2008年12月24日水曜日

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社会鍋100年、募金増える冬 炊き出しに若者の姿

2008年12月24日18時7分

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写真人生の「どん底」から立ち直った経験をかてに社会鍋への募金を呼びかける男性(右)=東京・渋谷駅前、渡辺写す

 師走の街角に今年も救世軍が立ち、募金を呼びかけている。お金を入れる鍋を三脚につるす「社会鍋」は登場から100年になる。もともとは失業者を助ける ために始まった街頭募金。厳しい不況の中で、募金額は昨年の同じ時期より大幅に増えている。募金集めに声をからす人の中には「どん底」の人生から立ち直っ た人もいる。

 夕暮れ時の東京・渋谷駅前。紺の制服、制帽に紅白のたすきの救世軍の姿があった。雑踏に響き渡るラッパと賛美歌のメロディーが郷愁を誘う。

 会社帰りのサラリーマン、買い物帰りの主婦……。鍋の前で足を止める人はさまざまだ。大半は硬貨だが、そっと紙幣を差し出す人もいる。白髪交じりの労働者風の男性は封筒を鍋に入れると、無言で立ち去った。中には1万円札が12枚入っていた。

 救世軍は都内では今月10日から社会鍋を始めた。寄せられた募金は20日までに約950万円。不況が深刻化するおり、昨年の同時期に比べ100万円以上多いという。

 「今年で100年目です。多くの待っている方のために、どうかご協力をよろしくお願いします」。渋谷駅前でマイクを握る男性(71)は社会鍋の活動で街頭に立ち始めて4年。今年は3度目だ。

 15歳で東京の実家を家出し、「人に言えないような人生」を50年、過ごしてきた。ばくちに酒。刑務所に入ること4度。人生に行き詰まり、7年前の大みそかの夜、川に飛び込んだ。

 凍える寒さに耐えきれず、岸に上がると、落ちていた酒瓶を割って、左手首を切った。その傷跡が今も残る。病院で治療を受けたあと、救世軍の福祉施設「新光館」(新宿区)を紹介され、半年暮らすうちに「聖書の教えが絶望の中にいた自分を救ってくれた」という。

 日雇い労働者の街、東京・山谷に暮らし始め、墓掃除の仕事が決まった矢先、脳梗塞(こうそく)を患った。左半身がまひしたが、懸命のリハビリで自力で歩けるまでに回復した。

 生活保護を受けながら、4年前から週に4日ほど、上野公園や隅田川沿いに自転車で1人で通っては、ホームレスの支援をしている。「どん底の社会だが、自分のように救われた人もいることを多くの人に知ってほしい」

 東京駅近くで22日におこなわれた救世軍の街頭給食には、寒空の下、約250人が並んだ。派遣切りなどの世相を反映してか、見慣れない若い人が増えているという。

 救世軍本営伝道事業部長の樋口和光さん(57)は、募金額が増えていることについて「仕事をしている人も、いつ立場が変わるか分からない時代。仕事を失った人たちへの思いを鍋に託して下さっているのではないか」と話している。(渡辺丘)

 〈救世軍と社会鍋〉救世軍は1865年、英ロンドンの貧民街で生まれたキリスト教の団体。現在は世界100以上の国と地域で伝道や慈善事業をしている。 日本での社会鍋は1909年、米国の救世軍がスープつぼを三脚にぶら下げていたのをヒントに鍋をつるしたのが最初。毎年末、全国主要都市の人通りが多い場 所に信徒やボランティアが立つ。



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