2008年11月14日金曜日

asahi archeology history Nara shinyakushiji kondo

8世紀、幅52メートルの巨大階段 新薬師寺の金堂跡(1/2ページ)

2008年11月13日20時44分

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写真新たに見つかった地覆石(1)と延石(2)。左側は、これまでに見つかっていた延石(3)で階段の一部とわかった。奥は金堂跡の中心部分=13日午後、奈良市、小玉重隆撮影

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 奈良市の奈良教育大構内で見つかった新薬師寺の金堂跡とみられる巨大建物跡(8世紀)は、東西幅約52メートル(推定)の長大な階段を備えていたことが わかった。同大学が13日、発表した。建物正面(幅約59メートル)のほぼ全面が階段という古代建築では極めて珍しい構造だった。

 新薬師寺は、東大寺を創建した聖武天皇(701〜756)の病気平癒を祈り、光明皇后(701〜760)が747年に創建した。

 現場では10月、凝灰岩の切り石を丁寧に積む「壇上積(だんじょうづみ)基壇」の延石(のべいし)(底部の石)が、建物跡正面の中央付近などから 東西計約14メートルにわたり出土した。その東端部分から、さらに違う構造の凝灰岩列が約4メートル分見つかった。延石の上に積む外装用の地覆石(じふく いし)が載っていることから、基壇の本体部分と判明した。

 10月出土の延石列はこれより1.8メートル南側に張り出しており、外装用の地覆石も使われていないため階段の一部と判断。張り出し部の出土状況から、階段の東西幅は約52メートルにわたると推定した。

 これに伴い建物の規模を再計算したところ、10月時点では東西約54メートル、南北約27メートルとみていたが、東西約59メートル、南北約20メートルと推定した。東西は現存する東大寺大仏殿(約57メートル)を上回る。

 古代の仏堂の正面階段は本尊の仏像の正面に1〜3カ所程度、それぞれ数メートル幅で設けるのが一般的。「東大寺要録」によると、新薬師寺の金堂は 本尊の薬師如来像が7体安置されたとされる。このため、調査を担当した奈良教育大の金原正明准教授(環境考古学)は「1列に並ぶ仏像群を重視してそれぞれ の本尊を同格に扱うために、幅広の階段が設けられたのではないか」とみている。



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