2009年09月24日
『漱石の夏やすみ』高島俊男著(ちくま文庫)
「闊達な漱石」
漱石というとノイローゼとか胃弱とか、病気のイメージがつきまといがちだ。しかし、この本に出てくる漱石は快活で闊達な青年である。それはもう従来の漱石像を覆すほどだ。夏目漱石は第一高等中学校時代の夏やすみに、友人たちと1ヶ月ほど房総旅行をする。鯛の浦へ行ったり鋸山に登ったりして、のんびりと過ごした。明 治22年、漱石23歳のときのことである。帰京後に彼は松山で静養している友人の正岡子規に、その旅のことを漢文で綴って送ってやった。その漢文の紀行文 を『木屑録』という。漱石研究家以外にはあまり読まれることのないこの文章を読みといたのが、この高島俊男先生の『漱石の夏やすみ』である。
この『木屑録』はこんなふうにして始まる。
余兒時、誦唐宋數千言、喜作爲文章。或極意彫琢、經旬而始成。或咄嗟衝口而發、自覺澹然有樸氣。竊謂古作者豈難臻哉、遂有意于以文立身。(ただし原文には句読点はない)
旧字やむずかしい漢字が並んでいるので、これだけの文章を入力するのさえ時間がかかってしまった。そのことじたいが、現代のわれわれにとってこの 紀行文が遠い存在になっていることの傍証にもなる。だから、この本では、まず、『木屑録』全文の現代語訳がついている。その訳文というのが、まず目を引 く。
吾輩ガキの時分より、唐宋二朝の傑作名篇、よみならつたる数千言、文章つくるをもつともこのんだ。精魂かたむけねりになり、十日 もかけたる苦心の作あり。時にまた、心にうかびし名文句、そのままほれぼれ瀟洒のできばえ。むかしの大家もおそるるにたらんや、お茶の子さいさいあさめし まへ、これはいつちよう文章で、身を立てるべしと心に決めた。
現代的で、威勢がよくて、歯切れがいい。筆者はこれを読んでほんとうにびっくりした。というのは、従来の注釈家たちはこの部分をたとえば次のように書き下すのがふつうだからである。
余兒たりし時、唐宋の數千言を誦し、文章を作り爲すを喜ぶ。或は意を極めて彫琢し、旬を經て始めて成り、或は咄嗟に口を衝いて發し、自ら澹然として樸氣あるを覺ゆ。竊に謂へらく古の作者豈臻り難からんやと。遂に文を以て身を立つるに意有り。
こちらのほうは、四角四面で、荘重そのものの漱石先生である。訳の違いでこうも見える世界が違うものかと驚く。断然、高島先生の訳語のほうが生き 生きしていると思う。しかし、2つの訳を見比べてみて、あとのほうの書き下し文は元の漢文の言葉を巧みに利用していて、原文に忠実と言えるのではないか、 と言う人があるかもしれない。それに対しては、高島先生はきっぱりと反論する。「そりゃもう、いうまでもなく、わたくしの訳のほうが、ずっと(原文に)近 いのです」と。それはどういうことか。
右にひいた木屑録冒頭、これはもちろん戯文である。少年のころの自分がいかに野郎自大でコッケイであったか、という話から、漱石は木屑録をはじめている。(中略)
まあたとえばむこうはちまきでもしたオッサンが、やたいでなかまたちとにぎやかにコップざけをのみながら、「こう見えてもおめえ、オレはガキのころにゃ 画工で一番できたんだ、先生たちが神童といったもんだぜ」などといったら、みんながワッと笑って座がたのしくなる。そういうものだ。
余兒時誦唐宋數千言…、この最初の十字たらずをよんだだけで、子規はもうプッとふきだす。——すくなくとも、漱石のあたまのなかにある読者子規はふきだす。そのようすを想像しただけでおかしくて、自分もプッとふきだしながら、漱石はこれを書いているのである。
これを、「余兒たりし時、唐宋の數千言を誦し」とむずかしげな日本語にしてしたり顔しているカンブン先生なんぞは、文章の機微などなんにもわからぬ石あたまとふみたおして、万まちがいないのである。
そんじょそこらの学者先生のトンチンカンな訳文とは天地ほども質がちがうんです、あんな小難しい文章を作ってえらそうにしている輩は、文章のことなんか てんでわからぬただのトンチキ野郎だ、と啖呵をきっているのだ。「石あたまとふみたおして、万まちがいないのである」というようなやや古めかしい語法が出 てくるくせに、全体としては、口語的な語り口に見えるところが高島先生流である。こういうところは、すでに引いた訳文にも特徴的であったことを思い出して ほしい。「むかしの大家もおそるるにたらんや、お茶の子さいさいあさめしまへ、これはいつちよう文章で、身を立てるべしと心に決めた」——文語的な語法と リズムをベースにしながらも口語的な言い回しを自在に組み合わせて、文章に躍動感とリズムを与えている。カンブン先生流の「一律荘重」ノッペラボーな感じ とは大ちがいなのである。
こういう痛快な悪口は、正岡子規や夏目漱石の文章にもおよんでいる。『木屑録』という書き物を送られた正岡子規はこれに評をつけている。その文 章も漢文で書かれているが、それを評して高島先生は、「要するに子規の文章ははしにも棒にもかからない」とばっさりである。漱石にたいしても容赦がない。 たとえば、さきに引用した『木屑録』冒頭部分について——
(問題を)ひとつだけあげるとならば、「余兒時」のあと、「誦」のまえに、「そんなにはやくからもう」の気分をあらわす語がどうしてもほしい…「余兒時便誦唐宋數千言唐宋數千言」とするとだいぶよくなる。
と言ってのける。ここでも、高島先生の漱石への姿勢はふつうの人のそれとはちがっている。漱石の文章は一字一句間違いのない完璧なものだなどとは先生は考 えないから、「便」という漢字1字が必要だとして、文豪・漱石の文章を堂々と添削してしまうのだ。しかし、その添削は、口うるさいカンブン学者のお小言と いうのとはちょっと違うように思う。高島先生が『木屑録』の各所に関して、ここはいい、そこはダメ、などとウンチクを傾けているのを読んでいると、先生 は、年少の漱石や子規との力だめしを楽しんでいるように見えるからだ。高島先生は、この本では、権威的な「カンブン先生」というよりは、むしろ文芸部の頼 もしいタカシマ先輩のごとき存在として登場する。ちょっと(だいぶ?)口が悪くて、七面倒くさいことは大嫌い、しかし、きっぷがよくて、学識があって、話 もおもしろい。こういう先輩の言うことなら、漱石や子規も素直にうなずくほかないはずだ。それに、考えてみれば『木屑録』を書いたころ、漱石はまだ20代 の若者にすぎないのだった。
高島先生の「学識」のことにまで触れる余裕がなくなってしまった。『木屑録』を理解するためには、漢文とは何か、漢文をどのように日本人は受容 してきたかといったことについて触れないわけにはいかない、というので、先生は「『漢文』について」「日本人と文章」といった章をもうけている。「カンブ ンは大のきらい」と言うほどの先生である。漢文は日本の文化を豊かにしたのでありまして…なんてことを書くはずがない。例によって楽しい悪口が満載であ る。そのうえ、その部分は、漢文についてだけでなくて、日本人にとっての外国語受容や翻訳の問題へも光を当てる充実した箇所となっていて、英語の仕事をし ている筆者にとってもまことに学ぶところが多かった。さすがである。
高島俊男に駄作なし。高島先生の本を読んだことのない方には、この本か、あるいは向田邦子論の『メルヘン誕生』あたりから読むのをおすすめする。
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