2010年5月31日月曜日

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国内最古級の土偶発見 滋賀・相谷熊原遺跡

2010 年5月29日18時15分

写真:相谷熊原遺跡で出土した土偶=滋賀県東近江市、竹花徹朗撮影相谷熊原遺跡で出土した土偶=滋賀県東近 江市、竹花徹朗撮影

写真:三重県の粥見井尻遺跡で1996年に出土した土偶=三重県埋蔵文化財センター提供三重県の粥見井尻遺 跡で1996年に出土した土偶=三重県埋蔵文化財センター提供

図:●遺跡)地図拡大●遺跡)地図

 滋賀県文化財保護協会は29日、同県東近江市の集落遺跡・相谷熊原(あいだにくまはら)遺跡から縄文時代草創期(約1万3千年前)とみられる国内最古級 の土偶が出土したと発表した。三重県で1996年に見つかった土偶とほぼ同時代のもの。ともに女性像で、今回の土偶のほうが指先サイズと小型だが、乳房や 腰のくびれが明瞭(めいりょう)に表現されている。信仰や祭祀(さいし)にかかわる呪物とみられ、旧石器時代からの転換期の縄文人の精神文化の芽生えを考 えるうえで貴重な発見という。

 土偶は高さ3.1センチ、最大幅2.7センチ、重さ14.6グラム。胴体部分のみを現した造形で、欠落のない完全な形で出土した。三重県松阪市の粥見井 尻(かゆみいじり)遺跡から出土した同時代の土偶(全長6.8センチ、最大幅4.2センチ)が逆三角形に近い形状なのに対して、今回の土偶は豊満な体形。 底を平たく仕上げて自立できる造りは縄文中期(約5千年前)以前の土偶では例がないという。

 京都大大学院の泉拓良教授(考古学)は「女性らしさの表現は、多産などの願いを託したとみられ、定住化が進んだとみられるこの時代と土偶の出現の関係を 探る鍵になるのではないか」と話す。

 土偶は今回出土した5棟の半地下式の竪穴(たてあな)建物群のうち1棟の埋土(まいど)から見つかった。竪穴建物は直径8メートル、深さ約1メートルの 棟もあり、国内各地で出土した同時代の一般的な竪穴建物(直径4〜5メートル、深さ30〜40センチ)に比べて規模が大きい。多大な労力をさいて建てられ たとみられ、定住用の建物の可能性があるという。

 県文化財保護協会の松室孝樹主任は「日本の古代人が短期間で居所を移す遊動生活から、いつ定住生活を送るようになったかを調べる上で貴重な資料になる」 と話す。

 現地説明会は6月6日午前10時と午後1時半からの2回。雨天決行。問い合わせは同協会(077・548・9780)へ。(加藤藍子)





2010年5月27日木曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年05月27日

『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』ジェレミー・マーサー(河出書房新社)

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「伝説の書店、そのユートピア思想と混乱ぶり」

本書のタイトルを見て、イギリスではなくパリの街を思い浮かべた人は、この書店の元祖についてご存知の方だろう。戦前のパリにその名を馳せた伝説的な書店 で、ガートルド・シュタイン、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ジッド、ヴァレリーなどが出入りし、ジョイスの『ユリシーズ』を最初に出版したことで も有名だ。

その書店を率いたのはシルヴィア・ビーチという女性だが、この元祖の書店がドイツ占領下で閉店となったあと、彼女の仕事に大きな霊感を受けて同じ名 の店を開いたのは、ジョージ・ホイットマンという男性だった。店はいまもセーヌ川を挟んでノートルダム大聖堂と向かいあうビュシュリ通りで営業をつづけて おり、上階のアパートにはジョージ自身も住んでいる。

書店の目的は本を売ることだが、それのみならず、本を介して場を作れるところがほかの商店とちがう。ドラッグストアーが売り物で場を作ることはむず かしいが、本ならばトークショーや朗読会というふうにさまざまな方向に広がっていける。人と人をつなぐメディアとなり、知を引き渡す役を果すものとして、 本の上をいくものを探すのはむずかしい。いまの若い人たちがカフェやギャラリーなどで古書を一緒に売るのも、そうした本の潜在力をどこかで直感しているか らだろう。

