2009年9月29日火曜日

asahi shohyo 書評

建築する動物たち—ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで [著]マイク・ハンセル

[掲載]2009年9月27日

  • [評者]高村薫(作家)

■謎が広がる動物行動学の現在

  古代人の築いた城砦(じょうさい)を眺め、ケムシが蛹化(ようか)する際につくる繭を眺めて、外敵から身を守る構築物としての機能と構造は同じだと閃(ひ らめ)く。これが動物学者である著者の眼(め)である。自然史を遡(さかのぼ)れば、人間がまだ登場していないはるか前からアリはアリ塚を築き、鳥は巣を つくり、クモは糸を紡ぎ続けてきた。建築する動物としての人間はほんの新参者に過ぎない、と著者は言う。

 脊椎(せきつい)動物ではおもに鳥と齧歯(げっし)類と人間、無脊椎動物ではそれよりはるかに多くのものが建築をする。単細胞 のアメーバですら殻をつくるものがいる。さてしかし、たとえばクモの全中枢神経の容積は、最大でも人間の五百万分の一しかない。そんな昆虫がどうやって精 巧な糸を紡ぐのだろうか。体長数ミリのシロアリが、どうやって高さ数メートルにもなる巨大都市のような塚を築くのだろうか。

 結論から言えば、彼らの建築には大きな脳も、特別な身体機能も必要ない。捕食のための口や歩行のための脚を使い、もともと種に 備わっている遺伝子に従って、標準化された材料を選び、運んだり積んだりの単純な動作を反復するだけだという。一例をあげれば、アリはある程度の空間認識 ができ、女王アリのフェロモンのような化学信号を受け取ることもするが、彼らの行動を決定するのは基本的には巣自体の勾配(こうばい)や壁などの情報で あって、それらを刺激として受け取り、反応し、行動する。その連鎖だけで、設計者も責任者もいない数百万匹の集団が、用途別の部屋と通路と換気システムま で備えた巨大な構築物をつくってしまうのである。

 もちろん、そうした行動に寄与している遺伝的形質も、当然メンデルの法則に従い、環境による自然選択の法則に従って進化や変異 をする。現に、一対の女王とオスから生まれた働きバチたちの遺伝子はみな組み合わせが異なるが、彼らの巣の構造は、個々のランダムな建築行動が一定の形状 に収斂(しゅうれん)するようなアルゴリズムをもつらしい。

 観察と実験の先に、次々に謎が広がってゆく動物行動学の現在を概観できる読み物である。

    ◇

 長野敬ほか訳/Mike Hansell 英スコットランドのグラスゴー大学名誉教授。

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