見えない景色が垣間見える思いだった。いや、著作のタイトルになぞらえるならば、フロンティアにしか吸えない空気があるというべきだろうか。


「フォロー数は300〜500人くらいが最適」(P67)といったように、経験に基づいたアドバイスやエピソードが目白押しなのだ。


 他にも、情報はストックからフローになる(P80)といった指摘も興味深かった。これは、私の専門であるファン文化・オタク文化の領域でもよく感じる変化である。

最近、韓流アイドルのファンにインタビューをしたところ、彼女らの主たる情報収集手段は、やはりツイッターなのだという。それも蓄積(ストック)していく というよりも、とにかくいちはやく最新の情報をチェックすることに重きを置いているので、この点で、流れゆくツイッターの情報が役に立つのだという。


「ツイッターは『シャー』という音を立てて情報が流れていくみたいなもの」だと語っていたが、かつてのオタクたちがむしろひたすらに「ストック」に重きを置いていたことを考えれば、そこには隔世の感がある。


 また第3章のタイトルであり、本書の骨子でもある「情報は発信しなければ、得るものはない」という主張も非常に興味深い。


「ストック」に重きを置いていたのは、かつてのオタクだけでなく、むしろ優等生のガリ勉スタイルも同様であったが、著者に言わせれば、情報はインプットして「ストック」するだけではダメなのだという。


具体的に言うならば、新聞を5紙読み比べて自己満足するくらいならば、むしろ両極端の2紙に絞るくらいでいいのではないかという(P79)。そうでなけれ ば、刻々と変化する膨大な量の情報を、新鮮なうちに入手して、かつ適切な発信に結びつけていくことができなくなってしまうのではないかという。


 このように、本書を読み進めていると、ソーシャルメディアのフロンティアの雰囲気に触れながら、我々がこれまでに抱いてきた「情報」という概念そのものが、根本から覆ろうとしている可能性すら感じられてくる。


 加えて、更に示唆深かったのは、こうした「フロー」化がますます進むメディアに立ち向かう、強靭なタフネスさを著者が垣間見せてくれることだ。


「人生で大切なことは、全てエゴサーチで学んだ」(P91)とあるように、普通ならば、人目を気にしてビクビクとしてしまうエゴサーチ(=インターネット 上で自分の名前を検索すること)についても、むしろ著者は、自分が発信した情報への反応を確かめるマーケティング戦略の一環としてやっているのだという。


 こうした「タフネスな再帰的自己」とでもいうべきものがなければ、フロー化する高度情報化社会は生き残っていけないのだろう。本書は、まさにこれからの時代を生き抜いていくために、必読の一冊といえる。


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asahi shohyo 書評

日本人はどう住まうべきか? [著]養老孟司・隈研吾

[掲載]2012年02月26日   [ジャンル]人文 

表紙画像 著者:養老孟司、隈研吾  出版社:日経BP 価格:¥ 1,260

 読み進むうち、何だか悲しい気持ちになる。何故か。収められた解剖学者と建築家の対談は4年前のものを中心に、3・11以後再び話し合われたもの で構成されている。阪神大震災を踏まえた前者で語られる都市の在り方への疑問の多くが、今回の大震災後にも当てはまるのだ。この間、ほとんど何も変わらな かったのか、と。
 液状化問題は建築、土木の縦割り世界の境界にあるので、どっちも責任を感じていない、等々、刺激的な発言も続く。とても不安定 な国土に住んでいる以上、高台移転など一律の基準ではなく、その土地土地の事情に応じ、「だましだまし」補強しながらやっていくしかない、という提案が妙 に心に残る。
    ◇
日経BP社・1260円

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日本人はどう住まうべきか?

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asahi shohyo 書評

水を守りに、森へ 地下水の持続可能性を求めて [著]山田健

[評者]辻篤子(本社論説委員)  [掲載]2012年02月26日   [ジャンル]人文 

表紙画像 著者:山田健  出版社:筑摩書房 価格:¥ 1,575

■社会貢献でなく企業の本業で

 サントリーで長くコピーライターを務めた著者は21世紀が迫ってきたころ、ふと、同社の事業がいかに「地下水」に依存しているかに気づく。同時に、その地下水が、森林の荒廃によっていかに危うい状況に置かれているかも。
 以来10年余りにわたって、地下水を涵養(かんよう)する森を守ろうと日本中を奔走してきた経験が、軽妙につづられる。
 ユニークなのは、企業の社会貢献ではなく、本業としての位置づけだ。水に生かされている会社が水を守るのは当たり前というわけだ。
 ミネラルウオーターなどを生産する工場の周辺で、約7千ヘクタールの森林を整備してきた。山手線を一回り大きくしたとてつもない広さだが、日本全体では微々たるものだ。
 広大な森林を守るには、国や自治体の力だけでは到底足りない。多くの企業に、本業に近いところで森林に目を向けてほしい。そう提案する。
 「だれか」ではなく「私」の問題としてとらえてこそ。今こそ必要な発想の転換だ。
    ◇
 筑摩選書・1575円