2000年のはじめにこの書店にカナダ人の青年がやってきた。所持金が尽きかかっているのに、国にもどれない事情があり、にっちもさっちもいかない 状態でこの書店に拾われたのだった。店主のジョージは無類の読書家と理想主義の行動家というふたつの顔をあわせもち、開店当初から行き場のない人に宿と食 事を提供してきた。書店が無料宿泊所も兼ねていたのである。

こうしてジェレミー・マーサーは店の手伝いをしながら数ヶ月間滞在した。当時20代後半だった彼がそこで出会った人々や見聞きした出来事を綴ったの がこの本だが、だれもが自意識過剰で、文学をかじり、物書きを夢み、根拠のない自信と、根拠のあるコンプレックスのあいだを揺れ動いていて、書店にたむろ する人に共通のにおいが立ちこめている。21世紀のことが書いてあるのに、60,70年代のシーンを見ているような感じもある。

その理由はなによりもジョージ・ホイットマンその人にあるのだろう。名前を見ておわかりのとおり、フランス人ではない。1913年、アメリカ東海岸 に生まれ、子どものときから本の虫だった。十代で破天荒なビジネスマンの父に連れられて家族とともに中国で1年過ごし、その後アジアと中東を巡る。この父 親ゆずりの冒険心がジョージにも乗り移り、大学のジャーナリズム科を卒業した後、世界放浪がはじまる。やがてパリに定着し、シルヴィア・ビーチと同じよう に「パリのアメリカ人」となったのだが、これはパリが異邦人に居心地のいい街であるだけが理由でなく、アメリカで反共運動がはじまり、共産主義の思想に燃 える彼のような人物がいずらくなったことも大きかった。

異国に長くいると母国語の本に飢える。だから書店の萌芽が彼が最初に住みついたパリの一室で芽生えたという話は、よく理解できる。英語の蔵書がうず たかく積み上げられたその部屋には旅人がよく本を借りにきた。ジョージはつねにパンとスープを用意し、彼らをもてなしながら書物談義にふけった。そうなる と宿を提供するまでもう一歩である。本好きで知性を共有できる相手しか来ないから、本が人を選んでくれているわけで、彼のユートピア思想は膨らんでいく。

だが、人通りの多い路上に書店を構えるのは、小さなアパートに人を招きいれるのとはわけがちがう。何年もろう城している詩人がいるかと思えば、無責 任にやってきて去っていく人があとをたたない。理想主義者のジョージは物事の管理には一切興味はなく、秩序を保つものはむずかしい。もちろん経営状態もお もわしくない。

ジェレミー・マーサーは、そんな書店の混乱ぶりを、出会った仲間や自分のライフストーリーと織り交ぜながら語っていく。少々話が広がりすぎで、だれ がだれやらわかりにくいところもあるが、ジョージには店に出入りする奇人が束になってかかってきてもゆらがない分銅のようなキャラクターがあり、混乱しが ちな小宇宙の羅針盤になっている。現実感覚に乏しく、理想を追い求め、私利私欲ではぜったいに動かないところが徹底しているのだ。

ジョージが体現してきた「異邦人」「放浪」「本」という3点セットの価値観が、清水のように流れていて、現代の物語にもかかわらず、そうと思えない ような懐かしさが漂っている。矛盾した人間性と前後をかえりみない彼の行動力に、歴史を生きてきた人の重みがにじんでいて印象深い。ネット社会がいくら浸 透しても、この3点の普遍性は変らないだろう。人間が人間であるかぎりは。



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2010年5月26日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年05月24日

『イスラームと西洋—ジャック・デリダとの出会い、対話』シェリフ,ムスタファ(駿河台出版社 )

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「地中海の子、デリダ」

 著者のムスタファ・シェリフは、デリダの生まれた国アルジェリアのイスラーム学者であり、駐エジプト大使や高等教育大臣を歴任した政治家で、哲学者であ る。著者はデリダの哲学に心酔しており、2000年の3月に、デリダをパリのアラブ世界研究所で開催されたシンポジウムに招待した。デリダは病気が悪化し ていたにもかかわらず、病院での検査の後に、このシンポジウムに直行したという。

