2009年9月24日木曜日

asahi shohyo 書評

それでも、日本人は「戦争」を選んだ [著]加藤陽子

[掲載]2009年9月20日

  • [評者]小柳学(編集者)

■学者がいざなう司馬的世界

 日本近現代史を専門とする東大教授の加藤陽子氏が、神奈川県の栄光学園で歴史研究部の中高生に実施した講義をまとめた。

 テーマは日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争と、ほぼ10年おきに起きた日本の戦争。講義は研究の最前線を知る立場から、従来の「侵略・被侵略」といった二分法によらず、アジアにおける覇権をめぐる競争の物語として日中の過去を見る、という視点で進んでいく。

 加藤氏は歴史学における最新の見方をおしげもなく伝えながら、たびたび生徒に当事者として考えるよう要求する。例えば日中戦争 では、中国人ならアメリカとソ連を味方につけるために何をするかと問い、生徒が「連盟に介入させるように日本のひどさをアピールする」と答えれば、「正攻 法。でも、連盟はあまり力にならなかったし、アメリカとソ連は加盟国ではなかった」と返答する。その上で紹介されるのが、当時の外交官・胡適(こてき)で ある。国土を失っても最初に日本に負けることで米ソを味方につけ、最終的に勝利できると主張した胡適の「日本切腹、中国介錯(かいしゃく)論」が紹介され ると、生徒が「すごい……」とどよめく。読者もうなる瞬間だ。

 日本側の"知られざる人物"も紹介される。例えば太平洋戦争の前に、日本は重要物質の八割を海外に依存するため持久戦には勝てない、戦争する資格はない、と主張した軍人の水野広徳がそれだ。

 聞き手との対話から巧みに展開される講義の中で、知られざる人物や埋もれていた歴史の選択肢が見えてくる。その手法は、歴史に 埋もれた人物たちを小説に登場させ、輝きを与えた司馬遼太郎を想起させる。読者は歴史の現場に降り立ったような感覚を味わえるのだ。司馬が小説でほとんど 描かなかった近現代の「現場」に、一人の学者が対話という形で読者を誘(いざな)ってくれる。

    ◇

 7刷8万部

表紙画像

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

著者:加藤陽子

出版社:朝日出版社   価格:¥ 1,785

0 件のコメント: