2008年11月28日金曜日

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陵墓参考地の百舌鳥御廟山古墳、初の一般公開へ

2008年11月28日6時19分

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写真墳丘の周りに見学用の仮設通路が設けられた百舌鳥御廟山古墳=堺市北区百舌鳥本町、本社ヘリから、荒元忠彦撮影

写真発掘現場が公開された百舌鳥御廟山古墳=21日午後、大阪府堺市、荒元忠彦撮影

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 宮内庁と堺市が同時に調査を進めている「百舌鳥(もず)御廟山(ごびょうやま)古墳」(堺市北区)が29、30両日、天皇や皇族の墓の可能性がある「陵 墓参考地」の発掘現場としては全国で初めて一般公開される。調査では、築造時の墳丘の全長が今より十数メートル大きい約200メートルだったことが判明し た。江戸時代に灌漑(かんがい)用水を蓄えるため墳丘のすそを削って堀を広げたとみられる。(石前浩之)

 同古墳は前方後円墳で、これまで全長186メートルと考えられてきた。日本最大の大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵、全長486メートル)を含む百舌鳥古墳群では4番目に大きい。

 調査の結果、墳丘のすそ部分に削られた跡があり、すぐ上の墳丘の1段目のテラスに最高約1.5メートルの高さの盛り土があった。盛り土はすそ部分 と同じ土質で堀の底の泥も含まれていたため、削られた後に積み上げられたと判断した。掘削される前の墳丘の全長は約200メートルと推定できるという。

 同市によると、江戸時代前期に近隣で新田開発があった。古墳の堀は当時、田んぼに水を供給するため池としても使われており、貯水量を増やすために削られた可能性が高いという。同市は「古墳が地域の生活に溶け込んできたことをうかがわせ興味深い」と話している。

 一般公開は午前9時〜午後4時。宮内庁が管理する墳丘内に入ることはできないが、周囲に設けた仮設通路(約300メートル)を歩いて見学できる。 見学希望者の集合場所は同市堺区百舌鳥夕雲町(せきうんちょう)の大仙公園催し広場。両日とも、先着5千人に整理券が配布され、職員が随時現地に案内す る。小雨決行。問い合わせは同市文化財課(072・228・7198)へ。



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