父を葬(おく)る 高山文彦さん
[掲載]2009年9月13日
- [文]久保智祥 [写真]麻生健
高山文彦さん(51)
■最期に共有した崇高な時間
人間が、生まれれば必ず死を迎える存在である以上、いつか家族をみとり、また家族にみとられる日が来る。そのときをどう迎えるか——。本書は、天孫降臨神話の地、高千穂(宮崎県)で父親をみとった作家が、実体験をもとに書き下ろした小説だ。
認知症と肺がんを患い衰える父、夫を死のふちから引き戻そうと鬼気迫る母、介護のため東京と高千穂を往復し、カネも時間も体力も使って疲弊しながらも、家族を思い、悩む息子。それぞれの心の動きと、家族の来歴が抑えた筆致でつづられる。
「家族という血は、自分では選べない理不尽なもの。幸福な記憶は少なく、消耗するばかり。恨みに近いネガティブなエネルギーをため込み、吐き出さないと重くてしょうがなかった」
無名の家族の物語を「書いてもしょうがない」との思いもあったが、それを小説へと飛翔(ひしょう)させてくれたのは、「高千穂という土の物語」だった。
子どものころ、出口のない閉ざされた故郷がいやで「何でこんな所に生まれたんだろう」と理不尽に思っていたが、そこでは、「死 んだら山に還(かえ)る」と信じられており、「あの世とは、よかとこらしいじゃないか。行ったきり、ひとりも帰ってきたもんはおらん」とつぶやく老人もい た。そして誰かが亡くなれば、ムラのみんなで葬儀を行う。「九州の山と峡谷に囲まれた小さなムラで、生まれて死ぬまでをみんなで生き抜き、葬(おく)る。 そんな静かな営みのいじらしさを書きたかった」
印象的な場面がある。まもなく臨終を迎えようという父に、好きだった焼酎を家族が口に含ませる。すると、父は顔を赤らめ、心電 図が大きく振れる。「その場のみんなに共有された崇高な時間があった。そんな時間を経験させてくれることが人間の死が持つ大きな意味の一つではないでしょ うか」
- 父を葬(おく)る
著者:高山 文彦
出版社:幻戯書房 価格:¥ 1,995
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