2009年9月22日火曜日

asahi shohyo 書評

「女性をつくりかえる」という思想 中東におけるフェミニズムと近代性 [編著]ライラ・アブー=ルゴド

[掲載]2009年9月20日

  • [評者]南塚 信吾(法政大学教授・国際関係史)

■女性の新たな「公共圏」を提唱

  中東イスラーム世界における女性研究が進んでいる。イスラーム世界で女性が着用するベールについて、近代フェミニズムはそれの廃止を掲げ、イスラーム主義 は着用を主張するが、現実にはそれを着用しているのは労働志向の女性がほとんどで、結局、ベールをまとう女性とまとわない女性のあいだに明確な差異はない という。おやと思わせる話である。近代とイスラームを二項対立で見るな、というのだ。

 本書は複数の著者の論集ではあるが、比較的連携のとれた議論を展開している。

 まず本書は、19世紀の末以来、西洋の影響下で、中東(おもにエジプト、イラン、トルコ)において展開されてきたフェミニズムの議論を、近代主義の立場から無批判に支持するのも、イスラーム主義の立場からそれを「西洋かぶれ」として糾弾するのも意味がないという。

 なすべきことは、これまでの近代フェミニズムやイスラーム主義による女性解放を共に反省することである。フェミニズムという 「近代」は結局新たなジェンダー矛盾を生み出すだけだ。たとえば、貧しい女性を救済するはずの助産婦学校の卒業生は、結局近代社会の最下層の役割を担わさ れることになってしまった。あるいは、女子教育は、国家を支える男子を育てるための「近代国家に奉仕する者」に女性をおとしめてしまった。中東に広がる ジャンヌ・ダルク信仰もそれにくみした。一方イスラーム主義が「伝統」として提案している概念の多くは、西洋からの輸入であった。たとえば、女性は妻や母 の役割に戻れというのがそうである。

 本書において、こうした「女性をつくりかえる」動きの対極として暗黙に想定されているのは、イスラームの世界における「男性世界から比較的独立した女性世界内部の結束」である。これを女性の新たな公共圏にできないかと問うのだ。

 本書は、中東に限らず、他の世界にも示唆を投げかけるものを持つ。翻訳には生硬な面もあるが、若い訳者の意欲が伝わる一書である。

    ◇

 後藤絵美ほか訳/Lila Abu‐Lughod 米国・コロンビア大学教授。

表紙画像

「女性をつくりかえる」という思想 (明石ライブラリー132)

著者:ライラ・アブー=ルゴド

出版社:明石書店   価格:¥ 7,140

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