2008年12月16日火曜日

asahi science Nobel Prize Kobayashi Masukawa Niu

ノーベル賞、名大先輩の陰の貢献 小林・益川理論(1/2ページ)

2008年12月15日1時8分

印刷

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真宇宙線の観測装置を前に新粒子発見当時のことを語る名大名誉教授の丹生潔さん=11月28日午後、名古屋市千種区、恵原弘太郎撮影

写真ノーベル賞受賞記念講演で丹生さんの業績を紹介する小林誠さん=8日、ストックホルム大、内村直之撮影

 ノーベル物理学賞を受けた「小林・益川理論」が生まれたきっかけに、丹生(にう)潔・名古屋大名誉教授(83)の業績があった。丹生さんの研究は発表当 時、世界から冷たく扱われたが、最近、ようやく再評価の動きが出てきた。小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授も8日の記念講演で、丹生さんの業績 を紹介した。

 小林さんと益川敏英・京都産業大教授が、物質をつくる基本粒子クォークは六つと予言したのは73年のことだ。当時、世界の常識は三つ。大胆な予言ができたのは、第4の粒子を、丹生さんが発見したと知っていたからだ。

 小林さんは8日、ノーベル賞講演の中で、丹生さんが見つけた「1例」を図入りで紹介、「四つめのクォークに違いないと確信、クォークの数を多くする研究のきっかけとなった」と丹生さんの貢献をたたえた。

 丹生さんらは、地球に降る素粒子の宇宙線を観測する「原子核乾板」と呼ばれる方法に取り組んでいた。巨額の開発費がかかる加速器実験が難しかった 日本で広く使われていた方法だ。貨物航空便に目をつけ、日本航空に交渉、客便ならトイレに使う空間に約30キロの装置を数個置き、1万メートル上空を数日 飛び回る間に浴びた宇宙線を解析した。

 68年に実験を始めて間もなく、まったく新しい素粒子を発見した。「X粒子」と名付けて、71年、国際会議で報告したが、「1例で確かなことはいえない」と世界の学者は冷ややかだった。

 しかし、第4のクォークの存在は、74年に米国の2チームが加速器で証明する。今度は、世界中が興奮して「素粒子物理の革命」と騒ぎ、76年のノーベル賞につながる。当時は、宇宙線より加速器で人工的に素粒子をつくる実験が圧倒的に注目されていた。



0 件のコメント: