2009年10月28日水曜日

asahi shohyo 書評

リバタリアニズムの人間観 [著]吉永圭

[掲載]2009年10月25日

  • [評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)

■自由な秩序を教養から考える

 教養崩壊とよく言われるが、その教養とは、何を意味するのか。とりあえず今では、論者によってさまざまであろう。

 しかしかつて大正時代には、ドイツ語のビルドゥングの訳語という、明らかな由来を持っていた。十九世紀初頭にベルリン大学の創 設に携わった哲学者、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが唱えた、一人一人が個性を豊かに育て、自由な個人となる営みとしての、「教養」もしくは「陶冶 (とうや)」である。

 この本は若い法哲学者の手になるが、フンボルトをめぐるドイツ思想史の叙述が充実している。国家が福祉の美名を掲げて個人の生 活に介入することを、この哲学者はきびしく批判した。大学と並んで、人々が自由に営むサロンや職業集団が、「教養」の場として、統治権力からの独立を保障 されなくてはいけないと見なしたからである。

 教養について考えることが、自由な秩序とはどういうものかという、政治思想の根本の問いに結びついてゆく。狭い意味での教育論としてしか、教養が論じられない、日本の現状の歪(ゆが)みを、この本ははっきりと照らし出してくれる。

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