2008年12月18日木曜日

asahi shohyo 書評

マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』 荒俣宏(下)

[掲載]2008年12月14日

■変装しては本屋通い 悪書から毒書へ興味

  中学生がもっとも関心を持つ"悪書"は、疑いなく、わいせつ図書だ。なにしろホルモンが「見たい、見たい」と体中で騒ぎだすのである。わたしはさいわい、 子供離れした老け顔だったから、変装して近所の古雑誌屋へ行き、成人でないと買えない本を堂々と買ってくることができた。

 そういう本を買って読んでみると、天才モーツァルトが好色だったとか、デカルトは女性のお尻を触るのが好きだとか、書いてある。教科書に載っている偉人でも、そんなふしだらな行為に耽(ふけ)るのか、と思いつつ、西洋史の暗部に関心が向くようになった。

 そして高校二年のとき、"魔王"に出会った。渋沢龍彦である。これで、わが西洋史はすべて異端一辺倒に塗りつくされたが、その 渋沢がわいせつ文書関連の咎(とが)で起訴されていた。人類最悪の文学とレッテルを貼(は)られたマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』だ。これは読まずに済 まされない。変装して、買いに行った。

 期待したのは、エログロの極致、とくにエロの極北だった。ところが読んでみると、井原西鶴でも読むような古典的好色文学の味わ いではないか。「彼があたしたちの前門を刺戟(しげき)しているあいだ、司祭はあたしたちの裏門を何しているので」とか、「三人の若気(にやけ)に指を 突っこむ」とか、肝心の興奮場面がちっともあからさまでない。

 だが、じつはこの本は、悪書を通り越して"毒書"だった。とくに、アペニン山中に住む食人鬼が性戯と殺戮(さつりく)を一緒く たに犯し、その犠牲者を毎日何人も××(伏せ字)てしまう挿話には慄然(りつぜん)とした。そのいじめ方、殺し方が、人間性の限界を超えている。しかも、 サド自身がそれに類した行為を実践していたのだ。厄介なことに、その行為は悪魔の所業というより、神の放蕩(ほうとう)だった。もっといえばただの遊びな のだ。

 この毒にあたって以後、わたしは悪書に中毒したことがない。(作家)

    ◇

 渋沢龍彦訳で59年に現代思潮社から刊行。現在は河出文庫の「サド選集」で読める。

表紙画像

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

著者:マルキ・ド サド・マルキ・ド・サド

出版社:河出書房新社   価格:¥ 693

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悪徳の栄え〈下〉 (河出文庫)

著者:マルキ・ド サド・マルキ・ド・サド

出版社:河出書房新社   価格:¥ 693

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