2008年11月25日火曜日

asahi shohyo 書評

オオカミ少女はいなかった [著]鈴木光太郎

[掲載]2008年11月23日

  • [評者]耳塚寛明(お茶の水女子大学教授・教育社会学)

■緻密な検証と謎解きで「神話」暴く

  オオカミに育てられた2人の少女、アマラとカマラ。発見された当初は、四つ足で歩き生肉を好みオオカミのようにほえた。アマラは発見後1年で死んでしまう が、カマラは養育者の牧師夫妻の献身的努力によって、なんとか立って歩けるようになった。だが言語的能力は遅々として発達しないまま9年後に死んだ。ヒト が人となるためには幼児期や児童期の環境が決定的重要性を持つことを実証する、代表的な発見である。

 ところがこの、いまも教科書に載るポピュラーな知識は真っ赤なうそ。脚色と捏造(ねつぞう)の産物なのだという。著者は原典に さかのぼり、証拠とされる写真の、また記述上の不審点をひとつひとつ指摘する。木にのぼるカマラの写真があるがオオカミは木にはのぼらない、彼女たちの目 が暗闇で青白く発光したというがヒトの目は眼底反射しない、生肉しか食べようとしなかったというがオオカミの食性は雑食、等々。著者の指摘は的を射てお り、オオカミ少女はいなかったのだと納得する。

 本書では、オオカミ少女に続いて、サブリミナル効果はあるのか、言語や文化によって色の見え方は違うのか、知能は遺伝か環境 か、言語を習得した天才ウマはいたのかなど、八つの心理学上の「常識」が検証され、それらが「神話」に過ぎないことが次々に暴かれていく。暴かれた後には 当然、なぜそうした神話が生まれ、受け継がれてきたのかという疑問が生じる。むろん著者はこの問いにも丁寧な説明を用意している。

 この本の読後感は、とびきり痛快である。緻密(ちみつ)な検証はスリリングで、冒頭から最後まで連続する謎解きに、興奮し続けることになる。

 神話の呪縛に悩むのは心理学など科学の世界にとどまらない。この世界のすべてが神話で満ちている。メディアや教育は、しばしば 神話を増幅してしまう。原典にあたること、うわさに頼らぬこと、疑うこと——著者は最後に、神話の呪縛から逃れる術(すべ)をこう述べる。ごく当然のこと に過ぎないけれども、感動を覚え、同僚や学生たちに本書を推奨してまわった。

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 すずき・こうたろう 新潟大学教授(実験心理学)。『錯覚のワンダーランド』など。

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