2009年10月2日金曜日

asahi environment sightseeing Tomonoura Hiroshima jiburi Hayao Miyazaki

鞆の浦への思い 宮崎駿さん会見詳報

2009年10月2日1時30分

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写真:判決後、記者会見で語る宮崎駿監督=1日午後、東京都小金井市のスタジオジブリ、広津興一撮影判決後、記者会見で語る宮崎駿監督=1日午後、東京都小金井市のスタジオジブリ、広津興一撮影

◇鞆の浦との出会い

 鞆の浦と僕がどういう関係にあるかについて最初にお話します。5年前に鞆まちづくり工房の人たちに誘われて、鞆の浦にジブリの社員200人近くで押し寄 せたことがあったんです。僕も崖(がけ)の上のお屋敷に宿泊した1人でして、とても印象的だったものですから、翌年になりますが、2カ月ほど、ひとりで滞 在させてもらったことがあるんです。そのときお世話になった人たちが、実は今度の訴訟をした人たちだったんですが、運動そのものに僕が旗を振ったり、参加 したりすることは、ちょっと、文化人的過ぎるからいやだということで。趣旨は十分わかりますけど、賛成派、反対派という立場は取らずに町でうろうろさせて もらったんです。

 その後たまたま映画(「崖の上のポニョ」)を作るときに鞆の浦がずいぶんヒントになりました。瀬戸内を間近に見た記憶も経験も初めてだったので、 内海というのが太平洋とずいぶん違うもんだなあというふうに。それがヒントになって映画をつくったもんですから、まるでポニョの舞台が鞆の浦ということに なっていますけど、順序、逆なんで。

 今回の判決にあたって、マスコミの要請があるから取材を受けてくれと要請がありまして。ゴミの片づけ、プロパンガスを手配してくれるなど、いろんなことをやってくれた人たちなんで、「分かりました」ということで今日こんな大騒ぎになってしまったんです。

 以前にも何社かの新聞から、鞆の浦の埋め立てと橋の問題についてインタビューを受けてお話ししたことがあるんですが、そのときも僕は賛成派、反対派という立場では臨みたくないといつも明言していました。それで今日に至ったんです。

◇判決は今後の日本を考える大きな一歩

 とても良い判決がでて、これは鞆の浦という問題だけでなく、今後の日本をどういうふうにしてくかというときに非常に大きないい一歩を踏み出したんじゃな いかな、と。判決を聞いて、細かくは僕は分かりませんが、大変な文化財を破壊するにしては、あまりにも準備も計画もずさんであるという判決は非常に的を射 ているんじゃないかと僕は思います。

 地域的な高齢化とか、過疎化はもう現実に虫食い状態に、40年前に開発された首都圏のあちこちで発生しているんでね。その地域に住んでいる人間に とってはもう本当に、むしろ鞆の浦のように昔からのお祭りとか共同体とかのお年寄りよりも、もっと孤立して高齢化社会を迎えようとしている現実があります から。都会がいいけど、田舎は過疎に苦しんでいるというだけじゃなくて、都会に出てきた人間もまた、同じような問題に遭遇している。そうするときに、この 国をどういう方向で希望のあるものにしていくかを考えると、判決が出て勝ったとか負けたとかということじゃなくて、首都圏に過度に集中しているこの状態と か、一方、空っぽになっていくことをどういうふうにすればいいのかということを、もっと大きな、哲学的な意味も含めた、文化的な同時に政治的な発言をです ね、一番えらい人たちに考えてやってもらわなければいけない。こっちのが得するとか損するとかじゃなくて、いまは損するかもしれないけど、このほうがいい から、と言ってくれる人たちが政府の中心になってくれないかな、と前から夢見ているんです。そんなことで、質問があったらお答えします。

◇鞆の浦に滞在して良かったこと

 (記者)鞆の浦の良さはどのようなとこにあると思いますか?

 鞆の浦の町を残していこう人たちには申し訳ないんだけど、ぼくは町を出て、昔は全部段々畑で、サツマイモ畑だったところが森にかえろうとしている んで、その道を歩くと途中で誰にも会わない。林の下のほうに見える燧灘(ひうちなだ)を走っている船の音が聞こえるだけで、あとはウグイスがものすごい数 いましたね。そういうところを毎日散歩できることが良かったんです。町の小さなお店を回って、生活は十分できました。古本屋さんはなかったですけども、隣 の福山市までバスで乗って行けば、十分良い古本屋さんもありましたから。そういう、要するに何でもない生活をしたんです。

 立派な蔵や古い町家もあります。もちろん見ましたけど、それより鞆の浦からどっかへ歩いてたんです。そこがとても良かった。

 (記者)ほとんど車を使わないで生活なさったということで?

 車を持っていかなかったですし、歩いてました、毎日。貸していただいた家から、ずっと歩いてたんです。非常に多くの努力の痕跡があってね。人を呼びたい とか、散歩道にしようとか、それで木の立派なベンチをつくったけど朽ちているとか、そういうのもずいぶん見ました。観光道路をつくったのが、今はほとんど 車が通らなくて、そこを散歩すると、外の景色が良いんですよね。車は全然通らないんです。これはいったいどういうことなんだろう?というところがいっぱい ありまして。

 近所の町に行くと、本当に古い良い町だったんだけど、橋をかけたために人が来なくなってしまって、全部、頭の上の橋を通っていくというふうになっ てしまったところとかね。その橋を歩く人はほとんどいないんですけど、ものすごく景色がいいもんですから歩くのを僕はとても楽しみにしていたんです。橋が 生活を変えるんだなあと思うと同時に、それによって希望が生まれる訳じゃないと思いますけどね。僕は住んでいる訳じゃないから、いろんな機微が分かりませ ん。とにかく毎日散歩していただけなんで、えらそうなことは言うまいと思っています。

◇開発で解決する時代は終わった

 言うまいと思っていますが、僕の、いま所沢ですけども、住んでいる路地でいうとですね。そこに立派な道路をつくってもうるさくなるだけで、僕らの 路地の問題は何も解決しません。要するに、開発で何かけりがつく時代はもう終わったんですよね。どういう生活の質をつくっていくかということの方が大きな 課題になっているじゃないかと思うんです。

 たくさん人がいるから、にぎやかでいいというわけではなくて、たくさん人がいるからものすごく孤独であるという状態が僕らの日常ですから、そういうことから考えると、はたから見ていると鞆の浦のお年寄りのほうが、僕はのんびりしてるなと思いました。

 (開発推進派が)子どもが(鞆に)帰ってこないといいますけど、帰ってきませんよ僕のところだって。同じだと思うんですよね。

(記者)地元の住民の方々へのメッセージがあればお願いします。

 勝ったとか負けたとか言うんじゃなくて、もう1回仕切り直して、冷静に考えてみようっていうふうにしてくださるといいなと思います。橋か、なしかとかね、そういうふうに問題を単純化すると傷口が残りますから。

 とても難しい課題だと思いますが、それは鞆の浦の課題だけではなくて、日本全体がしょっている課題だと思うんですが、どういうふうにしてこの国土をね、 もう少し落ち着いた住みやすい場所にするかというのを考えてやっていくしかないんだと思うんです。これをやればなんとかなる、という、そういう簡単な問題 ではないと思うんです。

 そりゃ、オリンピックやれば何とかなるとかね、オリンピックやらなきゃなんとかならないとか、そういう風に問題を単純化してはいけないというふうに思います。

 僕は町でとてもいい、おもしろい人たちに出会って、いやな感じは一度もなかったです。住みやすいところだなあと思いました。住んでみたら、また、別な問題が出るだろうと思いますが。

 関東というのは基本的に開拓村ですから、古い文化というのはこういうものか、というのをずいぶん、鞆の浦の町で、体験することができて、個人的に は大変収穫のある2カ月だったです。瓦の形も違うんだとかね。職人さんたちが本当に手早くってね。実に安くて、なんて素晴らしいんだと思いました。数字で 出てこない値打ちだと思いますよね。

◇不便を忍んで生きる

 (記者)生活しにくいということで、開発を望む声もあるようですが。

 僕が住んでいるところはとても不便なところで、迷い込んできた車に脱出口を口頭で言うことは不可能なところなんです。袋小路とかたつむりの奥みたいなところがいっぱいあるんです。ものすごく不便ですよ。それを一気に解決することは不可能ですよ。

 不便を忍んで生きるんですよ。それをひとつの方法で全部解決するなんてのは錯覚でね。そういう哲学を持たなきゃいけないんじゃないかと思うんですよね。

 僕はあの町は良いところがいっぱいある町で、確かに車も通って人も歩いてるけど、それは僕らのところでもそうですよ。あとは車が遠慮して通ればいいことで、車が遠慮して走ってますよ、鞆の浦は。だから何も困ってないと思いますよ。

 渋滞するっていうけど、そのくらいの渋滞ここらへんでいくらでも起こってますよ。

それを道路を造って橋をかけて渋滞をなくせば幸せになるかというと、結局、町の人が全部車を捨てれば別ですけど町の中の駐車場から車が出てくるわけで。そ んなことしないでしょ。不便だから何とかしろという人は。あの町は不便だから住みやすくなっていると僕は思いますけどね。

