2008年11月12日水曜日

asahi shohyo 書評

知りすぎた男 [著]G・K・チェスタトン

[掲載]2008年11月9日

  • [評者]瀬名秀明(作家、東北大学機械系特任教授)

■現代につながるリアルなお伽噺

  つむじ風のように突然町へ降り立った男が、世界の見え方を一変させてゆく——イギリスの鯨と呼ばれた巨人チェスタトンの小説は、お伽噺(とぎばなし)こそ が最高に「リアル」な物語なのだと教えてくれる驚異の喜びに満ちている。「ブラウン神父」ものだけでチェスタトンを知る人は、今春に新訳が出た奇跡的な傑 作『木曜日だった男』をぜひ手にして、その精髄を味わってほしい。

 チェスタトンはジャーナリストでもあり、つねに大衆の側に立って時事政治評論を発表し続けた。今回初めて一冊の邦訳単行本と なった本書は、第1次大戦後のイギリスとアイルランドの紛争を直接の背景としつつ、チェスタトンの国際政治論が盛り込まれた異色の連作ミステリーだ。作 家・反主知主義者モーリス・ベアリングがモデルといわれる主人公のホーン・フィッシャーは、初登場のときこそ他のチェスタトンの創造した詩人たちのように 現れ、逆説により事件を解決してゆくが、彼はどうしようもない当時の世間を知りすぎている。裕福な家庭に育ち、家族は多くの有力政治家とも交流がある。そ の彼は社会のことわりを知りすぎているがゆえに挫折も絶望も経験済みで、ひとりの犯罪者の処罰より国家の将来を優先する探偵なのだ。

 その彼が盟友である政治記者の熱い言葉に促され、ついに政治の只中(ただなか)へ入り、世界を自らの人脈と行動で変えようとす る。本来詩人であり批評家の才能を持つ探偵が、矛盾に満ちた行き先不安な社会へアクチュアルにかかわろうとしたとき何が起こるか。リアルなお伽噺であった はずのこの世界が、たちまち異様な幻惑を偶然の名の下につくり上げ、彼の真意を覆い隠すという、その皮肉。それに対しフィッシャーはさらなるお伽噺で世界 を塗り替えてゆく。連作の終盤で描き出されるこのせめぎ合いは、他のチェスタトンの邦訳小説には見られない特異な迫力に満ちている。

 世間を知りすぎた詩人は何をなすべきか。フィッシャーの運命は21世紀の私たちさえ焦燥に駆り立てる。チェスタトンの問題意識が現代とリンクする、刺激的な一冊だ。

    ◇

 井伊順彦訳/G.K.Chesterton 1874〜1936年。『ブラウン神父の童心』など。

表紙画像

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

著者:G・K・チェスタトン・中村 保男

出版社:東京創元社   価格:¥ 693

0 件のコメント: