2009年9月23日水曜日

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谷崎潤一郎、58年ノーベル賞候補 三島由紀夫が推薦状

2009年9月23日3時1分

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写真:谷崎潤一郎谷崎潤一郎

写真:三島由紀夫三島由紀夫

 【ストックホルム=小山内伸】1958年のノーベル文学賞で、谷崎潤一郎が最終候補の一歩手前の候補者41人に入っていたことが、スウェーデン・アカデ ミーに対する朝日新聞の情報公開請求でわかった。38年の受賞者パール・バックの推薦が決め手で候補となり、後にライバルとなる三島由紀夫も推薦状を送っ ていた。

 ノーベル文学賞は、世界の作家組織や学識者らが候補を推薦。同アカデミーで絞り込んでいく。50年間の非公開期間が過ぎて開示された58年の選考 資料によると、谷崎はバックや三島、日本文学研究者ドナルド・キーンさん、ハーバード大のライシャワー教授ら計5人が推していた。

 資料には14行にわたる長文の論評があり、「現代日本の代表的な作家。『細雪』では、戦前から戦後にかけて伝統が失われてゆく中で母国の習慣と社 会の規範に対する素晴らしい観察がみられる。『蓼喰(たでく)う虫』では、優しい悲愴(ひそう)のベールに覆われた日本の現実が芸術的な手腕で表現されて いる」と評価。一方で「ノーベル委員会はこの候補者に興味を持っていることは認めるが、今の時点では受け入れる準備ができていない」と結んでいた。

 谷崎は最終候補の4人に残らず、この年はソ連のパステルナークに決まった。谷崎は65年に死去、日本初の受賞者は68年の川端康成となった。

 三島の推薦状は58年1月24日付で、便箋(びんせん)1枚に英文タイプでつづられている。「古典的な日本文学と現代的な西洋文学の融合に最高の 水準で成功した作家」「主題は限定されているように見えるが、その核心には常に理想主義者の批評的感覚がある。その美の世界に顕著に現れる、人間の本質へ の洞察の鋭さは驚きをもたらす。繊細だが輝かしく、はかないが重みのある、芸術と呼ばれる仕事を続けてきた」と力説している。

 三島は当時、海外で名が知られ始めた時期。谷崎を推薦したことは一般には知られていなかった。

 日本から候補になったのは47、48年の賀川豊彦が初めて。その次が58年の谷崎と詩人の西脇順三郎であることも今回分かった。選考資料で西脇は「翻訳された資料に乏しい」などと2行記されていた。





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