 シェリフはイスラーム世界の有力な知識人として知られているが、2006年に起きたムハンマド風刺画事件に関連して、「イスラーム意見 番」(p.155)として活躍した逸話が有名だ。ローマ教皇がこの問題についてレーゲンスブルク大学で発言して、イスラーム世界から批判をうけたことか ら、ローマ教皇がシェリフを招いて、助言を求めたのだった。

 このシンポジウムに招かれたデリダは、まとめたスピーチを行える状態ではなく、シェリフの質問に回答するという形で発言しているが、あくまで「ア ルジェリア人としてお話したいと思います」(p.42)という姿勢を崩さない。そして西洋世界とイスラーム世界の「両岸をむすびつけ」る(p.133)と いう役割をはたすべく、ごく平易な言葉で語りかけているので、デリダの晩年の思想の入門としても役立つ書物になっている。

 アルジェリアがデリダが受け継いだ「遺産」について、デリダはこう語る。自分はヨーロッパの思想にたいして「ある種の周縁から、ある種の外部から 投げかけるように数々の問いを提示してきた」(p.45)が、それができたのは自分が「単なるフランス人でもなく単なるアフリカ人でもない、言うなれば地 中海の子供」だったことが大きく影響していると想起する。

 そしてデリダは、イスラームと西洋の相互の利益のために「民主主義の普遍主義」を求めていると語る。これは現在の地球には存在していない民主主 義、「来たるべき民主主義」である。デリダにとって民主主義というモデルは、「自らの歴史性、すなわち自らの将来を受け入れ、自己批判を受け入れ、改善可 能性(ペルフェクティビリテ)を受け入れるという、いわばモデルをもたないモデルという独特な政治体制」(p.58)であると信じているからである。

 とは言いながらもデリダは、この民主主義を実現するためには国家という体制もまた必要であると考えている。「国家なるものはいくつかの条件におい て、……非宗教性、あるいは諸宗教的共同体の生活の保証人でありうるのです。国家は、何らかの経済的勢力、度を越した経済的な集中、経済的権力をもつ国際 的な勢力に抵抗することができます」(p.70)と考えるからである。

 デリダのこの姿勢は、グローバリゼーションに対する姿勢とも一貫する。デリダは「グローバリゼーションなるものは生じていない」(p.82)と断 定する。帝国であろうとするアメリカにたいして、地球的な抵抗が生じているからであり、「ヨーロッパは、自らを作り直し、アメリカ合衆国の覇権主義的な一 方通行主義(ユニラテラリズム)とは一線を画し、そこから袂を分かつと同時に、世界にあって、アラブ・イスラーム世界同様にいつ何時でも、〈来たるべき民 主主義〉を達成する用意がある勢力とともに、新たな責任を担おうとしている」(p.83)と判断するからである。

 デリダがグローバリゼーションが「生じていない」と主張するのは、文明はあくまでも多元的なものであり、多元的なものでありつづけるべきだと考え るからである。「多元性といっていも私は他者性という意味て使っていますが、差異の原理、他者性への敬意、これらのは文明の根源とも言えます。だから私 は、均質て普遍的な文明というものは想像できません」(p.108)と語るのである。

 短い対話ではあるが、『他者の言語』『たった一つの、私のものではない言葉』「信仰と知」『マルクスの亡霊たち』などの書物のエッセンスが、イス ラーム世界との対話という形で表明されていて、分かりやすい。


【書誌情報】
■イスラームと西洋—ジャック・デリダとの出会い、対話
■シェリフ,ムスタファ/著
■小幡谷友二/訳
■駿河台出版社
■2007/10/10
■165,17p / 21cm / A5
■ISBN 9784411003775
■定価 1785円

●目次
序論 何にもまして友情が大切である
第1章 諸文明の未来
第2章 討論
第3章 アルジェリア人としての経験と思い出
第4章 東洋と西洋、同質性と差異
第5章 不正行為と急進的潮流
第6章 区別するべきか、関連づけるべきか?
第7章 進歩は完全である一方で不完全でもある
結論 私たちの生活には異なる他者が不可欠である
対談後記 南海岸からのアデュー、ジャック・デリダへ


