2009年10月16日金曜日

asahi shohyo 書評

山椒魚(さんしょううお) [著]井伏鱒二

[掲載]2009年10月11日

  • [筆者]筒井康隆(作家)

写真自宅の囲炉裏には自在かぎに、いつも鍋がつるしてある。ふだん火はついていない=東京・神宮前、郭允撮影      

■新入生驚かす詠嘆調朗読

 「山椒魚は悲しんだ」

 文学概論の最初の講義で、里井という教授がマイクに向かい、下品な詠歎(えいたん)調で朗読しはじめたのでぼくは驚いた。文学 部の新入生のほとんどが受ける講義だから、何百人も入る大教室である。聞けばこの里井教授、毎年最初に大声でこれをやって新入生を驚かせることで有名なの だった。のちに本でも読んだ井伏鱒二「山椒魚」との最初の出逢(であ)いはこの朗読であった。

 語り口はユーモラスで、時おり学生たちは笑っていた。この短篇(たんぺん)にぼくは感銘を受け、文章のところどころはずっと記 憶に残った。岩屋の棲家(すみか)で二年間寝てしまい、からだが大きくなって出られなくなった山椒魚は、まぎれこんできた蛙(かえる)を、自分の頭を入口 (いりぐち)の栓にして閉じ込めてしまい、自分と同じ状態に置くのである。激しい口論となるが、二年経(た)ち、友情が生まれる。

    ◇

 「それでは、もう駄目なやうか?」

 「もう駄目なやうだ」

 ここで笑ってしまうのである。

 よほど暫(しばら)くしてから山椒魚がたずねる。

 「お前は今、どういふことを考へてゐるやうなのだらうか?」

 「お前は今何を考えているんだ」と言えばいいようなものだが、このもってまわった言い方がひどく文学的に感じられてぼくは感心した。後年、大江健三郎の文章にもよく見られた言いまわしである。

 蛙が言う。「今でもべつにお前のことをおこつてはゐないんだ」

 これはほとんど和解である。物語はここで終(おわ)る。この作品に感銘を受けて太宰治が井伏鱒二に弟子入りしたことは有名だ。 滑稽(こっけい)と悲哀をたたえたこの傑作を、だが何ということか、ずっとのち、ぼくが作家になってからのことだが、作者は結末部分を全集収録時に削除し てしまったのだ。ぼくの好きなあの会話部分はなくなっていた。なにしろ教科書にも載ったほどの作品である。いかに作者自身の行為とはいえ、これは暴挙であ るという批判が噴出した。いちばん怒ったのは野坂昭如。読まれたことで、もはや読者の血肉と化しているものを改変するとは怪(け)しからん。ひとりよがり もいい加減にしていただきたい。

 こうした騒ぎがあって以来、ぼくは自分の作品にはあとで手を入れないことにし、それは今でもずっと続いている。

 井伏さんには一度だけ、ナマの姿とお声に接した。中央公論社の雑誌「海」の編集長だった塙嘉彦の葬儀の時だ。待合室で作家や編集者に囲まれた井伏さんはぼくの少し奥の席におられた。「この寒さなら凌(しの)げます」というお声が耳に残っている。

    ◇

 大学に通いながらアカデミーにも行っていたぼくは演技力を認められ、まだ研究生なのにアカデミーの卒業生で作っている劇団に抜 擢(ばってき)され、小田和夫「霧海」に出演した。演出は新派の郷田悳(とく)という人だった。ぼくは初めて「本読み」なるものを体験した。今は「読み合 (あわ)せ」と混同されているが、「本読み」というのは本来、作者がひとりで台本を役者たちに読んで聞かせることだったのである。

    ◇

 岩波文庫、新潮文庫、小学館文庫は著者による85年の削除以前の形で。講談社文芸文庫は削除のうえ解説で論じている。

表紙画像

山椒魚 (新潮文庫)

著者:井伏 鱒二

出版社:新潮社   価格:¥ 460

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