2008年12月11日木曜日

asahi shohyo 書評

〈回顧2008〉今年の文芸を振り返る

2008年12月11日

■社会状況やシステム問い/現代の混迷ぶり劇画的に

 ネットやメールの普及は私たちの生活を大きく変えた。一方で、人間の本質は変わらず、社会体制も代わり映えしない。激変しているようで閉塞(へいそく)感が漂う現代の混迷ぶりを反映してか、今年は社会の状況やシステムに切り込んだ意欲的な長編が目立った。

■ネット社会見つめ

 平野啓一郎氏の『決壊』(新潮社)は、従来なら出会うはずのない関係で起きる殺人事件を描く。人間の多面性やズレがネットを介 することで容赦なく増幅され、悲劇を招く一方で、メディアや警察の反応は旧態依然としており、その対比が今日の状況をあぶり出している。新たなコミュニ ケーションのパラダイムに入ったネット社会で起こりうる危機と倫理を問いかけた野心作だ。

 携帯電話の浸透は私たちに、離れていてもつながっている感覚をもたらした。黒川創氏の『かもめの日』は、東京のFMラジオ局で 働く人々を軸に、無関係なようで実はゆるやかな接点を持つ群像の1日を描く。宇宙からの視点を導入した俯瞰(ふかん)的な手法で、都会に暮らす人々の孤独 感や憎しみを描き出す。個人ではなく、人々が行き交う「24時間」を主役に据える試みだ。

■「偽の世界」を様々に

 桐野夏生氏の『東京島』は女性1人と男性多数が無人島に漂着する、というエンターテインメント色の強い設定ながら、島には「疑 似東京」が形成されて批評性を帯びる。極限状況での人間の本性や、共同体ができる原初のシステム、日本人と中国人の対照などを浮かび上がらせて、現代社会 のシニカルな戯画となってゆく。

 町田康氏の『宿屋めぐり』はさらに戯画性が高い。「主」の命を受けて大権現へ大刀を奉納しに行く旅を描いた道中ものだが、主人 公は「偽の世界」へと迷い込み、あらゆる行為が裏目に出て罪人にされる。真偽が幾度も反転し、どこまで行っても正義にたどり着けない。そこで露呈する人間 の弱さはやがて、矛盾をはらむ世の創造主への反問へと転じる。

 逃亡の旅がストーリーの一端を担う古川日出男氏の『聖家族』は、東北6県を舞台に戦国時代にまで話が及ぶ。武闘の達人である兄 弟と末娘の3きょうだいの今を横軸に、何代もの「ばば様」の系譜を縦軸に、逸脱しながら物語は重層をなしてゆく。辺境、異端の視点に貫かれた力作だ。

 ベテランでは、筒井康隆氏が『ダンシング・ヴァニティ』(新潮社)で斬新な試みをみせた。同じシーンが幾度も反復され、パラレルワールドのように少しずつズレながら話が進む。終盤、人生における記憶のはかなさが浮かび上がり、哀感を醸し出す。

 新鋭では、山崎ナオコーラ氏が『長い終わりが始まる』(講談社)で、大学サークルを舞台に芸術を追求したい主人公の疎外感を描 き、組織と個人というテーマを等身大にとらえてみせた。津村記久子氏の『ミュージック・ブレス・ユー!!』(角川書店)は、音楽のほかは何もない、女子高 校生のかけがえのない日常を鮮やかに描きだした。昨年注目された川上未映子氏は、『乳と卵』(文芸春秋)で、少女と大人の性意識と身体感覚を対置しながら 冗舌な語りでつづり、07年下半期の芥川賞を受賞した。

■非母語作家が芥川賞

 日本文学史で今年、特筆すべきは、中国人・楊逸(ヤン・イー)氏『時が滲(にじ)む朝』(同)の芥川賞受賞(上半期)だろう。 楊氏は22歳で来日してから日本語を学んでおり、73年の同賞史上、初めて非母語の作家が受賞した。政治的事件にかかわった中国人の苦難の人生を愚直に描 く「近代」的なテーマだ。

 一方で、小林多喜二『蟹工船・党生活者』(新潮文庫)が今年になって50万部以上売れた。昭和初期に書かれたプロレタリア文学が、厳しい労働環境にあえぐ若者の共感を呼んだという。これも社会システムを見直す動きに通じるだろう。(小山内伸)

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〈私の3点〉評者・50音順

北上次郎 文芸評論家

▽志水辰夫『みのたけの春』(集英社)

▽中田永一『百瀬、こっちを向いて。』(祥伝社)

▽打海文三『覇者と覇者』(角川書店)

小池昌代 詩人・作家

▽清水眞砂子『青春の終わった日』(洋泉社)

▽水村美苗『日本語が亡(ほろ)びるとき』(筑摩書房)

▽佐野洋子『シズコさん』(新潮社)

斎藤美奈子 文芸評論家

▽古川日出男『聖家族』(集英社)

▽桐野夏生『東京島』(新潮社)

▽町田康『宿屋めぐり』(講談社)

津島佑子 作家

▽リービ英雄『延安』(岩波書店)、『仮の水』(講談社)

▽町田康『宿屋めぐり』

▽小池昌代『ことば汁』(中央公論新社)

沼野充義 ロシア文学者

▽黒川創『かもめの日』(新潮社)

▽水村美苗『日本語が亡びるとき』

▽今福龍太『群島—世界論』(岩波書店)

松浦寿輝 作家・詩人・仏文学者

▽町田康『宿屋めぐり』

▽安藤礼二『光の曼陀羅(まんだら)』(講談社)

▽高貝弘也『子葉声韻』(思潮社)

表紙画像

決壊 上巻

著者:平野 啓一郎

出版社:新潮社   価格:¥ 1,890

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かもめの日

著者:黒川 創

出版社:新潮社   価格:¥ 1,680

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東京島

著者:桐野 夏生

出版社:新潮社   価格:¥ 1,470

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宿屋めぐり

著者:町田 康

出版社:講談社   価格:¥ 1,995

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聖家族

著者:古川 日出男

出版社:集英社   価格:¥ 2,730

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ダンシング・ヴァニティ

著者:筒井 康隆

出版社:新潮社   価格:¥ 1,470

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長い終わりが始まる

著者:山崎 ナオコーラ

出版社:講談社   価格:¥ 1,260

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ミュージック・ブレス・ユー!!

著者:津村 記久子

出版社:角川グループパブリッシング   価格:¥ 1,575

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乳と卵

著者:川上 未映子

出版社:文藝春秋   価格:¥ 1,200

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時が滲む朝

著者:楊 逸

出版社:文藝春秋   価格:¥ 1,300

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蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

著者:小林 多喜二

出版社:新潮社   価格:¥ 420

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