2009年9月29日火曜日

asahi shohyo 書評

パラダイスの乞食たち [著]アーヴィング・ステットナー

[掲載]2009年9月27日

  • [評者]横尾忠則(美術家)

■芸術と生活体験の歯がゆい不一致

 ヘンリー・ミラーの「北回帰線」に影響を受けた米ブルックリン生まれのアーヴィング・ステットナーはミラーがしたようにパリに渡って創造的人間を目指し、作家を夢み、芸術のための人生を実践しようと試みる。

 だったら僕も彼と並走するために「北回帰線」を読むことにした。著者ステットナーの実践的ライフスタイルとは自らを窮地に追い 込み、ホテルを転々としながら汚物と精液の匂(にお)いのする貧困生活の中で次から次へと女を換え、生活破綻(はたん)者たらんと芸術人生を演じ続けるこ と。

 そんな彼はパリを恋人のように愛し、「この世で一番の幸せ者」と豪語しながら、街頭で似顔絵を描く乞食(こじき)生活も厭(いと)わない。ミラーと同化しながら、ミラーの〈生活と意見〉を主題にした彼は自身の「北回帰線」、本書を書こうとする。

 彼はこの一冊を書くためにパリで常軌を逸した12年間の人生を送る。だけど彼の人生と芸術はなぜか乖離(かいり)しているよう に思えてならないのだ。彼の外的現実は芸術家にとってこれ以上望むべくもない、ほぼ完璧(かんぺき)な創造的条件に満たされている。にもかかわらずそれ は、彼の内的現実と全く反射し合わない。

 著者のギリシャ人の友人コスタは「お前は芸術家の意味さえわかっちゃいない」とこっぴどく批判する。つまり実生活の体験が芸術に反映していないと言っているのである。

 本書を読んで歯がゆくなるのはそこだ。つまり芸術という悪魔に取り付かれていない著者にいらつくのである。確かに文章はうまく、ミラーが絶賛するように詩人の才能かもしれない。だが、それとこれは別だ。

 著者の作家になるという夢が先行し、執着となって魂が解き放たれていないように感じる。その点、ミラーは自分が芸術家であるという考えも捨て、「文学と名のつくものはなにもかもぼくから抜けさってしまった」(「北回帰線」)と言い切る。

 著者は「謙虚さ、忍耐力、畏敬(いけい)の念、粘り強さ、犠牲を払うこころがまえが欠如していた」と芸術家の資質の欠陥をすでに自ら吐露していたのである。

    ◇

 本田康典ほか訳/Irving Stettner 22年米国生まれ。水彩画家、編集者、詩人。04年没。

表紙画像

パラダイスの乞食たち

著者:アーヴィング ステットナー

出版社:水声社   価格:¥ 2,625

表紙画像

北回帰線 (新潮文庫)

著者:ヘンリー ミラー

出版社:新潮社   価格:¥ 780

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