2012年7月31日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年07月27日

『森鷗外論 「エリ-ゼ来日事件」の隠された真相』 小平克 (おうふう)

森鴎外論―「エリ-ゼ来日事件」の隠された真相 →bookwebで購入

 最近『舞姫』のエリスのモデルと考えられるエリーゼ・ヴィーゲルトについて決定的な発見があり、エリス問題が再びかまびすしいが、そんなことは所詮モデル探しにすぎず、鷗外にも若気のあやまちがあったというだけで、文学とは関係がないという見方もあるだろう。

 エリーゼが『舞姫』という一短編のヒロインのモデルにすぎなかったらその通りにちがいないが、鷗外が彼女のことを終生思いつづけ、多くの作品に陰に陽に彼女の面影を書きこんでいたとしたら、文学とは無関係とはいえなくなるかもしれない。

 そもそも諦念の人といわれ、『ヰタ・セクスアリス』で性欲を冷笑的に腑分けしてみせた鷗外が一人の女性を思いつづけるなどということがあったのだろうか。

 それがあったらしいのである。小堀杏奴は『晩年の父』で鷗外がエリーゼと長く文通をつづけ、亡くなる直前に彼女の写真や書簡をすべて焼却したとい う話を伝えているが、「はじめて理解できた『父・鷗外』」(1979)という文章では小学校に通う途中にある荒物屋の十三、四歳の少年店員が彼女に「生き 写し」だったと語っているという。この話の後日譚は岩波文庫版『晩年の父』(1981)の「あとがきにかえて」にあるが、1979年の文章の方が生き生き しているので、孫引きになるが引いておく。

 この少年について、後に母が、少年が独逸時代の父の恋人に、生き写しだと、父が語っていたと教えてくれた。この母の話の方は、私が結婚してから聞 かされたように思うから、多分、『晩年の父』には出てこないはずである。母の言葉で、今更に私は、遠く、幼い日々を振返り、感無量であった。少年と語り 合っている私や、弟を、軍服姿の父が、微笑を湛え、じっとみつめていた一瞬の表情が、突如、まざまざと、眼前に浮かんだからである。

 少年に似ていたというのだから、エリーゼは凛々しい顔立ちだったのだろう。杏奴の女友達の中にもエリーゼと似ている女性がいたというから、そうした人物の若い日の写真を集めれば鷗外の記憶に残るエリーゼの面影に近づけるかもしれない。

 さて、本書は「「エリ-ゼ来日事件」の隠された真相」というスキャンダル追求めいた副題がついているが、来日事件にかかわるのは最初の二章だけ で、後半の三章はエリーゼが鷗外の文章に残した跡を追跡している。『舞姫』は当然として、別離から20年以上たってから書かれた『うた日記』、『青年』、 『雁』、そしてなんと遺言にまで彼女の影が揺曳しているという。

 著者は第一章で存在が隠されていた「空白期」、小金井喜美子の一方的な決めつけで金目当てに鷗外を追ってきた「路頭の花」とされた「エリス期」、 船客名簿から本名がわかって後の「エリーゼ期」の三期にわけてエリーゼ像の変転を跡づけた跡、第二章では鷗外はエリーゼと結婚するために軍医辞職願を提出 していたという仮説を立てる。

 軍医を辞めるつもりだったではなく、実際に辞表を出していたとは大胆な仮説だが、鍵となるのは母峰子が10月6日に篤次郎と小金井良精に嫁いでい た喜美子を同道して石黒忠悳の私宅を訪ねていたという事実である(小金井喜美子は著書ではこの訪問にはまったく触れていない)。母親が弟妹を連れて上役の 私宅を訪問するとは異常な事態だが、著者は辞表を撤回させるから、それまで待ってくれるように懇願に行ったのであり、その4日後の鷗外の石黒訪問が辞表撤 回だったと推定している。

 辞表提出が事実だとしたらまさにスキャンダルだが、これは単なる覗き趣味ではなく、エリーゼが鷗外の「永遠の恋人」だったことを示して後半の議論の地がためをするためだ。

 第三章では『舞姫』の執筆が赤松登志子とのあわただしい結婚と離婚と密接に関連していたことが論証される。うっかりしていたが、『舞姫』は登志子 夫人の妊娠中に書かれていたのだ。登志子夫人は出産早々子供をとりあげられ、離縁させられてしまうが、妊娠して捨てられ、発狂してしまうエリスの物語をど のように受けとったのだろう。

 第四書ではエリーゼ事件から20年上たって上梓された『うた日記』を俎上にのせている。「扣鈕」の「こがね髪 ゆらぎし少女」がエリーゼであるとはもともと森於莵が指摘したことだし、「べるりんの 都大路」が回想の背景となっていることからも動かないだろう。

 著者は「夢がたり」の

触角を     長くさし伸べ
物来れば    しざりかくろふ
隠処の     睫長き子
人来れば    かくろへ入りて
我を待ち居り

という「蟋蟀」に来日時のエリーゼの面影を見ている。隠し妻といいうことだけでいえば離婚後に峰子があてがった児玉せきが候補となるが、彼女の容貌 は「睫長き子」という形容にそぐわないので、「蟋蟀」はやはり異国のホテルに閉じこめられ、鷗外を待つしかなかったエリーゼだというのだ。

 官能的で謎めいた「花園」がエリーゼのイメージで解けるという指摘はなるほどと膝を打った。エリーゼを補助線にすると確かによくわかるのである。

 第五章では『青年』、『妄想』、『雁』、『ヰタ・セクスアリス』をとりあげているが、一番納得できるのは『雁』である。

 山﨑國紀氏は『評伝 森鷗外』でエリーゼ=お玉説を提唱したが、小平氏はむしろお玉が鳥籠にいれて飼っていた紅雀にエリーゼを見ている。

 来日したエリーゼは築地精養軒にとめおかれたまま、彼女を排斥する森家親族の圧力に耐えていたのであって、まさしく彼女は「窓の女」であり、「鳥 籠の紅雀」であった。この紅雀が「つがい」であるのは、鷗外が彼女と結婚するつもりで来日させていることをあらわすものであろう。この「つがいの紅雀」を 襲う蛇は、二人の結婚を忌避する森家親族の暗喩なのではないか。襲われた蛇にくわえられてぐったりとなった一羽の紅雀は鷗外であって、「籠の中で不思議に 精力を消耗し尽くさずに、まだ羽ばたきをして飛び廻ってゐる」もう一羽の紅雀は、『小金井日記』と『石黒日記』との関連的な推論によってひきだされた「エ リーゼ来日事件」の経過からみてエリーゼの姿そのものに思える。