 要するに公共工事で何か劇的に変わるという幻想や錯覚を振りまくのはやめた方がいいと思います。

 そりゃ不便ですよ。不便だから愛着もわくというのが人間の心だから。便利で静かで穏やかで落ち着いているなんてとこないですよ。便利はうるさいで すよ。駅の横のマンションのてっぺんとか。不便も良さにつながるんですよ。僕は何も困らなかったですけどねあの町で暮らしていて。

 買い物にも小さな店がいくつも残ってるし。大きな店いかなくても小さな店なら顔もわかるしね。何も困らなかったですし。文房具屋さんもあるし下着 も買ったし、品数は少なくても迷わなくてすむから。「紳士物ください」で終わるからいいなと思いました。おいしいコーヒーの店も何軒もありましたしね。

(記者)原告から連絡はありましたか?

 「よかったですね」ともちろん言いましたが、「ああ、これからいろんな動きがずっと続くな」と思いました。そういう訴訟合戦ではなくて、もうちょっと便利とか不便とか過疎とか過密とかいうレベルではないところで

もう少し遠くを見た生活の組み立て方とか国土とか気候とか、いろんなことを踏まえたうえでどういうふうに生きていくのかということをね、不便なら不便でちゃんと受け入れようということも含めてやるべきだと思う。

 とても印象的な体験だったんですが、散歩をしている時に知り合って僕より先輩のおじいさんと何度か立ち話をしたときに、その人が「ミカンもやめた、もう 鞆は終わりだ」と言ったんですけど、見てると孫が訪ねてきてうれしそうな顔をしているんですよ。全然終わってないじゃないかと僕は思ったんですけど。

 (記者)ポニョと鞆の浦の関係性は?

 舞台だと言うまいと思ってますけど、内海のとてもおもしろいところだからスタッフを連れてこういうところだと見せたりしました。トトロと同じでいろんな 断片を集めて一つの場所を作るんで、たくさんの島とか入り江とか。たくさんありますから、そこをモデルですという風に言うとうそになるんですよね。ここが モデルだという人もいますから、それを僕が出向いていって違いますよということではないからね。

 あまりどこそこがモデルだという風には。実写と違いますから。

 (記者)もし開発を認める判決が出たらどうするつもりでした?

 挫折したくないから橋ができたらその上を散歩してやろうと思っていた。車で通らずに。推進派の人で、ダメなら壊せばいいじゃないかといった人がい るけど、そんなに簡単に壊せるものじゃないですよね。一回かけたらはずせないですよ。そういう嘘をついちゃだめですよね。港湾設備の整理、なんとか、とい う看板立っているけどそれも嘘でしょ。

港の機能がこれ以上広がる可能性はあそこにはないですよ。だから、嘘をつかない方がいいと僕は思いましたけどね。

 いい港になってもっと整理すればもっときれいになると思いますが、不法係留のつなぎっぱなしの船も整理してきちんとした風景を作れば、観光地とし てというよりもっと住みやすい所になると思いましたけどね。よそから見て言うことで、偉そうに言うつもりは全然ないんです。それぞれの事情を抱えてやって いることだから。

 ただ、狭い町で二つに分かれてけんかするのはあらゆる意味でしこりを残してよくない。勝った負けたでなく話ができるといいのになと願っている。

 (記者)広島県は控訴すると思うが、県に対してメッセージは?

 僕は言う立場にないと思うが、税金の無駄遣いになるから控訴しない方がいいですよね。僕は裁判官の勇気に敬意を表します。

 (記者)(架橋)計画がずさんで、という話ですが、拝見したんでしょうか?

 僕は何も「拝見」してないんです。見る必要ないと思ったんです。要するに橋をつくるってことも含めて、今までも十分埋め立てたことありますから、そこを もう一回海に戻すってこともあっていいんじゃないかなと思う。人口が減ってきているんだから。もう少し藻場の復活を考えた方がいいんじゃないかなと思いま した。

 漁業の後継者がいないという単純な問題じゃなくてあんだけトロールでひっかいてたら

何も捕れなくなるのは当たり前。ごみも捨てるしね。復活するいい舞台を、財産を持っていると思う。松は切られちゃったけどウバメガシが復活している わけですから、こんもりした森があちこちで生まれていると思う。あちこちに立派な石垣が残ってて埋もれているんですけど、古代遺跡を歩いているような。そ れで人が集まってお金を落とすかというと集まってこないと思うけど、個人的には僕はその場所があったことで精神的に救われました。




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