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ひとりの午後に [著]上野千鶴子

[掲 載]2010年5月23日

 ジェンダー研究を牽引(けんいん)してきた著者も還暦をすぎた。母を送り、父を送り、自分と「死」との間の障壁を失い「吹きさらし」 の身となった今、両親のことや幼き日のこと、「おひとりさま」の暮らしぶりなどの心根を、柔らかい言葉でつづった。「大学院に『入院』し、モラトリアム人 生を送っていた」と振り返る20代。そんな時代を経たからこそ上野研究室には「行き場のない学生たちが、なんとなくたむろ」する。嫌悪すらした母の死後、 服喪の思いで母の香水を身につけ、父の骨つぼのたたずまいに胸を痛めもする。行間に、著者の人生の軌跡が染みている。

表紙画像

ひとりの午後に

著者:上野 千鶴子

出版社:日本放 送出版協会   価格:¥ 1,365

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ペンは世界を変える—行動する文学者集団の90年 [著]堀武昭

[掲載]2010年5月23日

 今年9月、国際ペンの世界大会が26年ぶりに東京で開かれる。日本ペンクラブ常務理事で 2002年に日本人で初めて国際ペンの理事になった著者が、国際ペンの90年の歴史を概説し、今回の東京大会の意義や日本ペンの役割などを説く。表現の自 由、平和への活動を旨とする国際運動組織ではあるが、国際政治と無縁ではありえず、東西対立や中東情勢に振り回され続けてきた。タフでなければ渡り合えな い国際組織の内情にはため息が出るが、少数言語や翻訳、巨大ネット企業との著作権をめぐる闘いなど、日本ペンの活動ぶりと理念がわかりやすく書かれ、勇気 づけられる。

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祭りの季節 [著]池内紀

[掲載]2010 年5月23日

  • [評者]平松洋子(エッセイスト)

■ひたひたと近づく郷愁の足音

 ドイツ文学者、池内紀の十数年におよぶ長い旅、祭りめぐりの足跡がここにある。

 北海道木古内の「寒中みそぎ」から長崎玉之浦の「大宝砂打ち」まで、なつかしい三十六の祭礼。北に、南に、こんな祭りがあるの か。伝承行事の綿密な記録に驚くとともに、資料を携え、はるばるたどり着いた土地に佇(たたず)む著者のすがたが浮かび上がる。

 「ちょうど私は五十五歳を迎える前で、三十年の教師生活にケリをつけ、べつの生き方を心に決めていた」

 祭りの季節を追う。それは、個を生きようとする人生の表明であり、ひとりの日本人として、消えかける地縁社会、根枯れ寸前の伝 承文化を手がかりに日本を考察する契機でもあった。

 昭和二十年代、夏祭りの夜。羽織はかま、顔におしろい、唇に紅、額に黒いチョボ、つかのま池内少年は武者に変身した。祭りが終 われば煌々(こうこう)と明るい境内から一転、暗闇のなかランニングシャツで家路につく——雪洞(ぼんぼり)のように灯(とも)る著者の記憶が、日本人の 心の深層に棲(す)む幻影を誘いだす。各地の祭りのにぎわいの彼方(かなた)からひたひたと郷愁の足音が近づき、胸が疼(うず)く。

表紙画像

祭りの季節

著者:池内 紀

出版社:みすず書房   価格:¥ 3,360

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「環境主義」は本当に正しいか?―チェコ大統領が温暖化論争に警告する [著]ヴァーツラフ・クラウス

[掲載]2010年5月23日

  • [評者]久保文明(東京大学教授・アメリカ政治)

■主流派の学説に疑義 刺激的な書

 著者はブッシュ前大統領のような共和党保守派の政治家ではなく、長らく社会主義の桎梏(しっこく)の下で自由を渇望したチェコの大 統領である。その著者が、危機に瀕(ひん)しているのは環境ではなく人間の自由であると訴える。

 経済学博士でもある著者は、地球温暖化を支持する学説を正面から批判する。本書によれば、すべての国が京都議定書に従ったとし ても、「温暖化は五〇年ごとに〇・〇七℃しか防ぐことにしかならない」。ただし著者は、環境保護のための施策を否定していない。反対しているのは、環境主 義に対してである。

 経済成長と技術の進歩によって、十分対応可能であるというのが著者の立場である。そして著者は、環境主義者と社会主義者はどち らも、複雑な人間社会のシステムを無理やり管理しようとしても失敗するであろうと断言する。

 本書はいろいろなことを考えさせる。

 (1)主流派の学説は完全に正しいか。もとより、評者には、どちらの学説が正しいかを判断する能力はない。本書は科学者の世界 では少数派の意見のようである。ただ、自然科学の歴史を振り返ると、多数派が間違うこともあった。一定の不確かさが残ることは確かである。

 (2)解決策はきわめて徹底的なものでなければならないか。それとも、経済成長を許容するものであるべきか。途上国も含め、経 済成長と自由への願望は完全に犠牲にされるべきか。

 (3)関連して、毎日を必死で生きている国内外の人間の幸福と福祉はどの程度尊重されるべきであろうか。これは、家計に年間少 なくとも数十万円の新たな負担を負わせてまで、エネルギー効率の高い日本が地球温暖化対策を実施すべきかという問題にも行き着く。

 2009年、国連の「気候変動に関する政府間パネル」の第4次報告書にデータ捏造(ねつぞう)疑惑が発覚したことも記憶に新し い。環境保護を、「絶対的真実」と信奉し、謙虚さに欠けた宗教にしてはならないであろう。批判も多いと想像されるが、刺激的な書であることは確かである。

    ◇

 若田部昌澄監修・住友進訳/Václav Klaus チェコ共和国大統領。経済学博士。

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創造—生物多様性を守るためのアピール [著]エドワード・O・ウィルソン

[掲載]2010年5月23日

  • [評者]辻篤子(本社論説委員)

■立場の違い超えた人間の「務め」

 生物の種が、生まれる速さの100倍以上の猛烈な速さで絶滅しつつある。約6500万年前、地球史上5度目の大絶滅では巨大隕石 (いんせき)が恐竜を滅ぼした。

 6度目の今度は、人類が現代の巨大隕石だという。それが私たち自身の危機でもあることに気づかねばならない。

 アリ学の世界的な権威で、今や伝説的な生物学者であり、「生物多様性」という概念を初めて提唱したことでも知られる著者による 警告の書である。

 「アリ」などの著書で2度ピュリツァー賞を受賞した書き手がつむぐ、生き物たちへの愛情あふれる言葉が胸にしみる。生物の有用 性からの多様性論とは一線を画した書でもある。

 まずは、天地創造を思わせる書名にたじろがないことだ。進化をめぐる科学と宗教の対立が背景にあるが、著者の意図は、立場の違 いを超えた人間としての務めを明らかにすることだ。

 種の絶滅というと、私たちはとかく大きな動物に目がいきがちだ。しかし、著者は、植物や昆虫、微生物などの小さな生き物にこ そ、もっと敬意が払われるべきだとする。人間が望むような形で世界を運営してくれている。つまり、彼らが作り出した環境に適応することで、人間は進化して きたからだ。

 「都市周辺だけのさなぎのような世界」では、人間は本来、健全に生きられないのだ。

 問題は、ほとんどの人が自然環境のことを心配しながら、なぜ心配するのか理解していないことにあるという。背景にあるのは、科 学教育の不十分さだ。私たちに大きな影響を与える現代生物学が、爆発的に進んで理解が届きにくいこともある。

 それぞれ大きな問題だが、解決する道はこれらを一つの問題にすることだという。

 鍵は生きた大自然にある。私たちの生命はそれによってかろうじて支えられていることを理解することが出発点という。生物学はど う教えられるべきか。ハーバード大での人気講義の一端も明かされて興味深い。

 生物多様性条約の第10回締約国会議が10月、名古屋で開かれる。その前に一読を勧めたい。

    ◇

 岸由二訳/Edward O. Wilson 29年生まれ。社会生物学者。

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創造—生物多様性を守るためのアピール

著者:エドワード・O.ウィルソン

出 版社:紀伊國屋書店   価格:¥ 1,995

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テロと殉教—「文明の衝突」をこえて [著]ジル・ケペル

[掲載]2010年5月23日

  • [評者]奥泉光(作家・近畿大学教授)

■災厄をもたらした、二つの大きな物語

 私たちはさまざまな〈物語〉で世界を解釈しつつ日々を生きている。何かしらの〈物語〉が紡がれることなしに、私たちは自分の生きる 世界について知りえない。それは個人や家族の小さな〈物語〉から、国家や民族の〈物語〉までを含む。ある程度の大きさを持った〈物語〉が共有されること は、社会の統合にとって必須であるが、一方で、ときに出現する〈大きな物語〉が、人々をまるごとのみ込んで、厄災をもたらしもしてきた。日本の歴史に即せ ば、二十世紀半ばの戦争はそのような経験であったといえるだろう。

 イスラム研究者であるフランス人によって書かれた本書は、「9・11テロ」以降、世界史の舞台に登場した二つの〈大きな物語〉 をとりあげ論じる。表題である「テロ」と「殉教」がそれである。

 息子ブッシュの政権に代表される新保守主義陣営が打ち出し、タリバーン政権下のアフガニスタンへの介入から、イラクのフセイン 独裁体制打倒に至る軍事行動となって具体化した正義の「対テロ戦争」。アメリカ国内にとどまらず世界の多くの陣営をのみ込んだこの〈物語〉に最初の一章が さかれる。それは失敗の記録である。「対テロ戦争」がむしろテロを拡散させ、穏健なイスラム大衆を過激なジハードへ傾斜させるという、最悪の結果を生ん だ、〈大きな物語〉の破綻(はたん)と厄災の様相が、ここでは整理よく述べられる。

 続く二章と三章では、アルカイダをはじめとするイスラム過激派が主導し、自爆テロの形で具体化される「殉教」の〈物語〉が俎上 (そじょう)にあげられる。イスラム世界の歴史や地勢に広く眼(め)を配りつつ、捉(とら)えにくい地下組織の動向を著者は丹念に追う。その結果、過激派 の動きを軸にしながら、むしろイスラム世界の多様性や、さまざまな対立の構図が立体的に浮かび上がることになった。

 過激なジハード主義者たちは、ネット社会の特性を利用し、ウェブを通じて「殉教」の〈物語〉の種を蒔(ま)き、そこここで育成 する戦略をとりつつあると著者はいう。しかし一方で、多様な〈物語〉を元来備えるイスラム世界が、そうやすやすと単一の〈大きな物語〉にのみ込まれてはい かないはずだとの観測も述べる。そして第四章と終章では、〈大きな物語〉の覇権ではなく、無数の〈小さな物語〉がせめぎ合い混じり合うなかから、異質な人 々が共に生きる世界は作られるべきであり、それしか選択肢はないのだと主張する。その実践の場として、イスラム社会と長く関(かか)わってきたヨーロッパ の役割を強調するとともに、異文化の自律性を尊重するとしながら、結果的に異文化間の交流を否定する多文化主義への批判を展開する。

 目立たない〈小さな物語〉をすくいあげる一方で、〈大きな物語〉を支える悪(あ)しき文学性を批判するのが文学である以上、文 学の果たすべき役割は小さくないはずだと、小説家である評者は、明快な論述に一々頷(うなず)かされながら、密(ひそ)かに考えた。

    ◇

 丸岡高弘訳/Gilles Kepel 55年生まれ。パリ政治学院教授でフランスを代表する現代アラブ研究者。邦訳に『宗教 の復讐(ふくしゅう)』『ジハードとフィトナ』『ジハード』がある。

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テロと殉教—「文明の衝突」をこえて

著者:ジル ケペル

出 版社:産業図書   価格:¥ 3,360

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宗教の復讐

著者:ジル ケペル

出版社:晶文社   価格:¥ 3,670

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ジハードとフィトナ イスラム精神の戦い

著者:ジル・ケペル

出 版社:NTT出版   価格:¥ 3,360

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ジハード—イスラム主義の発展と衰退

著者:ジル ケペル

出 版社:産業図書   価格:¥ 5,460