2009年10月13日火曜日

asahi shohyo 書評

グーテンベルクからグーグルへ—文学テキストのデジタル化と編集文献学 [著]ピーター・シリングスバーグ

[掲載]2009年10月11日

  • [評者]小杉泰(京都大学教授・現代イスラーム世界論)

■電子本の登場が人文学を変える

 500年前にグーテンベルクの活版印刷が世に出て、本の世界は劇的に変わった。それまでの手書きの写本は、多量の部数を発行できる印刷本に取って代わられた。それと同じくらいの巨大な変化が今起きつつある。

 新しい書物の形態を「電子本」と呼ぶならば、それとの比較でこれまでの本は「印刷本」と呼ばれるようになるであろう、と著者は言う。電子本の登場は、文献を扱う人文学を根底から変えつつある。

 著者は近代英文学、特にビクトリア朝文学の専門家として、19世紀の小説のテキストを批判的に考証してきた。その成果を紙に印刷された本の形で出版する場合、どうしても限界が生じる。

 作家の手稿や、初版・再版、ペーパーバック版などの種々の版、同時代的な資料などから、学問的に厳密な考察をおこなっても、そ のすべてを書物に入れることはできない。それに対して、デジタル化され、インターネットで読む「本」ならば、いくらでもテキストや資料を収録し、相互参照 することができる。

 早くも70年代から文学テキストのコンピューター化に取り組んできた著者は、インターネット時代に入って、そのようなデータベースとしての電子本を提唱している。

 副題にある「編集文献学」とは欧米で発達した学問で、テキストを比較・考証し、作品の意味づけをおこなう。特に著者は、作品の著者と読者のみならず、その途中にある印刷・編集の工程をも含めて「書記行為」と呼んで、著述と読書にまつわる興味深い議論を展開している。

 学問的な考証と編集ですら「介入」であり、解釈行為であるという主張は明晰(めいせき)でわかりやすい。それによれば、もはや テキストの「標準版」を作ろうとする時代ではない。だからこそ、刊行日とモノとしての形態に縛られている印刷本ではなく、限りなく更新できる電子本がよ い、というのである。

 ちなみに、編集文献学者による折衷的な判断をよしとする英米の態度は、著者の手稿が存在しないシェークスピア以来の伝統を反映 している。それに対して、自作の出版に深く関与したゲーテを源流とするドイツでは、より権威を持つ編集を志向するという。ドイツの植字工の方が几帳面(き ちょうめん)だったであろうという指摘も含めて、両者の比較が面白い。

 デジタル時代を象徴するグーグルでは、瞬時に目的のテキストにたどり着ける。しかし、その検索ランキングは人気順にすぎないし、情報の99・9%は学問的に信頼がおけない、と著者は言う。学術版編集による質の高いテキストの供給を、自分たちの責務とするゆえんである。

 現在のところ電子書籍の多くは印刷本のデジタル化にすぎないが、電子本が「本」の主流となる日は意外に近いかもしれない。人文系の学問と知の体系が、著者のように前向きにこの変化に対応するためには、課題は複雑で考えるべきことは多い。

    ◇

 明星聖子・大久保譲・神崎正英訳/Peter Shillingsburg 米国ロヨラ大学教授(英文学)。03年から08年まで英国ド・モンフォール大学教授を務めた。学術版W・M・サッカレー全集編集責任者。

表紙画像

グーテンベルクからグーグルへ—文学テキストのデジタル化と編集文献学

著者:ピーター シリングスバーグ

出版社:慶應義塾大学出版会   価格:¥ 3,360

0 件のコメント: