聖母像の到来 [著]若桑みどり
[掲載]2008年11月30日
- [評者]石上英一(東京大学教授・日本史)
■現地文化と融合し浸透した聖像美術
1549年、イエズス会のザビエルが鹿児島に至り、日本にキリスト教を伝えた。1582年、九州のキリシタン大名は同会のヴァリニャーノの導きにより、4人の少年使節をスペイン国王とローマ教皇に遣わした。
著者は、近代世界システム構築の渦の中に投げ込まれたこの天正遣欧使節とキリシタンを描いた『クアトロ・ラガッツィ』を、03 年に歴史小説のかたちで発表した。本書では、美術史家として、16〜17世紀のキリスト教布教・禁圧期の日本における、聖母マリア像の普及と受容を論じて いる。
カトリック教会はルターの宗教改革に対抗し、宗教文化再編のため聖画像・聖母の崇拝を再確認し、聖母像のモデルを定めた。カト リック復興の担い手として登場したイエズス会は、アジアにおける布教において聖母像を利用した。ザビエルも聖母像を携えて薩摩に上陸した。著者はまず、そ の聖母像の原型と崇敬の典拠となる原典を分析し、さらに16世紀後半にもたらされた聖母像をヨーロッパに残る画像から明らかにする。
1579年に来日したヴァリニャーノは、現地文化との融合の実践のため、教育制度を重視し、イタリアから画家を招いた。セミナリオでは日本人により聖母像が描かれ銅版画が作られた。それらはカトリックの原型に基づきつつも、様式と材質は日本風であった。
日本のキリスト教絵画の代表とされるのが「聖母十五玄義図」だ。神戸市立博物館所蔵「ザビエル像」と共に伝わった大阪府茨木市 のキリシタン遺物史料館所蔵の東本、京大所蔵の原田本があり、16世紀にキリスト教が普及した摂津で1920年と30年に発見された。玄義図は中央にイエ スを抱くマリア、その下にザビエルとロヨラ、左下から天辺を経て右下へ、受胎告知・イエス降誕などを示す「聖母の御喜び」、磔刑(たっけい)などを描く 「聖母の御悲しみ」、復活・昇天・聖母戴冠(たいかん)などを表す「聖母の栄光」からなる祈祷(きとう)用の画像を描く。
著者は、この玄義図と他の多数の聖画像との比較や教義展開の分析を通して、東本は中世的・ルネサンス的伝統を残存させるのに対 し、原田本はより繊細かつ巧みで東本より後の1600年以後の作品と見るなど、カトリック復興期における布教美術の歴史を理解するための新たな視点を提供 した。
17〜19世紀の禁教下、隠れキリシタンは密(ひそ)かに聖母子像である納戸神を描き、あるいは観音の陶磁像をマリア像として崇敬した。納戸神は日本風に変装させた聖母画。女性をかたどる観音像は東アジア型聖母像の一種で、中国で生産されたものが用いられた。
世界システムの周縁における布教では、聖母像は現地文化と融合し、民心に浸透した。カトリック教会は女性母神の普遍性を借りて世界布教を実現した。さらに著者は、布教される側の民衆、禁教下の民衆が創造した聖像の美術を評価する必要があるという。
本書は学位請求論文をもとにした遺著である。だが専門書と敬遠する心配はない。明快な文章と200余の図版は、キリスト教美術の見方、深さを教えてくれるはずである。
◇
わかくわ・みどり 1935〜2007年。元千葉大教授。美術史家。著書に『薔薇(ばら)のイコノロジー』『皇后の肖像』など多数。
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