2008年12月24日水曜日

asahi shohyo 書評

破戒と男色の仏教史 [著]松尾剛次

[掲載]週刊朝日2008年12月26日号

  • [評者]海野弘

■中世には95人を犯した男色の僧もいたらしい

 殺してはいけない、盗んではいけない、犯してはいけない、などの戒は、人間の当然守るべき条件のように思える。だが、誰でもいいから殺したかった、といった事件の前に、私たちはことばを失っている。

 人間は戒めをつくって守ろうとするが、それを破ってしまう哀しい動物であるらしい。この本は、日本の仏教史を〈戒律〉を通して解明したものである。

 中世の仏教などというと、私たちにあまり縁がないように思えるが、戒律を破ってしまう僧たちの姿によって、仏教史が、人間的で、なまなましい面を見せ、さまざまな問題を考えさせられる好著となっている。

 破戒の中でも、特に人間と人間のつながりの微妙な問題に触れる〈男色〉は、仏教史ではあまりきちんと語られてこなかったが、 やっと研究が進みつつある様子が示されている。中世の仏教界では〈男色〉が少しも珍しくなかったらしい。たとえば宗性(そうしょう)という僧は、36歳の 時に、それまでに95人の男を犯したことを告白し、100人以上はしないと誓っているのである。

 このように破戒が横行していたからこそ、中世に戒律をめぐる改革運動が起こった。そこには、あらためて戒律を復興するか、それ とも守れない戒律を廃止するかの二つの道に迷う人間がいる。彼らは地獄へ堕ちるしかないのか、彼らを救うことはできないのか。その問いの中で、宗教改革が 行われてゆく。

 日本は明治以後、西欧近代化への道を選び、僧の妻帯を認めてしまった。しかし、そのことが、日本の仏教をアジアの中で異質なものにしてしまった、という指摘ははっとさせられる。

 日本の仏教は、あいまいなものになった。しかし今、世界では、宗教をめぐる戦争が、むしろ珍しくなくなっている。私たちには守るべき戒律があるのか。現代において人間の条件はなんだろうか。現代の混乱からなにが生まれてくるのだろうか。

表紙画像

破戒と男色の仏教史 (平凡社新書)

著者:松尾 剛次

出版社:平凡社   価格:¥ 756

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