2009年9月22日火曜日

asahi shohyo 書評

アルベール・カーンコレクション よみがえる100年前の世界 [著]デイヴィッド・オクエフナ

[掲載]2009年9月20日

  • [評者]横尾 忠則(美術家)

■時代思想を超えた純粋無垢な写真美

  フランスの大富豪、アルベール・カーンは私財を投じて最新の写真技術を携えたカメラマンを世界各地に派遣して、20世紀初頭のさまざまな様相を撮らせた。 彼は国際主義者であると同時に平和主義者で、文化的多様性を理解しあうことで戦争を防ぎ平和を祈願しようと、この驚異的なプロジェクトを遂行した。

 その成果のほんの一部を収めた写真集が本書である。掲載された40カ国387点の写真はヨーロッパ、アメリカ、第1次世界大戦、中東、アフリカ、極東(日本も含む)など10項目に分類され、大半が風俗と風景からなる"地球家族"の記録だ。

 本書を開いた瞬間、私は思わず写真に息を吹きかけて表面に積もった厚い灰の層を散らそうとした。全部の写真が灰に煙る大気の中で撮られたように、対象がかすんで見えたからだ。その理由は、歴史的時間の浸食の中で写真が古色蒼然(こしょくそうぜん)としていたからだった。

 だけど、その結果、逆に写真が新たな生命を得たと私は言いたいのである。芸術的表現を目的にしていないにもかかわらず、歴史の 風雪の中で予期せぬ芸術的価値を得たように思うのだ。ほとんどが生活空間の中でたたずむ人物写真だが、そこには誰ひとりとして笑顔がないのが異様でもあ る。封印された笑顔の奥に潜むある種の攻撃的な視線は、見る者を思わず後ずさりさせる。

 いったい、この冷徹な人を射るような視線は何に起因しているのだろう? カメラという文明に対する、彼らの不安と恐れからくる 防衛本能なのか? しかし、そこにはこの世ならざる死の安らぎのような空気が漂っている。写真の中の人間はすでに死者である。生者と死者は不思議と写真の 上でも区別できるが、それは単に写真が古いからだけではなさそうだ。

 写真の人物は死して芸術に化身し、新しい生を得て今日の時代によみがえっている。これらの写真を眺めていると、私はふとアン リ・ルソーの絵画を思い出す。彼を素人画家とはいわないまでも、その作品は素人の心と魂によって強化されている。その意味でも、これらの写真にはいい意味 でのアマチュアリズムが横溢(おういつ)している。そこではプロが持ち合わせていない霊力が発揮され、カメラと対決している被写体の視線がそのすべてを物 語っている。

 民族衣装を着用した者、労働者や農夫、そして難民、かと思うと大富豪もいる。観光絵はがき的風景の隣には生々しい戦火の傷跡を露出した破壊された街。しかしそのいずれもが美しい。ここには地上の視線ではない、まるで月世界からのビームを思わせる異次元の視線がある。

 少年が老年になっても失わずにいた純粋、無垢(むく)、素朴、無心が、まるで寒山拾得にカメラを持たせて撮った幼(おさ)な子 (ご)の視線のように、見る者のスピリットをかきたてる。思想を持たない者の思想を超越した「美」がある。ここには現代写真に対する批評があるように思 う。

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 別宮貞徳監訳/David Okuefuna 英リバプール生まれ。BBCのテレビプロデューサー。シリーズ「アルベール・カーンのすばらしい世界」など多くのドキュメンタリー番組を手がけ、本書が初めての著書。

表紙画像

アルベール・カーン コレクション よみがえる100年前の世界

著者:デイヴィッド オクエフナ

出版社:日本放送出版協会   価格:¥ 6,825

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