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水を守りに、森へ 地下水の持続可能性を求めて

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著者:山田健  出版社:筑摩書房 価格:¥1,575

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asahi shohyo 書評

イスラームと科学 [著]パルヴェーズ・フッドボーイ

[評者]山形浩生(評論家、翻訳家)  [掲載]2012年02月26日   [ジャンル]科学・生物 

表紙画像 著者:パルヴェーズ・フッドボーイ、植木不等式  出版社:勁草書房 価格:¥ 3,990

■理性への野放図な侵犯に警鐘

 イスラム圏の科学はひどい状況にある。
 中世には、停 滞するヨーロッパを尻目に世界最先端だった。でも宗教がそこに介入し、物理法則なども神の意志にすぎないとされ、科学を研究するより、神の意志をコーラン 解釈から読み取ることが優先された。そしていまや、一部イスラム圏の「科学」と教育の相当部分は、西洋科学をイスラム経典解釈にこじつけて「イスラム的科 学」なるものをでっちあげる行為に堕している——。
 こうした状況を、世界的な物理学者でイスラム教徒である著者は、深く憂慮し、イスラム社会の 大きな停滞要因だと指摘する。だが本書は、イスラム教という宗教を批判するのではない。宗教と科学や理性の領域とを区別しない宗教や規範の野放図な侵入す べてに伴う、普遍的な問題の指摘が狙いだ。
 イスラム圏の課題理解と同時に、他のどこでも起きかねない事態への戒めとして多くの人に読んでほしい。
    ◇
 植木不等式訳、勁草書房・3990円

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イスラームと科学

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著者:パルヴェーズ・フッドボーイ、植木不等式  出版社:勁草書房 価格:¥3,990

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asahi shohyo 書評

トクヴィルの憂鬱 フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生 [著]高山裕二

[評者]中島岳志(北海道大学准教授)  [掲載]2012年02月26日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 

表紙画像 著者:高山裕二  出版社:白水社 価格:¥ 2,730

■平衡を踏みにじる群衆の暴政

 革命とナポレオン専制を経た19世紀前半のフランス。身分制か ら解放された「新しい社会」には、自分が何者でもないという不安に苛(さいな)まれる「新しい世代」が誕生した。社会的拘束から自由になり、個人として偉 大な事業を成し遂げたいという野心を持つ一方で、彼らは明確な存在根拠を失い、平準化する社会の中で孤独感と恐怖に苦しんだ。
 トクヴィルは、新 しい世代の苦悩を体現する人物だった。彼は「全般的な懐疑」の念を有し、不信を深めた。彼は人間の不完全性を自覚し、理性では掌握できない精神的な次元を 人間が有していると考えた。トクヴィルは「絶対や完全」を根本から疑った。しかし、「見失われる恐怖」にとりつかれ、絶対を熱烈に探求した。彼は「存在し ないと自覚しながらそれを渇望する」という矛盾を生きなければならなかった。
 この逆説は、確信の持てない絶対の存在を、存在するかのように「仮 構する」態度へとつながった。彼は、理性的な思考を突き詰めた果てに、理性の決定的な限界を見いだした。そして、この理性の働きの最後に「理性を超えるも のが無限にある」という認識が開かれた。理性の限界という認識は、その限界の外部を必然的に想起させた。だが、その無限そのものを有限の人間は掌握できな い。人間は絶対を仮構するしかないのだ。
 この認識の先に、トクヴィルは健全な「公衆」を求めた。理性の乱用を諌(いさ)め、超越を想起しなが ら、平衡を保って生きる公衆の政治。そこでは自治が実践され、真の政治が現れる。しかし、この構想は多数者という「群衆」によって踏みにじられ、嫉妬と私 益の暴政に圧迫された。トクヴィルの憂鬱(ゆううつ)は再び深まり、理想は空転する。
 苦悩の中で「群衆よりも孤独のほうが私にとってよほどいい」と語ったトクヴィル。彼の憂鬱は、世紀を超えて「何者でもない」我々を直撃する。
    ◇
 白水社・2730円/たかやま・ゆうじ 79年生まれ。早稲田大学助教。編著に『社会統合と宗教的なもの』