 『ヰタ・セクスアリス』については性欲と恋愛を分離する主人公の冷笑的な態度にエリーゼ事件で受けた心の傷を読みとっている。エリーゼ以外の女性は性欲の対象としてしか見ることができなくなっていたというわけだ。

 一歩間違えれば我田引水の深読みになってしまうが、著者の読みは十分議論に耐えると思う。鷗外作品はエリーゼという視点から読み直してみるべきだろう。

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2012年07月27日

『森鷗外 「我百首」と「舞姫事件」』 小平克 (同時代社)

森鴎外「我百首」と「舞姫事件」 →bookwebで購入

 難解をもって知られる鷗外の「我百首」を「舞姫事件」を解読格子に読みとこうという試みである。本書でいう「舞姫事件」とはエリスのモデルと考えられるエリーゼ・ヴィーゲルトの来日事件だけでなく、最初の妻赤松登志子との結婚と離婚を含む二年にわたる騒動をさす。

 著者の小平氏は本書の前年、『森鷗外論 「エリ-ゼ来日事件」の隠された真相』 においてエリーゼが金目当てに押しかけた「路頭の花」などではなく、鷗外が陸軍を辞めてまでも結婚しようと思いつめた「永遠の恋人」であり、『舞姫』とそ の前後の作品のみならず、二十年以上後に書かれた『うた日記』、『青年』、『雁』、『ヰタ・セクスアリス』にも面影が書きこまれているとした。

 本書はそれにつづく論考で、従来定まった解釈がなく、一貫したテーマがあるのかどうかもわからなかった「我百首」がエリーゼ来日にはじまる一連の 「舞姫事件」を歌いこめたものだとしている。これが当たっているとしたらエリーゼをめぐる六草いちか氏の発見に匹敵する発見かもしれない。

 「我百首」は明治42年(1909)5月に発行された『昴』第五号に掲載された連作短歌である。もともと『昴』の同人十名が短歌百首を発表すると いうのは創刊号で予告された企画だったが、実際に百首を寄せたのは鷗外と與謝野鐡幹、與謝野晶子の三人だけだった。百首という限定が内発的なものでない以 上、それまで書きためた短歌を集めただけかもしれず、そうであれば一貫したテーマがあるという前提そのものがゆらいでくる。

 しかし鷗外は『沙羅の木』 に「我百首」を収録するにあたり、序で「あれは雑誌昴のために一氣に書いたのである」と述べている。石川淳が「「倅に持つても好いやうな」異邦人におどろ くことができた詩人の若さの歌である」と評したように、「我百首」は短歌に新風を起こそうとした意欲作であり、百首をつらぬくテーマがあると見るのが妥当 であろう。

 「我百首」のテーマは「舞姫事件」だというのが本書の仮説だが、エリーゼを暗示するような決定的な歌はあるのだろうか。

 第26首は

(26) すきとほり眞赤に強くさて甘きNiscioreeの酒二人が中は

となっており(以下、行頭に歌の番号をつけて引用する)、これまで「Niscioreeの酒」がなにかは不明だった。小平氏は検索でその典拠がイタリアの作家Antonio Fogazzaroの"Piccolo mondo antico" (1895)であることを発見した。"Piccolo mondo antico"は『昔の小さな世界』というほどの意味だが、望月紀子氏によると両親を亡くして侯爵夫人である祖母に育てられた主人公フランコが、祖母の反 対を押し切って密かにルイーザと結婚式を挙げたときの祝杯の酒が「ルビーのように赤く澄み、美味で強いNiscioreeのワイン」と記されているとい う。

 問題は鷗外が読んでいたかだが、東大のopacで検索したところ、

Die Kleinwelt unserer Zeit : Roman / Antonio Fogazzaro ; Einzige berechtigteUbersetzung aus dem Italienischen von Max von Weissenthurn

という独訳本がまさに鷗外文庫に所蔵されていた! Niscioreeの酒の典拠は確定である(もしかしたら、これも文学史的発見?)。

 つづく第27首から第33首にはともにNiscioreeの酒を飲んだ相手の女性が描かれている。

(27) 今来ぬと呼べはくるりとこちら向きぬ回転椅子に掛けたるままに

(28) うまいより呼び醒まされし人のごと円き目をあき我を見つむる

(29) 何事ぞあたら「若さ」の黄金を無縁の民に投げて過ぎ行く

(30) 君に問ふその脣の紅はわが眉間なる皺を熨す火か

(31) いにしへゆもてはやす徑寸わたりすんと云ふ珠二つまで君もたり目に

(32) 舟ばたに首を俯して掌の大さの海を見るがごとき目

(33) 彼人は我が目のうちに身を投げて死に給ひけむ来まさずなりぬ

 第27首、回転椅子は当時の日本家屋にはまず見られない。洋館か西洋人向けのホテルの室内の情景と考えるべきだろう。第28首、「円き目をあき我 を見つむる」はぱっちりした大きな目を思わせる。第31首の「珠二つまで君もたり目に」も日本人離れしたつぶらな瞳を指しているのだろう。

 第29首、「「若さ」の黄金」は金髪の美貌を連想させるが、その若々しいまぶしさを「無縁の民に投げて過ぎ行く」とは西洋人の娘が日本の町を散策する姿か。第32首と第33首は一転して悲劇的な色彩がきざしてくる。

 というわけで第26首から第33首は日本におけるエリーゼを描いたという読み方で間違いないと思われる。

 では登志子夫人との結婚生活を暗示する歌はあるのか。

(36) 接吻の指より口へ僂かがなへて三とせになりぬ吝やぶさかなりき

(37) 掻い撫でば花火散るべき黒髪の繩に我身は縛られてあり

 第37首が金髪の西洋女性に対する黒髪の日本女性の嫉妬を詠んでいることは見やすい。問題は第36首だが、小平氏の評釈をそのまま引こう。

 本歌は曲亭馬琴の『椿説弓張月』にある「僂指かがなへ 見れば、いで給ひしより、すでに三箇月に及び」という用例をふまえて作られている。この用例の「僂指」と「接吻の口」を結び合わせて「接吻の指より口へ僂 へて」という表現になったもので、エリーゼに接吻してもらった指を口にかがませてはや三年になったのはくやしいというのである。

 とすれば、エリーゼと離別して三年後の心境を詠んだものということになる。三年毎は丸三年であれば明治二四(1891)年、足掛け三年であればそ の前年の明治二三(1890)年である。どちらかといえば後者であろう。この年に於莵が生まれ、登志子と離婚しているのである。

 これ以上詳しい解釈は本書に直にあたっていただこう。

 第25首の「一星の火」の解釈など、いくつか引っかかるところはあるが、本書の「我百首」の読みが画期的であることは誰しも認めるところだろう。

 ここで疑問に思う人がいるかもしれない。いくら百首詠む機会があたえられたにしても20年以上前の事件を蒸し返すのはなぜなのかと。鷗外はそんな女々しい男ではないという反撥も当然あるだろう。

 著者はその答えも用意している。「我百首」を発表した明治42年の鷗外は公私ともに「舞姫事件」以来の人生の危機に直面しており、しかも圧力をかけてきた人物が「舞姫事件」の時と同じだったというのである。

 啞然とするが、確かにそうなのだ。さすがに今回は離別の圧力ははねのけたものの、鷗外は21年前と同じような四面楚歌の状況にいたのだ。「我百首」は公私にわたる憤懣を観念的に消化しようとした実験作だったと考えていいだろう。

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2012年07月28日

『鷗外外の恋人 百二十年後の真実』 今野勉 (NHK出版)

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 2012年11月19日、NHK BSで「鷗外の恋人~百二十年後の真実~」というドキュメンタリ番組が放映された。本書はその書籍版である(DVDも出ている)。

 著者の今野勉氏は番組をNHKと共同製作したテレビマンユニオンのプロデューサーで、鷗外を主人公にしたTVドラマ『獅子のごとく』を製作して以来、エリス問題に関心があったとのこと。

 番組は植木哲氏のエリス=アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト説にもとづいているが、植木説には以下のような難点があった。

  1. 船客名簿の名前(エリーゼ)と異なる
  2. 15歳の娘を船旅で40日もかかる日本へ一人で行かせたのはおかしい
  3. アンナ・ベルタが相続した財産が容易に現金化できるか不明
  4. 状況証拠だけで、エリーゼがアンナ・ベルタだという決め手がない

 番組では第一の難点については当時はドイツを出国するにも日本に入国するにもパスポートもビザも不要であり、船の切符は偽名でも買えることを明らかにした。

 第二の難点についてはアンナ・ベルタの両親はカトリックとプロテスタントの結婚であり、出身地も境遇も違うので、周囲の反対を押し切って結ばれた可能性が高い。そうであれば娘の東洋人との結婚にも寛容だったはずだとしている。

 第三の難点についてはアンナ・ベルタの祖父は十数世帯の住む賃貸ビルのオーナーだったので、日本までの船賃は二ヶ月分の家賃でまかなえるとしている。

 第四の難点については鷗外が残したエリスの唯一の形見の品であるモノグラム(刺繍用型金)のクロス・ステッチの部分にアンナ・ベルタ・ルイーゼのイニシャルであるA、B、Lが隠されているとしている。

 番組を見て植木説はいよいよ確定かなと思ったのであるが、放映と同じ月に出版された本書を読んで目が点になった。モノグラムからA、B、Lの文字 が浮かびあがるという「発見」をドイツ人の専門家に確認する場面が番組のクライマックスになっていたが、本書には画面に映らなかった取材の経緯が書かれて いたのである。

 一方ベルリン市立博物館の「服装と流行課」からの返事は、予想外のものだった。……中略……クロス・ステッチの部分については、次のような返事であった。

「たしかに、M・R、A・B・L・Wは読みとれますが、型金を逆向きにしたりして、さまざまの方向から眺めれば、すべてのアルファベットの読みとり ができます。このような型金はかなり自由に使いまわしが利くものなので、特別なアルファベットが隠されていたとは言いがたいと思います。
 刺繍にこめたメッセージや、恋人のハンカチにモノグラムを縫いつけるといった習慣は、どちらかというと十九世紀初期に流行したものです。ちょうど一八〇 〇年から四〇年までのロマン主義の時代にあたります。一九世紀後半に差しかかると、布類へのイニシャル刺繍は日常的なことになってきます。」

 この返事に、私の血は少々逆流気味になった。どんな文字でも読みとれる、とは、いくらなんでも乱暴すぎる話ではないか。

 乱暴すぎる話と言いたいのはこちらである。唯一の物証が怪しくなったら、今野氏の推論は全部崩れてしまうではないか。そもそも15歳の少女が無名の元留学生に会いにゆくのに、なぜ偽名で出国する必要があったのか。

 本書が出て四ヶ月後、エリスの身元について決定的な発見をした六草いちか氏の『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』が上梓された。六草氏がつきとめたエリスはエリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトといい、1866年生まれ。アンナという妹がいた。来日時点で21歳だったから植木説のような難点はない。

 本書は気の毒な本である。出版が一年遅れていたら六草説をもとにすることができたろうし、一年早ければ六草氏の本とガチに比較されることもなかったろう。

 今野氏にはこれに懲りずに、鷗外関連の番組をこれからも作ってもらいたいと思う。

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kinokuniya shohyo 書評

2012年07月29日

『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』 六草いちか (講談社)

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 昭和8年に森於莵が父親のドイツ人の恋人の存在をおおやけにして以来つづいていた『舞姫』のモデル探しに終止符を打った本である。

 著者の六草いちか氏はベルリンに20年以上在住するジャーナリストで、リサーチの仕事もしているという。行きつもどりつした調査の過程が書かれて いるが、まさにプロの仕事で、次々とくりだされる的確な背景情報に圧倒された。的確な背景情報を一つ書くにはその十倍、いやそれ以上の知識が必要になるこ とを考えると気が遠くなってくる。リサーチのプロが本気になると、ここまで調べることができるのである。

 六草氏がつきとめたエリスはフルネームをエリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトといい、1866年9月15日にシュチェチン(現在はポーラ ンド領)で生まれた。2歳下のアンナという妹がいる。1898年から1904年まで帽子製作者としてベルリン東地区に在住したことが確認されており、小金 井喜美子が鷗外からの伝聞として記した「帽子会社」に勤めているという内容と矛盾しない。

 父ヨハン・フリードリヒ・ヴィーゲルトは1839年オーバヴィーツコ生まれで、フリードリヒと呼ばれていた。ブランデンブルク第三輜重大隊に勤務した後、ベルリンで除隊。そのままベルリンにいついて銀行の出納係となったが、1882年頃に亡くなっている。

 母ラウラ・アンナ・マリー・キークヘーフェルは1845年シュチェチン生まれで、マリーと呼ばれていた。ベルリンに出てお針子をしていた頃にフ リードリヒと知りあい、エリーゼを身ごもってからガルニゾン教会で結婚式をあげた。エリーゼの生地がシュチェチンとなっているのは実家にもどって出産した からだと考えられる。夫と死別したマリーは仕立物師として娘二人を育てあげた後に再婚している。

 鷗外と知りあった頃、エリーゼは20歳か21歳だった。『舞姫』の決定稿ではエリスは「十六七なるべし」となっているが、草稿には「まだ二十にはならざるべし」とあり年齢的にも矛盾はない。

 母マリーは自分名義で部屋を借りているので中産階級の暮らしを営んでいたと推定されるが(ベルリンでは入居審査が厳しく又貸しが多かった)、財産 のない母子家庭では日本までの旅費の工面が問題となる。日本までの船賃は一等船室1750マルク、二等船室1000マルク、三等船室440マルクで、エ リーゼは一等船室で来日している。陸軍が鷗外に支給した一年間の留学費が当初1000円(4000マルク相当)だったことを考えると、1750マルクはか なりの額である。

 六草氏は鷗外には翻訳の副収入(原稿用紙1枚で12マルク程度)があったので十分可能だったとし、傍証として一等船室を選んだことをあげている。 当時は一等も二等も個室だったから、エリーゼが自分で船賃を出したなら二等船室にしたはずだというのである。彼女は鷗外と結婚して日本に永住する覚悟で出 国しただろうから、異国の生活にそなえるために倹約すると考えるのが自然だろう。一等船室は鷗外が花嫁のために奮発した可能性の方が高そうである。

 根強く唱えられているエリスのモデルがユダヤ人だったという説にも六草氏はありえないという答えを出している。

 エリス=ユダヤ人説はかなり以前からあったらしいが、一般には1989年にテレビ朝日系列で放映された「百年ロマンス・舞姫の謎」で知られるよう になったようだ。番組ではエリスのモデルはエリーゼ・ヴァイゲルトという鷗外より5歳年上のユダヤ系の人妻であり、鷗外と不倫関係にあったとしている。名 前が似ているというだけで作中のエリスとは似ても似つかない年上の人妻との不倫説には批判が多く、アンナ・ベルタ説の植木哲氏がドイツで実証的調査を開始 するきっかけともなった。

 こうした説が根拠とするのはヴィーゲルトもしくはヴァイゲルトという姓がユダヤ人の姓だという根拠の曖昧な断定だが、実際はどうなのか。六草氏は驚くべき材料を持ちだして決着をつけている。1939年にナチスがおこなった例の国勢調査である。

 この国勢調査はユダヤ人をリストアップするために行なわれたもので、四人の祖父母についてユダヤ系かそうでないかを記録するようになっていて、 1/2ユダヤ人とか1/4ユダヤ人という判定ができ、1941年からはじまったユダヤ人強制収容に威力を発揮した(その際活躍したのがIBMのパンチカー ド・システムで、エドウィン・ブラックの『IBMとホロコースト』に詳しい)。

 まさかと思ったが、その時のデータのうち、ユダヤ人とユダヤ人と同居していたドイツ人60万人分が保存されており、制限つきだが検索可能な形で閲覧できるというのである。

 60万人のうちヴィーゲルト姓は3世帯7人いたが、2人はユダヤ系女性と結婚した非ユダヤ系男性だった。生存者が一人もいないということで六草氏 は特別に生データの閲覧を許されたが、ユダヤ系の5人もユダヤ系なのは父方の祖母か母方の祖父母に限られ、父方の祖父がユダヤ系という例は一人もいなかっ た。ヴィーゲルトという姓はユダヤ人の姓ではないのである。

 ヴァイゲルト姓はドイツ全土で52人、ベルリン市内で29人いた。ヴァイゲルト姓を伝えるユダヤ人がいたのは確かだが、典型的なユダヤ姓かどうか を判定するためにナチスが政権をとる以前の1930年の電話帳と、ユダヤ人の強制収容がはじまって以後の1943年の電話帳の比較をおこなっている。ヴァ イゲルト姓は58世帯から34世帯に減っているが、典型的なユダヤ姓とされるコーンが1300世帯から28世帯に激減していることを考えると「ヴァイゲル ト姓の中にはユダヤ人もいた」と言えても「ヴァイゲルト姓はユダヤ姓である」とは言えないという結論になる。

 エリスの住んでいた地区がゲットーだったという説についてはベルリンにはそもそもゲットーはなかったと一蹴している。

 エリスと豊太郎が出会った「クロステル巷の古寺」がガルニゾン教会だと判明する経緯もドラマチックだが、本書で一つ引っかかっていることがある。六草氏がエリス探しをはじめるきっかけとなったM氏のことである。

 射撃練習の後の会食で鷗外と『舞姫』の話題が出たおり、M氏というドイツ人が発した「オーガイというその軍医、その人の恋人はおばあちゃんの踊り の先生だった人だ」という言葉が本書のエリス探索のはじまりだったが、当該人物はエリーゼが来日した1888年生まれだったことがわかり不発に終わる。

 六草氏とM氏のやりとりを読んでいるとM氏の発言はきわめて具体的であり、口から出まかせを言っているようには思えないのだ。もしかすると第一次 大戦前夜にベルリンに留学した日本人軍医が踊り子と恋に落ちるという、『舞姫』を地でいくような出来事があったのだろうか。その頃には『舞姫』は広く読ま れていたわけで、軍医は物語に影響されて踊り子に近づいたのかななどと空想してしまう。M氏の話の真相が知りたくなった。

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2012年07月30日

『青い絵具の匂い—松本竣介と私』中野淳(中公文庫)

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 昭和23年に三十六歳で逝った松本竣介との交流をめぐる、著者の戦中・戦後史である。
 著者と竣介との出会いは昭和18年、「新人画会展」というグループ展に出品されていた作品がきっかけだった。この在野の展覧会は、美術展といえば戦争画一色となっていた当時、時局の風潮に屈せず、描きたい絵を描こうという作家たちの集まりによるものだった。
 朝日新聞の一面に大きく藤田嗣治、中村研一、宮本三郎ら有名画家たちの戦争画の写真が掲載され、戦争画展開催の報道が連日つづ いて、厖大な観客が動員された。その是非は別として、現存作家による美術と大衆がされほど融合した例は稀である。混雑した美術館の会場では主要作品の脇に 「天覧」と大書され、私たちは当然のこととして戦争画を脱帽して見ていたのである。そうした大作の描写の迫真性やユニークな構想に当時は素朴に驚嘆したも のだった。
 ただ私自身は戦争画を制作する能力などない画学生に過ぎず、裸婦や着衣像を習作している日々だったが、自身やがて兵隊にとられ死地に赴くことを考えると、もっと自由で知的な絵画世界に憧れていたというのが真情だったろうか。

 知り合いのつてで竣介と面会した著者は、以来、描きためた絵を携えては松本家のアトリエを訪れるようになる。

 翌19年、著者は絵を描くことに熱中するあまり、徴兵検査の日を忘れてしまう。家族にも友人にも告げられずにいたこの失態を、竣介には打ち明ける こができた。「驚いたな。検査を忘れたといっても、君は兵役拒否なんて考えてるわけではないんだろ?」と、竣介が取り出してきたのは美術雑誌『みづゑ』で あった。太平洋戦争開戦の昭和16年、同誌に掲載された軍人たちによる座談会「国防国家と画家」への、竣介の反論「生きている画家」が発表された号であ る。

 生活や時代へのまなざしのきびしさ、思考の深さといった松本さんの画家としての精神の深淵に、私は会うたび魅きつけられていっ た。磊落な画家の側面しか感じなかった私も「生きている画家」読後、はじめて松本さんの捨身の信念を知ったし、人間性を肌に感じて信頼感を増していったよ うだ。戦時下だかこのアトリエでは何でも喋れると思った。

 既成の思想や宗教に一定の距離をおき、自ら考え信ずるところに拠ってのみ、静かに筋を通して描き、そして生きた人。育ちがよく、頭も勘もよく、耳 が聞こえないという障害にも屈せず、人柄も円満でと、まるで非の打ち所のない人。もうほとんど聖人のような扱いをされている松本竣介だが、その、未熟な者 を侮らず、また自らを押しつけることもしない対しかた、こだわりなさもすてきだ。

 戦局が激しさを増し、もはや「絵どころではない」状況、画友たちは次々と兵隊にとられてゆく。そんななか、自らの失態に心を重くし、ただ絵を描くしかなかった十代の著者にとって、この出会いはいかほどのものだったろうと思う。

 20年3月10日の東京大空襲で、著者の住まう江戸川区一帯も焦土と化した。戦火をくぐり抜けた著者は家族共々神奈川の親戚の家に仮寓することになるが、危険を承知でたびたび上京し、竣介の元を訪れた。

 同じ画家の眼からみた竣介とのエピソードには、絵画技法についての記述が多い。竣介を知るきっかけとなった絵(「運河風景」、現在は「Y市の橋」 というタイトルになっている)については、「強固なマチエール」や「透明な画面」、そこに走るさまざまなニュアンスの線に見惚れ、「まさしく詩と造形の合 体。精神の職人による絵だ」とある。

 当時、油絵の技法書は少なく、古典技法や絵画組成を教える施設は美術学校、研究所に全くなく、西欧絵画に触れる機会も少ない。 多層性のグラッシ法(透明描法)の卑近な実例を私は戦争画、特に藤田嗣治の絵になかに見たが、この人だけは紛れもなく油絵技法の深奥を体得していると思っ たので、あるとき松本さんにそのことを筆談で訊いてみた。
 「君はグラッシ法とかマチエールとか専門的な用語をどこで覚えたのか知らないが、そういうことは二義的に考えて、いまは基礎的な写実の勉強を身につけるべきだな」 とたしなめながらも、グラッシ法の実際について平明に語ってくれた。下塗りの必要性から始まり、単色による中塗りとマチエールの調整、仕上げ段階での透明色の選択など、松本絵画の方法論を具体的に語りつづける口調は、次第に熱気をおびていった。

 絵画様式の変遷についての本はたくさんあっても、技法についての情報はまだまだ貧しかった当時、留学経験もない松本竣介は「おそらく持ち前の勘の良い手業と不備な技法書ほ手掛かりに、暗中模索の手さぐりで、それらしい効果に到達したのではあるまいか」と著者はいう。

 アトリエを訪ね、その仕事を垣間見るなかで著者は油絵のさまざまを竣介から学んだ。ペンや筆に凝らした独自の工夫、裏に墨を塗ったガラス板に映った顔をもとに自画像を描くこと、乏しい色数のなかでも豊かな色相が作れること。

 「……それから僕は下塗りをしっかりする。絵具の発色を良くしたり、好みのマチエールを望むこともあるが、作品を後世に遺すこ とを考え、耐久性を強くする為だ。作画中は何回も透明色を塗って、美しい色彩の画面をつくり、たとえば空襲でやられて断片だけが残ったとしても、その断片 から美しい全体を想像してもらいたいのだ」

 著者によれば、藤田嗣治も戦争画についての文章で、同じようなことを書いていたらしい。それにしても、美というものへの信念だけでなく、作品の物質として堅牢さへこのこだわりの強さには恐れ入る。

 以前とりあげた近藤祐『洋画家たちの東京』は、青木繁、村山槐多、関根正二など、夢と野心をもって上京し、自己顕示欲のかたまりような、破天荒な 生きざまをみせた彼等の足跡が描かれていたが、そんななかでただひとり、彼らとは対照的な「勤勉な努力家であり、性格破綻の欠片もない良識人」として、最 後にとりあげられていたのが松本竣介だった。

 無頼な暮らしぶりの画家たちのなかでは、お行儀が良く、すべてにおいてバランスのとれた竣介のようなタイプはむしろ異質だろう。しかし、描くこと に対する信念の深さと強さは並大抵のものではない。同時代の画家たちが、キャンバス上に自己の表出を定着させることにのみとらわれがちであったなかで、彼 は彼独自の絵画への強い意志を貫くべく、入念に画面を造り上げていったのだ。

 詩情にあふれているとか、透明感があるとか、静謐であるとか、竣介の絵はさまざまに表現されるけれど、そこにはなにか、情緒的なものだけに流され ない動じなさ、すこやかさのようなものが感じられる。それはひとえに、著者が垣間見た竣介の画面造りにたいするあのひたむきな姿勢によるのかもしれない。


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kinokuniya shohyo 書評

2012年07月30日

『世界文学のなかの『舞姫』』 西成彦 (みすず書房)

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 『舞姫』が海外でどう読まれているかを研究した本かと思って手にとったが、まったく違った。本書はよく知られた名作を従来とは異なった視点から若 い読者に紹介する「理想の教室」シリーズの一冊だが、『舞姫』を祖国喪失文学として読もうという試みなのである。著者の西成彦氏はポーランド文学者で、ゴ ンブロヴィッチなど東欧ユダヤ人の祖国喪失文学を研究している人だ。

 『舞姫』が祖国喪失文学とはどういうことか? 『舞姫』は日本に向かう船がサイゴンに停泊した際、一人船室に残った太田豊太郎が書き綴った手記と いう体裁をとっている。豊太郎はエリスを捨てて帰朝の途についたが、西氏はサイゴンで手記を書きあげたことで決断の機会をもったのではないかというのだ。

 太田豊太郎には、そのまま日本へ送り返されるがままになるという安易な選択肢もあれば、いっそ思い切って船を離れ、ヨーロッパ行きの船を待つことだってできたのではないでしょうか。

 西氏は『舞姫』は豊太郎の決断を読者の想像にまかせるオープンエンディングの小説だったのではないかと問題提起しているのである。

 『舞姫』を二度読みかえし、井上靖による現代語訳も読んでみたが、「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼 を憎むこゝろ今日までも残れりけり」という最後の文に豊太郎がエリスの元にもどる可能性を読みこむのはいささか無理筋ではないかと思った。

 しかし西氏が補助線として紹介した伊藤清蔵の生涯は刺激的である。

 伊藤清蔵は札幌農学校で学んだ後、農学研究のためにドイツに留学して下宿先の娘オルガと将来を誓いあうようになる。伊藤はいったん帰国するが、再 び渡欧してオルガと結婚、そのまま南米アルゼンチンに移住する。アルゼンチンではアジア人は土地を購入できなかったが、伊藤はオルガ夫人の名義で農場を取 得し南米各地の入植地から逃げてきた日本人移民を集めて農場経営を成功させた。

 西氏は伊藤を「南米の豊太郎」と呼んでいるが、『舞姫』がオープンエンディングかどうはともかくとして、恋愛のために祖国を捨てた日本人留学生が現実にいたとは!

 わたしが伊藤の存在に衝撃を受けたのは六草いちか氏が『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』の最後にしかけた爆弾が気になっていたからである。

 エリーゼ・ヴィーゲルトは滞日一ヶ月余で説得されてドイツに帰るが、少しの憂いも見せることなく「舷でハンカチイフを振つて別れていつた」(小金 井喜美子「次の兄」)という。あまりにも穏やかな別れだったので「人の言葉の真偽をしるだけの常識」に欠けた頭の弱い女とバカにされるほどだった。

 六草氏はエリーゼがおとなしく日本を離れたのは鷗外がすぐに後を追うと約束していたからではないかと推理している(あくまで推理であって、エリーゼ発見の業績とは別である)。

 まさかと思ったが、伊藤清蔵のような人が実際にいたとなると、鷗外がエリーゼに再会を約束していたという仮説は俄然現実味を帯びてくる。

 鷗外は医者だったから、南米でもヨーロッパでも十分成功することができただろうし、ゴンブロヴィッチのような祖国喪失文学者になってドイツ語で作品を発表していたかもしれない。そうなるとノーベル文学賞の日本人第一号受賞者になってもおかしくはないだろう。

 もし鷗外がエリーゼを選んでいたとしたら日本近代文学はどうなっていただろうと空想するのは楽しいが、現実の鷗外は極度のマザコンだったから母親 を捨てることはできず、赤松登志子との結婚を受けいれてしまう。六草氏は山縣有朋の欧州視察に随行した賀古鶴所がベルリンでエリーゼと会い、鷗外の結婚を 伝えたのではないかと推定している。『舞姫』は賀古の帰国後に書かれているので、もしそうだとすると、エリスの狂乱は鷗外の裏切りを知ったエリーゼの姿を 反映しているのかもしれない。

 『舞姫』はいろいろな読み方を誘う作品である。

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2012年07月31日

『地域・生活・国家』水島司・和田清美編(日本経済評論社)

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 本書は「21世紀への挑戦」全7巻の1冊で、「刊行にあたって」本シリーズが目指したのは、「人類史、社会史の劇的変化の解明」である。ほかの6巻のタ イトルは、つぎの通りである:「哲学・社会・環境」「グローバル化・金融危機・地域再生」「日本・アジア・グローバリゼーション」「技術・技術革新・人 間」「社会運動・組織・思想」「民主主義・平和・地球政治」。それぞれ3つのキーワードのもとに、「進行している人類史、社会史、ひいては歴史総体の変動 とそれが抱える問題を解き明かす突破口を開いて」いこうとしている。

 本巻のキーワードは「地域・生活・国家」で、「地域と国家を両端に置き、その間に生活を置くという配置となっている。それは、個の営みである生活という 視点から見た場合、それが地域および国家とどのような関係をもつべきか、地域と国家との関係は生活を挟んでどうあるべきか、国家の主権と地域の自治、ある いは中央集権と分権という問題にまで踏み込んだ場合、両者の間にどのようなバランスが築かれるべきかなどの問題が、より鮮明に浮かび上がるであろうと期待 するからである」。「国家、より正確には国民国家」の存在感は相対的に低下してきているとはいえ、「なお、何よりも強力に共同性を主張し、かつそれを実体 化させる強制力を有している」。そして、それにとってかわる地域像や地球像が、まだ明確にみえてきていない。本巻は、「国家からグローバルに至る重層的な 諸関係が埋め込まれており、むしろ身近な生と生活空間に関わる具体的な事例から出発することによって、私たちが生きている社会の構造」をみようとしてい る。

 「本巻で扱われる事例は、主として日本からのものであり、生活の諸側面から地域と国家との関係を扱っている。しかし、それらの事例は、決して日常的なレ ベルの問題としてとりあげられているのではなく、私たち、および、ともすれば「私たち」の意識には含まれてこない人々も含めて、この二一世紀初めの時点で 生きていくことの意味と、その向かう先について考察するためにとりあげられた題材なのである」。

 具体的には、つぎの8章である。「第1章 自治体における健康・医療行政の可能性−岩手県沢内村を事例として」「第2章 「障害と開発」と地域社会の戦 略−ケイパビリティ・アプローチと社会関係資本の視点から」「第3章 教育の拡大と国家役割の縮小−高等教育機会の地域間格差」「第4章 外国人への言語 支援と地域資源−奈良県の夜間中学を事例として」「第5章 生活の環境問題とエコロジー」「第6章 開発と環境」「第7章 戦後の住宅事情と二一世紀の居 住政策の課題」「第8章 コミュニティ形成・まちづくりの系譜と現代的位相−地域、分権、自治、国家の二一世紀的展開」。

 編者のひとり、水島司は「序章 生活、地域、そして国家」で各章の紹介をした後、つぎのように「序章」を結んでいる。「『地域・生活・国家』と題する本 巻は、以上簡単に紹介してきたように、医療、教育、障害、環境、居住、まちなどの題材をとりあげ、生活の中から地域と国家との関係を論じ、最後にコミュニ ティ、共同体の真のあり方とは何かという問題を政策論との関係で論ずる形で終始させた。「ここに、今、共に、ある」ということの意味を考えようとする読者 からの批判を乞うてやまない」。  本書を読んで、結局国庫に納めている税金が有効に使われていないことが、問題の基本にあるように思えた。その解決のひとつは、第1章で示されていた。国 家が保障してくれない生活を村の決断で決めた事例である。「税金が上がるかもしれない。他の事業を抑えないといけないかもしれない。こうした切実な問題を 何回も話しあって、納税者である村の人たちも議員も意を決して日本で最初に老人医療無料化を決めたのである」。

 税金は、なんのために使われるかわからない「とられる」意識があるかぎり、納税者の不満はおさまらない。税金がどのように使われるのかを納得したうえで 納めることが重要になる。いまの日本の社会を維持していくためには、消費税10%でも追いつかないことは、ちょっと考えればわかることである。今後、 20%、30%と増加していくにさいして、地方自治体に直接納めることを含めて、議論し、住民が自分の生活を守るためになにに「投資」するのかを考えねば ならなくなる。「納める」ではなく「投資する」という意識から、空約束と「ばらまき」をするポピュリズムに打ち勝つ民意が生まれる。本シリーズ第7巻で議 論されている「民主主義」の発展は、コミュニティ形成・まちづくりにも不可欠なことである。

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2012年07月31日

『気楽に殺ろうよ』藤子・F・不二雄(小学館文庫)

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「脱常識トレーニングのためのSFマンガ 」
社会学は、よく脱常識の学問だと言われる。人々が「当たり前」のものとして自明視してきた考え方が、決して「当たり前」のものではないということ、すなわち、社会的、歴史的な背景をもって形作られてきたものであることを解きほぐしていくことを得意とする学問である。
たとえば「自分という存在は、自分だけでなく、他者との関わり合いの中で存在している(=社会的自己)」、あるいは「男女の性差は、生物学的にだけでなく、むしろ社会的に作られてきたものである(=ジェンダー)」といった基本的な概念を見ても、そのことがよくわかる。

 だから社会学は、SFと相性がいい。空想の世界では、「当たり前」の常識から遠く離れることができるし、反実仮想的な作品の中では、新しい常識に基づいた社会のありようについての思考実験をすることができる。

 一方で、だからこそ、社会学もSFも敷居の高いものでもある。

 「○○さんは常識のある人だ」といった物言いが、しばしば肯定的な意味合いで語られるように、常識を疑ってかかるようなふるまいは、ごく普通の日常生活を送る中ではなかなかやりにくい。

 大学に入学したばかりの若者たちも、常識にがんじがらめになっていて、「常識破壊ゲーム」としての社会学的な思考を植え付けようと思っても、大いに苦労する。ましてや、そんな最中に、わざわざ重厚なSF作品を読もうという気にはならないだろう。

 そんなふうに、ふと日常の常識を問い直したくなった時、(あるいは私ならば)初学者にそのことを教え疲れた時に、ぜひ読みたいのだが、藤子・F・不二雄のSFシリーズマンガである。

 藤子氏は、ドラえもんなどの作品で知られた漫画家だが、著名な作品群とともに(あるいはおそらくこうした作品を生み出す背景として)、短編のSFマンガ をいくつも記している。今日でも複数のシリーズが刊行され、文庫化もされているので、コンパクトに読み進めることができる。

 その多くは、私が生まれた頃かその前に書かれたような作品である。だが私は、幼いころから兄の本棚から拝借して繰り返し読み、今でもほとんどのシリーズを買いそろえて、事あるごとに読み返しているほどのお気に入りである。

 中でも特にお勧めしたいのは、独特な作品が集められた『藤子・F・不二雄[異色短編集]2 気楽に殺ろうよ』である(やはり、本書も含めて、早い段階に描かれた作品に傑作が多いように思われる)。

 表題作にもなっている、「気楽にやろうよ」はなかなかショッキングな作品だ。ある男性が何気ない月曜日の朝に、激しい衝撃を受けるとともに、見た目はほ とんど変わらないのだが、少しだけ常識の異なったパラレルワールドに巻き込まれてしまう。そこでは、性欲と食欲のとらえ方が逆転していて、前者をオープン に、後者を恥ずべきもの(カーテンを閉め切って静かに食事をし、外食などありえない)にとらえていたり、また殺人についても権利書を持てば合法的に行うこ とができるのだという。

 この男性は、カウンセリングを受けることになるのだが、そこでは「いっさいの常識とか固定観念なんかをすて」ることを求められ(P236)、自分がこれ まで持ち合わせてきた常識からはかけ離れているその社会であっても、それはそれで成り立っていることを、諭されていくことになる。

 物語にはその先もあるのだが、このように常識を一歩引いた視点から見直し、さらに、自分の常識とはかけ離れていても成立する社会が存在することを理解するプロセスは、まさに社会学的思考の基本中の基本とも言えるものである。
さて、あまりにも著名すぎる漫画家の、よく知られた作品を、いまさらに取り上げるのには、もちろん理由がある。

 それは、現在の日本社会が、まさにこれまでの常識を見なおしながら、新しい社会のありようを真剣に考え直さなくてはならないタイミングに来ているからだ。脱原発問題しかり、社会保障問題しかり、である。

 これらの問題に共通しているのは、小手先のごまかしがきかず、我々の常識を塗り替えつつ、社会のあり方を根本から問い直していくような徹底的な対策が必要ことだ。

 その一方で、諸々の重大な問題が山積しつつあるにもかかわらず、社会全体を巻き込んでいくような関心の高まりが見られない現状にはやや危惧を覚えざるを得ないところもある。

 この点は、同じく本書に収められた「大予言」というごく短い作品が趣深い。著名なタロット占い師が4〜5年越しの重いノイローゼにかかり、なにか重大な未来を予知したかららしいと聞きつけた弟子が面会に行くという作品である。占い師は、弟子の問いかけにこう答える。

「予知?わしはなにも予知なんかせんぞ!!
「自分たちの滅亡を予言されて。平気な顔をしてられるみんながこわい!」
「有効な対策もないくせにさわごうともわめこうともしない世界人類がこわい!!」
(P34〜35)
「明日をも知れぬ命の日本社会」というのは大げさかもしれないが、ともすると福島第一原発事故の記憶が薄れかねない昨今の状況を見ると、この作品中の占い師の恐怖や危惧がわが身のことに感じられるといっても過言ではない。

 だがマンガには結末がある一方で、やはり我々は連綿と続いていくこの社会の未来を考え続けなければならないだろう。その際に、常識を問い直す社会学的な思考の重要性は間違いなく高まっている。

 その際に、社会学という学問世界や、あるいは重厚なSF作品では敷居が高すぎるなら、作者が遺した言葉に倣って「すこし不思議(Sukoshi Fushigi)」なマンガからトレーニングを積み重ねていくというのも、大いにお勧めしたいところである。


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瓦が語る日本史—中世寺院から近世城郭まで  [著]山崎信二

[評者]山形浩生(評論家)  [掲載]2012年07月29日   [ジャンル]歴史 

表紙画像 著者:山崎信二  出版社:吉川弘文館 価格:¥ 3,360

■マニアックに奥深く楽しい歴史

  瓦なんて似たり寄ったりと思ったら大間違い。東大寺や法隆 寺の修復だけ見てもいろんな地方の瓦があって、それが当時の物質流通をも物語る! さらに、製法ばかりか瓦職人がいろいろコッソリ落書き(ヘラ書き)して いて、そこから職人の個性や勢力、家系までわかり、さらに同じ建物で使われた瓦の出自から、職人集団の活動まで読み取れてしまうとか。
 マニアッ クな世界を描きつつ、瓦にそこまで奥深い世界があったのかと感心させられる。文明論じみたお説教もなく、瓦だけに注目。職人の中でもだれが落書きできるか という力関係があったが、やがて瓦製造と瓦葺(ぶ)き作業の分業と合理化に伴いそうした楽しい落書きも廃れたとか、パソコンソフトの隠し機能の歴史にも通 じる物作りの発展段階がここにも見られる。
 著者の瓦研究は本書で打ち止めとのことで残念だが、興味がある向きは、古代瓦についての同著者の本も興味深いはず。
    ◇
 吉川弘文館・3360円

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著者:山崎信二/ 出版社:吉川弘文館/ 価格:¥3,360/ 発売時期: 2012年06月

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フロイト講義〈死の欲動〉を読む [著]小林敏明

[評者]柄谷行人(評論家)  [掲載]2012年07月29日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

表紙画像 著者:小林敏明  出版社:せりか書房 価格:¥ 2,625

■分子生物学の研究成果で裏付け

 フロイトは63歳になって『快感原則の彼岸』(1920年) という論文を発表し、その中で「死の欲動」という概念を提起した。それまでの精神分析では生の(性的)欲動が主であったから、画期的な変更である。彼がこ れを書いたのは、第1次大戦後に出てきた多くの戦争神経症者の治療体験にもとづいてであった。つまり、そこに見いだされる死の欲動や攻撃欲動は、歴史的・ 社会的な問題と切りはなすことができない。
 にもかかわらず、フロイトはそれをもっぱら生物学的な観点から見た。つまり、人間はすべての有機的生 命体と同様に、無機物に帰ろうとする欲動をもつというのだ。それが問題であった。以来、フロイト派の多くは死の欲動という概念を拒否するか、それを受け入 れる者も、ラカンがそうしたように、フロイトの生物学的説明を文字通りに受けとることを避け、それを自己流に解釈してきたのである。
 本書で著者 は、フロイトが「死の欲動」という考えにいたった過程を、シェリング以来のドイツ哲学史の中にあとづけてはいるが、最終的に、フロイトの理論的可能性をそ のような方向に見ることはしない。逆に、フロイトがとった生物学的な観点を文字通りに受けとめ、それを現在の分子生物学の研究成果である「死の遺伝子」と いう考えによって裏づけようとする。たとえば、多細胞の生命体は、不必要な細胞が自ら死ぬことによって、個体として存続できるようにプログラムされてい る。
 要するに、死はたんに生の否定なのではなく、もっと積極的な何かなのだ。この観点から見直せば、死の欲動、およびそれと攻撃欲動との連関を 合理的に理解することができる、というのが著者の仮説である。さらに、著者は攻撃欲動を超える鍵を、あらためてフロイトの「昇華」という概念に見いだそう とする。注目すべき論考である。
   ◇
 せりか書房・2625円/こばやし・としあき 48年生まれ。独・ライプチヒ大学東アジア研究所教授。

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著者:小林敏明/ 出版社:せりか書房/ 価格:¥2,625/ 発売時期: 2012年06月

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自我論集

著者:フロイト,S.(ジークムント)、竹田青嗣、中山元/ 出版社:筑摩書房/ 価格:¥1,260/ 発売時期: 1996年

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魂の詩人 パゾリーニ  [著]ニコ・ナルディーニ

[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2012年07月29日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

表紙画像 著者:ニコ・ナルディーニ、川本英明  出版社:鳥影社 価格:¥ 1,995

■左翼で異端、背徳的想像力の源

 パゾリーニといえば同性愛のレッテルを貼られた左翼的異端のスキャンダラスな映画監督、という印象が強いけれど、どこか呪われた星の下に産み落とされた芸術家として英雄的に崇拝されていませんか。
  彼はイタリアのボローニャの田舎の原初的な農民世界の環境の中で絵を描き、詩作を試みながら将来は美術史家か文芸評論で身を立てようと模索の日々をおく る。彼の宗教的世界への郷愁と先天的な異端者としてのエロティシズムと、さらに背徳的な「得体(えたい)の知れない」想像力の混合体によって、彼の文学は 形成されてゆく。
 その間、同性愛者としての彼は性的衝動からは逃れられないが、その一方で私設学校をつくり、教育者としての顔も持ったりする。 この頃彼の政治的な弟は危険な「冒険的な人生」を選択した結果、組織の人間によって虐殺される。このことに起因するわけではないがパゾリーニは共産党員に なる。だけど悪徳のDNAをもつ彼は、常にホモセクシュアルという宿命も背負っているためにスキャンダルから逃れることができない。
 そんなパゾリーニが終(つい)の棲家(すみか)として映画を選ぶことになる。映画を通して官能を刺激することで肉体的接触を求めようとするそんな彼と、なんとなくわが武智鉄二とは似ていませんか。
  パゾリーニはすでにフェリーニの「カビリアの夜」でシナリオ参加をしている。映画という視点を手にした彼は自己の世界観の核である「宗教的叙事詩」を神話 的に描くことで「奇蹟(きせき)の丘」を完成。カトリック系の団体から賞を与えられたが、「テオレマ」では猥褻罪(わいせつざい)で作品が没収。
 「王女メディア」でマリア・カラスとの蜜月関係を取り沙汰されるが、すでに彼の死は5年後に迫っていた。同性愛のパートナーによって彼の人生が決着づけられたあの有名な事件が待っていたのです。
   ◇
 川本英明訳、鳥影社・1995円/Nico Naldini イタリアの言語研究家で詩人・作家。パゾリーニのいとこ。

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著者:ニコ・ナルディーニ、川本英明/ 出版社:鳥影社/ 価格:¥1,995/ 発売時期: 2012年06月

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