2009年10月28日水曜日

asahi shohyo 書評

巡礼 [著]橋本治

[掲載]2009年10月25日

  • [評者]重松清(作家)

■ゴミ集め続ける男の孤独と切なさ濃密に

  ゴミとは、いったいどんなものを指すのか。壊れてしまったもの、使えなくなったもの、役目を果たしたあとのもの、不要になってしまったもの。分類はさまざ まにできる。いずれにしても、「元の所有者が要らないと判断し、他のひとも不要・無用だと考えるもの」が定義になるだろうか。

 しかし、そのゴミを集めつづける男がいたら、どうなる。大量のゴミで敷地が埋め尽くされたゴミ屋敷の主・忠市にとって、それは不要であり無用ではあっても、はたして無意味なものなのか……。

 忠市は寡黙で実直な男である。なにひとつ間違ったことはしていない。そんな彼がなぜゴミ屋敷の主になってしまったのか。橋本治 さんは、うずたかく降り積もったゴミを掘り起こしていくように、昭和一ケタ生まれの忠市の半生を物語る。それは町と人びとの暮らしの変遷を遠景にした、一 家三代の、さらにはゴミ屋敷と化してしまう家そのものの歴史である。

 決して分量が長い小説ではないのに、〈「戦後」という時代がもたらす豊かさや新しさは、いつでも「自分の前」ではなくて、「自 分の後」になって結実する〉世代の忠市が生きてきた時間の地層は、みっしりと目が詰んでいる。そこには貧しさから豊かさへの坂を上る力強い歩みがあり、古 いなにかを捨てる代わりにより良い新たなものを得てきたのだという揺るぎない手応えがあったはずなのだが……ある時期を境に、時間の地層は忽然(こつぜ ん)と消え失(う)せてしまい、その上にゴミが積もっていく。そして忠市は気づくのだ。いつのまにか道は下り坂に変わっていて、その坂の途中に、すべてを 喪(うしな)った自分が立ちつくしていることに。

 〈自分のしていることが無意味でもあるのかもしれないということを、どこかで忠市は理解している。しかし、その理解を認めてしまったら、一切が瓦解(がかい)してしまう〉という忠市の孤独からは、せつなさが濃密にたちのぼる。

 忠市はゴミの山の中にひそんでいるなにものかを信じ、すがる。しかし、彼は同時に、無意識のうちに、ゴミに侵されない「聖域」をつくってもいた。そこには時間の地層が確かに残り、彼の生が意味あるものとして息づいているのだ。

 忠市はその「聖域」に気づかないままゴミを集めつづける。それがなによりせつない。だからこそ、作者は忠市への慈しみを込め、一つの家族の歴史への鎮魂の思いを込めて、物語の中の誰も知らない「聖域」を読み手にだけ、そっと指し示してくれたのだろう。

 物語の最終盤、忠市は同行二人の旅に出る。短くとも永遠の深みを持った旅の終わり、よるべなくさまよいつづけた忠市の魂がよう やく時間の地層に抱き取られたことを知ったとき、物語に没入している間は停(と)まっていた読み手の時間も、美しいラストシーンの余韻とともに、また再 び、静かに刻まれていくのである。

    ◇

 はしもと・おさむ 48年生まれ。作家。『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)、『蝶(ちょう)のゆくえ』(柴田錬三郎賞)、『双調 平家物語』(毎日出版文化賞)など著書多数。

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巡礼

著者:橋本 治

出版社:新潮社   価格:¥ 1,470

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蝶のゆくえ (集英社文庫 は 12-5)

著者:橋本 治

出版社:集英社   価格:¥ 600

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