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トクヴィルの憂鬱 フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生

トクヴィルの憂鬱 フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生 

著者:高山裕二  出版社:白水社 価格:¥2,730

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社会統合と宗教的なもの 十九世紀フランスの経験

社会統合と宗教的なもの 十九世紀フランスの経験

著者:宇野重規、高山裕二、伊達聖伸  出版社:白水社 価格:¥2,730

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asahi shohyo 書評

ポルノグラファー [著]ジョン・マクガハン

[評者]斎藤環(精神科医)  [掲載]2012年02月26日   [ジャンル]文芸 

表紙画像 著者:ジョン・マクガハン、豊田淳  出版社:国書刊行会 価格:¥ 2,520

■ねじれたモラルからの解放と成長

 "僕"はこれといって取りえのない、30歳のポルノ小説家。アイルランドの首都ダブリンに住んでいる。早くに両親を亡くし、伯父と伯母に育てられた。気丈な伯母は癌(がん)で入退院を繰り返しているが、もう長くはなさそうだ。
  "僕"はダンスホールで知り合った年上の女性とその日のうちに関係し、その後もずるずると逢瀬(おうせ)を重ねる。なぜか彼女は"僕"に夢中になり、やが て妊娠する。結婚するつもりはないと何度も念を押す"僕"にかまわず彼女は一人ロンドンで出産。"僕"は彼女に会いに行くが、子供だけは決して受け入れま いとする。
 この小説の発表が1979年のアイルランドであることを念頭に置こう。国民の9割近くがカトリックのこの国では、近代化と因習、個人 主義と家族主義の葛藤が前景化しつつあった。中絶も離婚も容認されない国で、ポルノ作家であることは何を意味するか。もはやまともな職にはつけないという シニシズムと、表現を通じて承認されたいプライドとの葛藤が、"僕"のねじれたモラルを形づくる。
 "僕"が書くポルノ小説の安っぽい性描写と、"僕"自身が重ねるセックスの抑制的で生々しい描写の対比が繰り返されるが、ここにはマクガハン自身の自意識の葛藤が直接的に投影されている。
 すべてに心を閉ざしたかにみえる"僕"は、伯母の死によって「解放」される。自分が「正しい注意を払ってこなかったのだ。選ぶためのエネルギーがあまりにも苦痛を伴うように感じられたのだ。恋に破れ、背中を向け、想像の光をほとんど出し切って」いたことに気づくのだ。
 この土地で生きていくことを決意する僕は、祈りとともに車のスピードを上げ、道に呼びかける。死者を含む人々の関係性が青年を成長させるラストには、アイルランドの偉大な先達であるジョイス『ダブリン市民』の残響がかすかに響いている。
    ◇
豊田淳訳、国書刊行会・2520円/John McGahern 34年アイルランド生まれ。作家。

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ポルノグラファー

ポルノグラファー 

著者:ジョン・マクガハン、豊田淳  出版社:国書刊行会 価格:¥2,520

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ダブリンの市民

ダブリンの市民 

著者:ジョイス,J.(ジェイムズ)、高松雄一  出版社:集英社 価格:¥2,940

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asahi archeology history ishitsumi kofun toraijin Nagano

2012年1月20日10時28分

石積み古墳、深まる謎 埴輪出土、渡来系説に波紋

写真:大室241号墳の現地説明会。石を積み上げて古墳が造られている(長野市教育委員会提供)拡大大室241号墳の現地説明会。石を積み上げて古墳が造られている(長野市教育委員会提供)


 日本の古墳は土を盛るタイプが主流だが、石を積み上げて墳丘をつくる「積石塚(つみいしづか)」も少数ながら存在する。これらは朝鮮半島によく似た型式 の墓があることから、「渡来人の系譜を引く人々の古墳」と考えられてきた。しかし近年、それに疑問を投げかける発見が続き、謎が深まっている。

 きっかけの一つは、長野県北部にある大室(おおむろ)古墳群での発掘調査だ。

 この古墳群は500基以上からなり、積石塚が8割近くを占める。中でも天井石を左右から組みあわせた「合掌形石室」が多く見られるのが特徴の一つだ。

 この特殊な石室について多くの考古学者は、朝鮮半島系の墓制と考えてきた。百済などに天井の形がよく似たものがあるからだ。

 日本列島ではこの形の石室が5世紀半ばに突然出現する。このため、のちの時代に、馬の飼育の牧が大室古墳群周辺に設けられたことと考え合わせ、「馬の飼育という技術を持って移り住んだ朝鮮半島系の渡来人の墓」とみなされてきた。

 しかし、先ごろ行われた大室241号墳(直径14メートルの円墳)の調査で、円筒埴輪(はにわ)や人物埴輪が見つかる。

 このことは何を意味するのだろう。

 埴輪は3世紀に日本列島で生まれ、数百年にわたって用いられた日本列島の古墳特有の副葬品だ。朝鮮半島南部でも一部出土した例があるが、それは、日本列島から移り住んだ人々が作ったと言われている。典型的な「倭(わ)系」遺物だ。

 大室古墳群では、最も古い5世紀中ごろの合掌形石室から、今回調査された最も新しいタイプの合掌形石室を伴う241号墳(築造は6世紀初め)まで、いず れも埴輪を伴うことが明らかになりつつある。渡来系の人々が造ったはずの合掌形石室に、なぜか、日本列島に特有の埴輪が樹立されているのだ。

 考古学では、墓制にかかわる要素に、その集団特有の系譜が表れると考えるのが一般的だ。

 「埴輪からみる限り、合掌形石室の被葬者イコール渡来系という単純な議論はもう通用しないのではないか」。241号墳を発掘した長野市教育委員会の風間栄一主査はそう指摘する。

 実際、241号墳からは、飾り馬具や特殊な矢じりなどが出土したが、これらは日本列島の他の古墳でも見られるもの。大室古墳群全体を眺めても、朝鮮半島系と確実に言える遺物はほとんど出土していない。

 一方、「渡来系の墓」説を完全に否定してしまうことにはためらいもある。

 「否定する見方もありだとは思うが、その場合、合掌形石室が列島内に突然出現した理由をどう説明するのか。独自に生まれたとは考えにくいし……」と、明治大の佐々木憲一教授。

 福岡大の桃崎祐輔教授は「渡来系の人々が埴輪を新たに採用した可能性もある。合掌形石室墳での埴輪の使われ方が、従来の埴輪のあり方と同じかどうか観察を続けるべきだ」と話す。

 積石塚は、香川県や長崎県などにも分布しており、中には朝鮮半島製と考えられる轡(くつわ)や耳飾りが出土した群馬県高崎市の剣崎長瀞西遺跡のような例もある。

 積石塚というだけでひとくくりで論じる時代は終わったということなのかもしれない。(宮代栄一)




asahi shohyo 書評

呪いの時代 [著]内田樹

[文]長薗安浩  [掲載]2012年03月02日

表紙画像 著者:内田樹  出版社:新潮社 価格:¥ 1,470

■相手を屈服させるだけの言葉にあふれた時代を脱するには?

 〈「呪い」は今や僕たちの社会では批評的な言葉づかいをするときの公用語になりつつあります〉
 内田樹は、『呪いの時代』の冒頭でこう書いている。内田が指摘したこの現況はテレビの討論番組などを観ていても感じるが、ネットにおけるコメントや意見のやりとりをちょっと覗けば、深くうなずくしかない。
  そこには、相手を傷つけて沈黙に追いこむ言葉が飛びかっている。少し前に話題になった「自分以外は全部バカ」よろしく、自説と他説をすり合わせて合意形成 する気などさらさらない、とにかく相手を屈服させるための言葉たち。それらは、たしかに呪詛のようだ。今ある現実を何とか変えたいという苛立ちも見え隠れ するが、内田は長く生きてきてわかったことの一つとしてこう指摘する。
〈「現実を変えよう」と叫んでいるときに、自分がものを壊しているのか、作り出しているのかを吟味する習慣を持たない人はほとんどの場合「壊す」ことしかしない〉
  なぜか? 破壊の方が創造よりも簡単だから。独裁を倒した後のアラブ諸国を持ち出すまでもなく、身近な状況をながめるだけでも、創造の難しさはよくわか る。しかし、メディア上では破壊を目的とする「呪い」の勢力がますばかり。壊すだけで誰も創り出さなければ、この世界からは壊すものさえなくなりかねない のに……。他人への「呪い」は結局、自分をも呪ってしまうのだ。
 互いに疲弊し、ひと時の征服感を覚えるだけの「呪い」合戦。そこから脱し、このぱっとしない現況を少しでも生きやすくするために、内田は「自分探し」の不毛を説き、「言論の自由」の意味を問い直し、「呪い」を解く「贈与」の術を提案する。
 東日本大震災の発生から一年になろうとしている今、言葉がもつ禍々しさと可能性について考えることは、日本の将来のためだけでなく、自身の言説をチェックするいい機会だ。

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呪いの時代

呪いの時代 

著者:内田樹  出版社:新潮社 価格:¥1,470

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