2009年10月28日水曜日

asahi shohyo 書評

イスラーム教「異端」と「正統」の思想史 [著]菊地達也

[掲載]2009年10月25日

  • [評者]小杉泰(京都大学教授・現代イスラーム世界論)

■論争を重ね相対的位置が決まる

 今日のイスラーム世界は、主流派であるスンナ派がほぼ9割、シーア派が1割を占めている。後はごく小さな分派がいくつかあるだけで、イスラームに宗派が多いというのは誤解である。しかし、最初からそのような状態だったわけではない。

 7世紀のイスラームの成立から11世紀ごろまで、様々な思想的な立場が生まれ、時に激しい対立が起きた。極端な主張もいろいろ生まれ、それが次第に淘汰(とうた)される中で、宗教としての古典的な姿が確立した。

 その過程で、異端から正統を区別する線引きもなされた。表題を見て、ふつうは「正統と異端」と言うのではないか、異端が先に来るのはなぜか、と思った方もいるかもしれない。ここに著者の力説点がある。

 この問題については、正統を批判するのが異端であった中世ヨーロッパがモデルにされがちであるが、それはイスラームに全く当てはまらない、という。最初は主張の強い分派が次々と生まれ、それに対抗することを通して正統的な立場が徐々に形成されたからである。

 イスラームには正統と異端を決定する機関が存在しないため、各派が互いに論争を重ねる中で、それぞれの相対的な位置が決まる。たとえ神学的な思想でも、時代の政治状況に影響されるし、リーダーたちの指導力も宗派のゆくえを左右する。

 もともとイスラームの分派は、預言者ムハンマド没後の指導者選定をめぐる政治党派として生まれた。それが次第に宗教的な宗派に転じていった。

 その様子が、本書ではシーア派の思想に強い光を当てて描かれている。実は、初期のシーア諸派の思想は、史料が足りないことも あって不明な面が多かった。古典期を専門とする著者はそれを丁寧に検討し、明解な道筋で復元している。復元された思想の歴史はわかりやすく、知的な刺激に 満ちている。

 シーア派は近年、イラン、イラクで大きな政治的な力を持つようになり、一般の関心を集めている。そもそもシーア派とは何かという観点から読んでも、本書は大いに役立つであろう。

    ◇

 きくち・たつや 69年生まれ。著書に『イスマーイール派の神話と哲学』。

0 件のコメント: