2009年10月2日金曜日

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大王級古墳100年ぶり発掘、葺き石確認 津堂城山古墳

2009年10月1日22時42分

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写真:葺き石と円筒埴輪(手前)が出土した津堂城山古墳=大阪府藤井寺市、山本裕之撮影葺き石と円筒埴輪(手前)が出土した津堂城山古墳=大阪府藤井寺市、山本裕之撮影

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 大王墓級の墳長208メートルを誇る前方後円墳、大阪府藤井寺市の津堂城山(つどうしろやま)古墳(4世紀後半)の墳丘で、こぶし大の石を敷き詰めた 「葺(ふ)き石」が良好な状態で確認されたと同市教委が1日、発表した。古墳は陵墓参考地と国史跡に二重指定されており、墳丘本体の発掘は約100年ぶ り。研究者は「なぞに包まれた巨大古墳を解明するうえで貴重な資料。陵墓調査・公開への前進にもつながる」と注目している。

 陵墓や陵墓参考地を含む古墳本体が、宮内庁以外によって調査されるのは極めてまれ。今回、後円部墳頂の陵墓参考地部分を囲むフェンスの基礎部が土 砂崩れで露出し、石棺のある竪穴式石槨(せっかく)(石囲い)が崩壊する恐れがあるため、復旧工事を前に市教委が墳丘すそ部までの長さ50メートル、幅2 メートルを発掘調査した。

 その結果、河原石をびっしりと敷いた1段目斜面(長さ9メートル)の葺き石が出土。続く長さ6メートルの平面に並ぶ埴輪(はにわ)3基や、2段目 斜面(長さ6メートル)の葺き石も確認された。市教委は「初期の大王墓墳丘がどんな規格で築造されたかを推定できるデータが得られた。墳丘上部はえぐられ ているが、1、2段目の形などからみて、これまで3段とされてきた墳丘が4段だった可能性もある」としている。

 津堂城山古墳は、大阪平野に群集する大型古墳の中で最も早く築造されたとされる。室町時代、山城に利用されて墳丘の形が大きく崩れ、王権の象徴と される巨大な前方後円墳でありながら、明治初期の陵墓治定から外された。1912年に後円部の墳頂が掘り起こされ、国内最大級の長持(ながもち)形石棺が 出土している。

 白石太一郎・同府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は「200メートル超の大王墓級の古墳本体に発掘の手が入った意義は大きい。他の陵墓発掘に宮内庁 がどう対応するのか注目したい」と話す。奈良県立橿原考古学研究所の今尾文昭・総括研究員は「画期的な調査。宮内庁と文化財行政側は立場が違うが、しっか り保存したいという目的は同じはず。宮内庁と地元行政が互いに活用できる調査データを共有する関係を築くきっかけになれば」と期待を込める。

 現地説明会は、3日午前10時〜午後4時(随時説明)。問い合わせは市教委文化財保護課(072・939・1417)へ。(大脇和明)





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