2009年9月2日水曜日

asahi shohyo 書評

現代人はキリスト教を信じられるか—懐疑と信仰のはざまで [著]ピーター・L・バーガー

[掲載]2009年8月30日

  • [評者]久保文明(東京大学教授・アメリカ政治)

■なぜ人は信仰を持とうとするのか

 本書は、著名な社会学者バーガーによるキリスト教徒としての実践の書である。著者はキリスト教について、さまざまな疑問があることを認めつつ、最終的には肯定的な理解ができることを静かに語りかける(原書の副題は「キリスト教の懐疑的な肯定」となっている)。

 著者は冒頭で告白する。現在の神学や派閥はどれも肌に合わない。ルター派を自認しているが、ルター派教会とは肌が合わないた め、聖公会の教会に出席している。もっとも居心地よく感ずるのはリベラルなプロテスタントだが、それはこの教派が懐疑と信仰のバランスを保っているからで ある。現代という時代から逃避することなくキリスト教徒であり続けるには、このバランスが不可欠である。今日どの宗派も自明のこととして受け取ることがで きなくなった。そのような状況では、宗教の伝統から取捨選択して一部を保持し、他を捨てる選択行為、すなわち異端は避けられない。

 本書では、人はなぜ信仰を持つべきなのかといった根本的な問いに対して、丁寧な説明が提供される。たとえば、信仰を持つことに ついては、「たしかにある種の賭けである」と説く。信仰をもつことは、「世界は究極的には善である」「最後には喜びがある」ということに賭けることであ る。

 とくに著者がこだわるのが、罪のない子供が苦しみ死ぬことである。なぜこのようなことが起こるのか。これは神を信ずるキリスト 教徒として、どうしても受け入れることができない現実である。著者は神自身苦しんでいるという学説も紹介しながら、そして「口ごもり」、躊躇(ちゅう ちょ)しながらも、信仰を捨てないのであれば最後は神への信頼に賭けるしかない、と述べる。

 日本は非キリスト教的な国であるのみならず、世界でも際立って世俗的な国である。しかし、アメリカや中東諸国を含め、宗教的な 国は多い。なぜ人は懐疑的な知識人を含めて、信仰を持とうとするのかについて、日本人も一度は考えてみる必要があるのではないか。そのためには格好の入門 書である。

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 森本あんり・篠原和子訳/Peter L. Berger 29年生まれ。アメリカ在住の社会学者。

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