2009年3月31日火曜日

asahi shohyo 書評

きのこ文学大全 [著]飯沢耕太郎

[掲載]週刊朝日2009年2月13日号

  • [評者]青木るえか

■キノコ的脱力感にあふれていて良い

 いったいどういう趣旨の本なのかわからないまま、でも「これはぜったいに読まねばならない」という衝動に突き動かされ、ただちに買った。そして読んだ。そして深く感動した。

 要するに、広義の文学(小説や詩のみならずマンガや歌詞から舞踊に至るまで)に扱われた「キノコ」をピックアップし、文学に扱 われた「キノコ」が、いかに文学に不思議な味わいを与えるか、を教えてくれる本だ。これだけたくさんの「文学の中のキノコ」を並べて見せられると、なるほ どキノコというものが、食べるだけではなく文字や音楽として見聞きするだけでも一種の幻覚作用のようなものをもたらすことがよくわかる。文学の中のセック ス、文学の中の死、なんて味が濃すぎる。うまみ調味料の入れすぎのような濃さとでもいおうか。ジャンクフードばかり食べてると舌がバカになるというが、 セックス文学や死文学ばっかり読んでると文学脳もバカになるのではないか。たまにはキノコ文学で脳を浄化させなくては、という気持ちにさせられる。

 それは、セレクトされた「文学キノコ」につけられた著者のコメントがなかなかキノコ的脱力感にあふれていて良い、というのもあ るのだろう。たとえば、安部譲二の『きのこ』という小説を取り上げて「本来ここで取り上げるべき作品ではない」「小説中にきのこがまったく出てこない」 「ではなぜタイトルが『きのこ』なのか」。それは主人公の飼い猫が「きのこ」という名前だからで、小説としてはなかなか面白かったと述べる。けれどキノコ とは無関係な文学である。「でもなぜ猫の名前が『きのこ』なのか、最後まで説明はない」とこの紹介文を〆る。ああ、この気の抜けたサイダーを飲んだような ぬるい気分。これこそキノコ文学にふさわしい。

 古今東西ものすごい文学からキノコを採集している。『男おいどん』に出てくる有名な「サルマタケ」の学名まで考えてあるのはさすがである。ちなみに「Coprinus sarmata」だそうだ。

表紙画像

きのこ文学大全 (平凡社新書)

著者:飯沢 耕太郎

出版社:平凡社   価格:¥ 924

asahi shohyo 書評

ファッションの社会学 [著]フレデリック・モネイロン

[掲載]週刊朝日2009年4月3日号

  • [評者]海野弘

■ファッション論の地図が展開されている

  〈ファッション〉は、現代ではだれでも知っていて、何にでも使うが、あらためて〈ファッション〉とはなにかと考えないようなことばである。したがって、ア カデミックな学問では〈ファッション〉はとりあげられなかった。なにしろ移り変わる軽薄な現象にすぎないので、学問の対象になりにくいのである。

 しかし現代のあらゆる面に〈ファッション〉は関わってくるから、逆に〈ファッション〉によって世界を読み取っていくことができるのではないかと思われるようになり、やっと〈ファッション〉も学問や歴史として研究されるようになった。

〈ファッション〉はさまざまな領域にまたがっている。生活史、美術史、経済学、社会学、心理学など。そのために脱境界的な視野が 必要となる。この本は、近代の個人の成立のうしろに〈ファッション〉の誕生を見据えて、〈ファッション〉が現代にどのように研究されてきたかを、非常に手 際よくまとめてくれる。ロラン・バルトからブルデューにいたるファッションの構造論から、ホランダーなどのジェンダーによってファッションを読み取るフェ ミニズム論まで、現代のファッション論の地図が展開され、とても参考になる。

 著者のフレデリック・モネイロンはフランスで文学とファッションの社会学を教えているという。

 私にとっても〈ファッション〉は興味のあるテーマだったが、なかなかいい本がなかった。流れ去ってしまうものをどうやってとら えたらいいのか。バルトの『モードの体系』は出色の研究であったが、複雑な記号解析の割には結論がつまらない気がした。ファッションには人間的な面白さが 伴っていて、それが抽象化されると、魅力がなくなるのである。

 この本では、記号論だけでなく、社会学、風俗史、美術史などの総合の中で〈ファッション〉がさぐられ、それぞれ、研究がどのような状況にあるかを示し、これからの方向を考えるのにヒントを与えてくれる。

    ◇

 北浦春香訳

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モードの体系—その言語表現による記号学的分析

著者:ロラン・バルト

出版社:みすず書房   価格:¥ 7,035

asahi shohyo 書評

長い20世紀—資本、権力、そして現代の系譜 [著]ジョヴァンニ・アリギ

[掲載]2009年3月29日

  • [評者]柄谷行人(評論家)

■米国の衰退、兆候は70年代から

  サブプライムローンの破綻(はたん)をきっかけにしたアメリカの金融危機と世界的不況は、不意打ちであるかのように見えた。人々はにわかに1929年恐慌 を想起し、また、アメリカの没落を認めるようになった。しかし、1994年に出版された本書にはすでに、なぜアメリカが金融帝国に向かったか、そして、そ れがなぜアメリカの衰退の兆候でしかなかったかが告げられている。たんに混乱をあおるだけで何の洞察もない本や雑誌を読みあさるなら、せめて、こういう本 に目を通すべきであろう。

 本書は、近代世界システムの変遷を、ヘゲモニー国家の交替(こうたい)という観点から見ている。それは、ジェノヴァ、オラン ダ、イギリス、アメリカという順におこった。それらを比較考察して、著者はつぎのような法則性を見いだす。初期の段階では、「生産拡大」の傾向があり、末 期には「金融拡大」の傾向が見られる。著者はこれを、資本の蓄積システムのサイクルという観点から見る。初期には交易や生産に投資することによって蓄積し ようとするために、生産拡大が生じ、末期には、金融だけで蓄積しようとするために、金融拡大が生じる、というのである。

 著者は、アナール学派の歴史家ブローデルを継承しつつ「近代世界システム」を解明してきた、ウォーラーステインの共同研究者で あった。ゆえに、類似する点が多いのは当然である。このようなサイクルに関しても、似たようなことが指摘されてきた。コンドラチェフの長期波動(景気循 環)や、それよりも長いブローデルの「長期的サイクル」が、その例である。だが、それらは、物価の長期的変動の観察にもとづくものだから、近代資本主義以 前にもあてはまる。それでは、資本の蓄積(自己増殖)のシステムに固有の現象をとらえることができない、と著者はいう。

 恐慌(危機)はふつう「過剰生産」という観点からみられる。しかし、マルクスは「過剰資本」の危機をも考察していた。それは、 資本が生産や貿易への投資では十分な利潤率を得られないときに生じる。そこから見ると、現在の危機が1970年代からはじまったことがわかる。アメリカは 製造業において日本やドイツに追いつめられ、「過剰資本」の処理に苦しんで、世界各地にバブルをおこし、最後の住宅バブルで致命的な破綻にいたったのであ る。しかし、これは特に新しい出来事ではない。ジェノヴァ、オランダ、イギリスが没落しはじめたときにも、似たような現象があった。

 では、アメリカの没落のあとはどうなるのか。著者は、東アジアの経済にヘゲモニーが移ると予測する。本書では1980年代に構 想されたせいで、日本が中心になっているが、「日本語版序文」では、それを修正して、中国を中心にしている。いずれにせよ、東アジアへのヘゲモニーの移動 はスムースに起こるわけではない。アメリカやヨーロッパが抵抗するに決まっているからだ。今後に生じるのは、各地の帝国(広域国家)がせめぎあう、いわ ば、新帝国主義の時代である。

    ◇

 The Long Twentieth Century

 土佐弘之監訳/Giovanni Arrighi 37年イタリア生まれ、米国在住の社会学者。現在はジョン・ホプキンス大教授。世界システム論の代表的論者の一人。

表紙画像

長い20世紀—資本、権力、そして現代の系譜

著者:ジョヴァンニ・アリギ

出版社:作品社   価格:¥ 5,460

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無一文の億万長者 [著]コナー・オクレリー

[掲載]2009年3月29日

  • [評者]橋爪紳也(建築史家、大阪府立大学教授)

■援助や慈善にこそビジネスの才覚を

  知人の顔が浮かんだ。30年近く前の話である。彼が手がけた新商売は、太平洋の島々に出かける日本人旅行者向けの土産物の製造販売であった。南国気分を損 ねないようにトロピカルなパッケージを創案、わざと誤字の交じるカタコトの日本語で商品説明を記した。異国の業者が企画した商品だと観光客が勘違いをする ように工夫したわけだ。サイパンに会社を設けて準備は周到であったが、免税品店に売り場を確保することができない。参入の難しさを嘆いていたことを思い出 す。

 本書は、海外旅行者を対象としたDFS(デューティー・フリー・ショッパーズ)を創業したチャック・フィーニーの物語だ。駐留 米兵向けに始めた酒の販売を手がかりに、香港を拠点に各国で免税品店を展開する。日本人の海外旅行ブームが追い風となり、ビジネスは成功した。職場や親類 への土産にと、洋酒や香水、化粧品を山のように買い求める金払いのよい日本人が大型店舗に殺到した。

 フィーニーはついに億万長者になった。しかし話は単なる立志伝では終わらない。彼は全財産をみずから設立した財団に寄託、自身 で真価を見極めた事業に生半可ではない巨額の寄付を行う日々に転じる。莫大(ばくだい)な資産は2020年ごろに使い果たす約束だ。「死に装束にポケット はない」「富は責任を伴う」など、彼の生きざまに由来する金言が本書にちりばめられている。

 しかもフィーニーは名前が世にでることを拒み、完全な匿名とすることを寄付の条件とした。家も持たず、飛行機での移動はエコノミークラスで通すなど、生活も徹底的に節約した。日本にも陰徳の伝統はあるが、ここまで極める人はまずいない。

 アイルランドでの大学の拡充やベトナムの病院への支援など、彼の寄付事業が見事に開花した点が素晴らしい。訳者があとがきで記 すように、寄付をする側にも寄付を受ける側にも、ビジネスセンスが重要であることに気づかされる。援助や慈善の分野にこそ、生きた金を使うビジネスの才覚 が必要なのだ。

    ◇

 THE BILLIONAIRE WHO WASN'T

 山形浩生ら訳/Coner O'Clery 北アイルランド出身のジャーナリスト。

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無一文の億万長者

著者:コナー・オクレリー

出版社:ダイヤモンド社   価格:¥ 2,100

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外国人研修生—時給300円の労働者2 [編]外国人研修生権利ネットワーク

[掲載]2009年3月29日

  「国際協力」や「技術移転」という美名の下、主に中国からの研修生・実習生を安い労働力として酷使する「外国人研修・技能実習制度」。その驚くべき実態 を、18人の筆者がそれぞれの立場から告発した1冊だ。日本到着と同時にパスポートを取り上げられての長時間労働。1時間300円の時間外手当。「人買い のうまみ」に暗躍する日本の闇社会や中国人ブローカー。「現代の奴隷」として働かされる彼らの権利を守ることは「日本の労働者の権利を守ること」だと警鐘 を鳴らす。

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言葉は身振りから進化した—進化心理学が探る言語の起源 [著]マイケル・コーバリス

[掲載]2009年3月29日

  • [評者]耳塚寛明(お茶の水女子大学教授・教育社会学)

■「手は口ほどに」ものを言うのだ

 おもしろい本である。テーマは人間の言語の起源と進化。言語は、手(ジェスチャー、身振<みぶ>り)からはじまり、口(音声言語)へと進化したという主張である。

 15万年前ホモ・サピエンスが出現した時代、言語は身振りで表現した。祖先は意図的に音声シグナルを生み出すのに適した体の構 造を持ってはいなかった。身振りによる言語は、どうやって「文法」を獲得して複雑な表現が可能になったのか。類人猿は身振りを使い続けるが、人間はなぜ音 声言語へと変わったのだろう。言語学、人類学、心理学、生物学などの知見を渉猟して、そうした謎解きを繰り返しながら、著者は言語の起源と進化の秘密に迫 る。

 本書を読んで私はいとも簡単にジェスチャー論信者になってしまったが、この理論の支持者はまだあまり多くないという。その真偽 はどうあれ、科学的知見を編んでジェスチャー論へと読者を追い込んで見せる知的躍動感が楽しい。原著者の要望だという"とってもくだけた"翻訳の文体も門 外漢にはうれしい。

 会話をするときに人がどれほど手を動かしているか、じっくり観察してみるとよい。言語機能は、手から口へと完全には移行しきっていないことに気づく。「手は口ほどに」ものを言うのである。

    ◇

 大久保街亜訳

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ブロデックの報告書 [著]フィリップ・クローデル

[掲載]2009年3月29日

  • [評者]奥泉光(作家、近畿大学教授)

■封印された事件の記録を頼まれた男

  中央ヨーロッパの、どことも知れぬ僻遠(へきえん)の村に一人の男が現れる。名前も目的も分からぬまま「よそ者」とだけ呼ばれる男は、村人の集団によって 殺害される。村に住むブロデックなる男が、事件の「報告書」を書くよう依頼されるところから幕を開ける長編は、探偵小説ふうの謎解き興味を一方の軸に据え つつ、ブロデック自身が実存の深部にまで沈降して、人間としての再生に向かう物語をいま一つの軸に、力強く推進していく。

 ブロデックは、公式の「報告書」を書く傍ら、いわば自身の魂の報告書とでもいうべき手記を書きはじめる。それがこの小説のテク ストをなす仕掛けなのだが、実は彼自身が「よそ者」であり、かつて戦争の時代、村を占領した異国の軍隊に「民族浄化」の実践を強要された村人から、生贄 (いけにえ)として差し出され、収容所へ送られた体験を持つ。ブロデックは犬のブロデックとなり、つまり人間であることをやめることで、かろうじて収容所 から生きて帰ったのだ。

 ブロデックは記憶を封印し、再び村で暮らしているのであるが、「よそ者」の殺人事件を記録し、村人が封印し消し去った過去の傷を暴き出す過程で、自らの記憶を取り戻していくことになる。それは犬のブロデックの、人間としての魂の恢復(かいふく)の過程でもあるだろう。

 実は、ブロデックが村の人間から求められた「報告書」とは、出来事を記録するためのものではない。むしろ出来事を消し去り、忘 却すべく、贋(にせ)の物語を編むことを彼は期待されているので、だからこそブロデックはひそかに手記を書き記すのだが、ここには歴史と記憶をめぐる問 題、歴史記述の真理性と虚構性をめぐる、二十世紀から今世紀にまで持ち越された主題がある。さらには異質なものを排除することで維持される共同体のシステ ムという、人類の創世にさかのぼり、いまなおリアルであり続けている問題も中心にあって、これらきわめて重大かつ困難な主題群を、巧みな構成と、叙情性と 緊張感がひとつになった文章でもって描き出す作家の意欲と手腕には脱帽だ。

    ◇

 LE RAPPORT DE BRODECK

 高橋啓訳/Philippe Claudel フランスの作家。『リンさんの小さな子』ほか。

表紙画像

ブロデックの報告書

著者:フィリップ・クローデル

出版社:みすず書房   価格:¥ 2,940

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リンさんの小さな子

著者:フィリップ クローデル

出版社:みすず書房   価格:¥ 1,890

asahi shohyo 書評

ゼノンのパラドックス [著]ジョセフ・メイザー

[掲載]2009年3月29日

  • [評者]尾関章(本社論説副主幹)

■アキレスと亀の不思議、再び知の前線に

 春らしい問いが、この本の一節に出てくる。「誰でも庭の草花を見たことがあるが、草花が伸びるのを見たことがある者がいるだろうか」

 古代ギリシャの哲学者ゼノンが示した矢の逆説に通じる話だ。「個々の瞬間にものが動いていることはありえない」から、矢は飛ばない。同様に、一瞬目にとめた花に変化がなければ、それは生長しないのではないか。

 ゼノンの逆説は、俊足アキレスが鈍足の亀に追いつけない話など、ほかにもある。極微の時間や空間に目を向けた思索の産物だ。

 私たちは「微視的なレベルの感覚経験にはなじんでおらず(中略)直感に反する不思議に遭遇する」。その不思議をゼノンは思考実験で浮かび上がらせたのだ。人類がナノ世界に踏み込む2500年ほども前に、である。

 迷宮から抜け出す道はあるのか。著者は、選択肢は三つだという。時間や空間について、無限個の点でできていると考えるか、点の集まりという見方を捨てるか、時間や空間の実在を否定するか。

 近代科学は「無限個の点」の道を突き進んで「ゼノンの懸念を片づけた」かに見えた。ニュートン物理学が、無限の小ささを極める微積分の数学で自然界のなめらかな動きを描きだしたのである。

 だが、20世紀物理の登場で様相は変わった。量子力学によると、原子核の周りの電子は「とびとびの飛躍による軌道の変更」しかできない。数学は、現実世界をとらえきれてはいないらしい。

 「ゼノンの逆説が、単純な微積分による論法で答えられたと言って放置されず、再び戻って来たことを、ゼノンは喜んでいるのではないか」

 著者は「意識の流れ」や脳のしくみにも思いを巡らす。

 この世界は、実は動画の齣(こま)の連なりのようなもので、脳が「アニメの齣を補うこと」でなめらかに見えるのか、逆に世界の動きはなめらかで、それを「ストロボ光を通して」見ているのか。迷宮の出口は再び深い霧の中だ。

 飛ばない矢や、追いつかないアキレスが、知の前線に帰ってきた。

    ◇

 THE MOTION PARADOX

 松浦俊輔訳/Joseph Mazur 数学者。著書に『数学と論理をめぐる不思議な冒険』。

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数学と論理をめぐる不思議な冒険

著者:ジョセフ・メイザー

出版社:日経BP社   価格:¥ 2,100

asahi society life guest house Tokyo

山谷は高くて 窓なし1日9百円「押し入れハウス」増加

2009年3月31日6時7分

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写真:来日し、「押し入れハウス」で生活するオーストラリアからの学生=東京都台東区浅草2丁目、中田徹撮影来日し、「押し入れハウス」で生活するオーストラリアからの学生=東京都台東区浅草2丁目、中田徹撮影

 「押し入れハウス」などと呼ばれる、狭いが格安の宿が首都圏で増えている。先の見えない不況の中、1円でも安く夜露をしのぎたい人たちが身を寄せる。春、夜風はまだ冷たい。狭い寝床で見る夢はいったいどんな夢だろう。

 東京・浅草の雑居ビル。狭く薄暗い階段を上ると、細い廊下の両脇に引き戸がずらりと並んでいた。

 引き戸をあけると、細い板張りの寝床。高さ約90センチ、幅約80センチ、奥行き約180センチ。1畳に満たない広さだ。この寝床が上下に2段ある。

 窓はなく、蛍光灯を消すと闇に包まれる。寝袋に入って横たわると、近くの部屋の「住人」のくしゃみやいびきが薄い壁越しに聞こえた。

 30日朝、ウズベキスタンからの留学生(25)が一室から出てきた。「寝坊しました」といい、洗面台に急いだ。

 家賃は光熱費込みで月2万7千円。1日900円の計算だ。シャワーとトイレ、台所は共同。敷金・礼金はない。

 大家の男性(40)は約10年前から裁判所の競売物件を買っては、押し入れハウスや約2畳の個室に改装してきた。現在は首都圏に7軒ある。

 学生時代の貧乏旅行の経験から、日本にも外国人旅行者が安く泊まれるゲストハウスをつくりたかった。これまでは中国や韓国からの留学生が主だったが、昨 年の金融危機以降は留学生が減り、20〜50代の日本人のフリーター、欧州からのワーキングホリデーの学生が半々になった。

 沖縄県出身の男性(27)は「どうせ夜寝るだけだから、家賃がもったいない」。ソフトウエア開発会社に勤めながら、起業を夢見ている。

 不動産業の男性(39)は2畳ほどの安宿を東京・錦糸町近辺で経営する。今の住人の多くは30〜60代。女性専用の物件もある。生活保護を受ける人も多い。

男性の元には、仕事を求めて上京したいという、地方からの問い合わせがくる。「東京も不景気だけど、地方はもっとひどいんだね」

 一方、東京の日雇い労働者の暮らしを支えてきた簡易宿泊所。山谷の街では、「1泊2200円」「冷暖房完備」「全室カラーテレビ」という古びた看板が目に入る。

 この地区の旅館組合が把握する最も安い宿は相部屋で1泊900円。利用者の約8割が生活保護を受けている。個室を求めれば、1泊2千円台後半から。1カ月暮らせば宿泊料は7万円を超す。

 ここ数年は多くの宿が改装し、日雇い労働者から、外国人旅行者や学生へと客層が変わった。春休みに入って観光に来た家族連れや部活動のグループ、スーツ姿で就職活動のために上京した学生がとぎれることなく訪れるという。

 簡易宿泊所「ほていや」を営む帰山哲男さん(58)は「ネットカフェ難民には山谷は高い。現代の『ドヤ街』は都心のネットカフェやマンガ喫茶なのでは」と言った。(中村真理子、石田博士)



asahi society salaryman business person nintairyoku

今どきリーマン、体力より忍耐力 新社会人調査

2009年3月31日8時23分

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 ビジネス社会を生き抜くには「体力」よりも「忍耐力」——。住友生命保険が今春、自社に入社予定の164人に仕事についてアンケートをした結果、若者のそんなサラリーマン像が浮かび上がった。

 「ビジネス社会を生き抜くのに必要なもの」を選択してもらい、バブル期の20年前に実施した調査と比べた。今回、最も答えが多かったのは「行動力・実行力」で、バブル期と同じ14%。3位の「柔軟性」も9.7%で、割合は大きくは変わらなかった。

 差が出たのが「体力」。20年前は14.3%で最も重視されたが、今回は4.9%に激減。「国際感覚」も10.7%から2.1%に減った。

 逆に「忍耐力」はバブル期の3.1%から7.6%に増加。「根性」は、1.7%から4.9%に伸びた。同社は「ストレスを感じることが多くなった世相を反映しているのかも」と分析している。

 調査は2月後半に実施した。



asahi education society Shoin Yoshida Yamaguchi

「授業で吉田松陰」山口県教委が奨励 愛国心条項に対応

2009年3月31日10時5分

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写真:吉田松陰(肖像画)=山口県文書館提供吉田松陰(肖像画)=山口県文書館提供

図:  拡大  

 山口県教育委員会は4月から、明治維新に大きな影響を与えた長州藩(現山口県)出身の思想家、吉田松陰を授業などで取り上げることを県内すべての公立小 中学校に勧める。改正教育基本法に「愛国心条項」が盛り込まれたことに対応し、今年が松陰の没後150年であることに着目した。都道府県教委が特定の人物 を教えるよう全校に奨励するのは珍しい。

 県教委は09年度の新規事業として「ふるさとの先人に学ぶ教育の推進」を掲げ、「松陰の生き方や業績を題材に様々な取り組みを行う」としている。 県内全20市町教委の学校教育課長や指導主事らを集めた会議で周知する。義務教育課は「具体的な取り組み方は各校に任せるが、例えば、松陰をテーマとした 弁論大会や史跡訪問、カルタ遊びなどが考えられる。朝礼の講話や歌を歌うなどして業績を伝えてもいい」と話している。

 安倍内閣時代の06年に改正された教育基本法には、「教育の目標」の条項に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」 とする「愛国心条項」が加わった。これを反映した改訂学習指導要領が小学校で11年度、中学校で12年度から全面実施されることを踏まえ、県を挙げて取り 組むことにしたという。

 山口県からは松陰のほかにも、伊藤博文や高杉晋作ら維新の志士が多数輩出した。詩人の中原中也や金子みすゞも有名だ。松陰だけを特に奨励する理由について、同課は「没後150年で注目されている。高杉や伊藤もいるが、松陰は彼らを教えた人物だ」と説明する。

 尊王攘夷(じょうい)を説いた松陰は戦前の修身教育に利用された歴史がある。田中彰・北大名誉教授の著書「吉田松陰」によると、「忠君愛国」の理 想的人間像として鼓吹された。同課は「取り上げる松陰の教えは進取の気質や親を敬う気持ちが中心。天皇や日本に関する思想には触れない」と説明する。「松 陰の新しいことにチャレンジする生き方、平等思想は今も大事だ」として、取り組みは10年度以降も続ける方針だ。

 県教職員組合の井上寿幸委員長は「郷土の人物を取り上げることには反対しないが、松陰が偶像化され、評価が絶対のものになるのは感心しない」と話している。(成沢解語、清水謙司)