漢字を飼い慣らす—日本語の文字の成立史 [著]犬飼隆
[掲載]2008年11月2日
- [評者]石上英一(東京大学教授)
■木簡も一次資料に成立過程を追究
日本語を文字で書く——簡単にみえることだが、実は、独自の文字を持たなかった古代の人々の大変な努力により実現したのである。漢字には音(おん)と訓 (くん)があり、漢字から生まれた仮名には片仮名(カタカナ)と平仮名(ひらがな)がある。日本語は、漢字と仮名により、世界に稀(まれ)な、複雑な方法 で書き表される。
古代日本の言語は、口頭言語と文字言語からなる。口頭言語は日本固有の言語だが、初めは文字を持たなかった。そこに、文字言語 である漢字漢文が中国から直接、あるいは高句麗・百済・新羅を介して伝えられた。漢字漢文は政治・外交、思想・仏教に必要な外国語であった。漢字漢文を使 用する過程で、日本化された変体漢文も生み出され、日本語を表記するために漢字漢語の日本的用法が展開し、仮名が生み出された。
このように、中国文字の漢字は「飼い慣(な)らされて」訓よみを与えられ、日本語の文字となる。また万葉仮名として日本語の発 音を表すために使われる中で「品種改良」が進み、片仮名・平仮名が生まれた。そして平安時代に至って仮名文や和漢混淆文(わかんこんこうぶん)の表現法な ど日本語の文字言語が確立し、古今集や源氏物語、今昔物語集などがしるされた。
国語学者の著者は、日本語の文字言語の成立過程を古代史・考古学の成果を取り入れ学際的研究により追究する。そして、正倉院文 書(しょうそういんもんじょ)や、ここ20年ほどで出土例が飛躍的に増大し言語資料として使えるようになった木簡(もっかん)などを、積極的に利用する。 これらの一次資料と、「はれ」の文献である古事記・日本書紀、万葉集、風土記の類(たぐい)とを比較することによって、奈良時代の社会における文字文化の 層的な差異を把握できる可能性があると著者は示唆する。
例えば、正倉院文書には筑前・豊前・美濃・下総などの戸籍が残る。戸籍で人名に使われる漢字や、木簡などで日常的、実用的に使われていた万葉仮名は、記紀万葉とは異なる文字使用の層を示し、平安時代の仮名につながる様相を見せるという。
本書は、記紀万葉を中心に構築されてきた日本語表記史の見直しを提言する。
◇
いぬかい・たかし 48年生まれ。愛知県立大教授。『木簡による日本語書記史』など。
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