ナノ・ハイプ狂騒—アメリカのナノテク戦略 (上・下) [著]D・M・ベルーベ
[掲載]2009年8月30日
- [評者]尾関章(本社論説副主幹)
■科学の「大風呂敷」、議論続出の概観図
科学技術は夢とロマン。そんな紋切り型の形容を吹き飛ばす大著だ。
「ハイプ」とは大風呂敷のこと。10億分の1を意味する「ナノ」は、今や研究者らが「予算を増やしてもらうために予算管理者に売り込む用語」となった。極微の技、ナノテクノロジーの台頭である。
欧米では、この新興分野に多彩な人々が関心を寄せ、ギリギリと論じ合ってきた。推進すべきか否かの論争には政治家や企業人、NGOメンバーたちが加わる。そこには米政界の大物がいたり、チャールズ英皇太子の顔がのぞいたりする。
著者は膨大な資料を踏まえ、その概観図を描いた。科学が脇役のテーマに押しやられがちな日本社会への痛烈な批判書としても読める。
米国では、クリントン政権がナノテク国家戦略を打ちだし、ブッシュ政権もそれを発展させた。党派を超えた熱狂である。「原子爆 弾開発競争以来、一つのプロジェクトにこれほど多くの国々がこれほど多くのレトリックと多くの資源を費やしたことはない」という大げさな物言いも米国の視 座に立てば納得がいく。
ここで見落とせないのは、さまざまなブレーキも働いていることだ。
たとえばナノマシン論争。80年代にK・E・ドレクスラー著『創造する機械』が、分子をものづくりの装置にするという着想を示 した。だが学界には、それは絵空事だと反発する向きが強い。極小ロボットの脅威を描くM・クライトンの小説『プレイ』は、その負のイメージを増幅した。産 業界は、この流れが「倫理学者や環境学者など気難しい面々を刺激」して「一大経済勢力の発展が阻止されるのではと恐れている」。
結局、ドレクスラー式の考え方は主流からはずされた。その一方で、ナノ粒子の健康への影響をめぐる議論などに関心が集まっている。
こうした動きは、世の中に摩擦を引き起こした原子力や遺伝子組み換え食品を反面教師にしているようだ。懸念がありながらもゴー ルに行き着いたヒトゲノム(人の全遺伝情報)解読の進め方は、恩恵を語るだけでなく「議論を歓迎し、積極的に奨励した」のがよかったとする分析も紹介され ている。啓蒙(けいもう)ではなく対話こそが求められているのだ。
考えてみれば、市井の人々は「何世代にもわたり科学技術政策の意思決定から締め出されてきた」。そこで著者が目を向けるのが、大学などに広まりつつあるナノテクの「社会的および倫理的影響」の研究だ。文理の枠を超えて健康、環境から経済、規制まで幅広く考察する。
この研究は、ナノテク推進の「体裁を繕う」道具に使われる恐れもあるが、「科学技術政策の計算式に公衆という変数を組み込む」 ことにもつながる、とみる。データを集め、思慮深い批評を広め、「ハイテク好きやハイテク恐怖症を論破する」。そんな努力が、冷静で賢明な公衆を生む力に なるということらしい。
もはや、科学技術は夢だロマンだと浮かれている場合ではない。
◇
五島綾子監訳・熊井ひろ美訳/David M. Berube 科学技術をめぐるコミュニケーション論が専門テーマ。米国のサウスカロライナ大学ナノセンターを拠点に研究後、ノースカロライナ州立大学教授。
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