害虫の誕生 虫からみた日本史 [著]瀬戸口明久
[掲載]2009年9月20日
- [評者]高村薫(作家)
■近代化と戦争が関係性を変えた
もともと自然界に生きていた蛾(が)やウンカやバッタたちは、いつ「害虫」になったか。定住型農耕の始まりとともに農作物の虫害も始まったが、特定の虫を 「害虫」として捉(とら)えるのは、それが駆除すべきものとなったときだと本書は書く。江戸時代にも稲につく虫を駆除する方法はあったが、虫そのものは自 然に湧(わ)いてくるもので、神事の領域だった。それが明治の近代化とともに、人間が操作すべき対象へと変わってゆくのである。
欧米でも、農業研究から応用昆虫学が生まれるのは十九世紀後半に過ぎず、ここから害虫駆除技術の発展は始まった。殖産興業を掲 げる明治政府もこれを取り入れて農事試験場などの研究体制をつくり、広く民衆に害虫駆除を啓蒙(けいもう)、強制することになる。近代化とは虫が「害虫」 になる歩みでもあったのだ。
虫は疫病も媒介する。戦場に感染症が蔓延(まんえん)していた十九世紀末、細菌学の発達でハエがチフス菌を運ぶことが発見され て、ハエは駆除すべき虫になった。「衛生害虫」の誕生である。大正期の日本でも、コレラを媒介するハエの駆除が国民に奨励されたが、日本では防疫より都市 衛生の色彩が強かったようで、ここにも近代国家を自負した当時の姿が見え隠れしている。
またさらに、蚊やハエの媒介する病気が熱帯に多いことから生まれた熱帯医学は、もともと植民地統治のために発達し、日本でも台湾でマラリア研究が進んだ。そして戦争が、さらに虫と人間の関係を変えてゆく。
昆虫学と農芸化学が化学工業と結びつき、日本では食料増産のために毒ガスのクロルピクリンから殺虫剤コクゾールがつくられた。 さらに陸軍は、青酸殺虫剤サイロームを毒ガス兵器に変えたし、ドイツでは有機リン系殺虫剤からサリンがつくられ、アメリカは戦場での蚊の駆除のために、大 量のDDTを軍事転用した。戦争を通して、虫の駆除と敵の駆除が、物理的・思想的に重なり合ったのである。
これはみな、わずか一世紀ほどの間に虫と人間の間に起きたことである。本書を読むと、ハエ一匹を見る目が変わる。
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せとぐち・あきひさ 75年生まれ。大阪市立大学准教授(科学技術史・環境史)。
- 害虫の誕生—虫からみた日本史 (ちくま新書)
著者:瀬戸口 明久
出版社:筑摩書房 価格:¥ 756
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