2008年11月25日火曜日

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日本初、カトリックの「列福式」 長崎の野球場で

2008年11月24日20時10分

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写真長崎県営野球場で行われたペトロ岐部と187殉教者の列福式=24日午後、長崎市、山本壮一郎撮影

写真教皇代理のマルティンス枢機卿によって、188殉教者の列福が宣言された=24日午後1時、長崎市の県営野球場、岡田玄撮影

写真スタンドから列福式を見守る信者ら=24日午後1時16分、長崎市の県営野球場、山本壮一郎撮影

写真列福式を終え、退堂する司祭や司教、法王代理ら。祭壇には福者となった殉教者の肖像画が掲げられた=24日午後3時39分、長崎市の県営野球場、山本壮一郎撮影

 17世紀に江戸幕府のキリスト教弾圧で殉教した188人を聖者に次ぐ尊崇の対象の福者(ふくしゃ)に列するカトリックの儀式「列福式」が24日、長崎市 の長崎県営野球場であった。日本での開催は初めて。ローマ法王の代理が列福を宣言し、国内外から集まった約3万人の信者が祈りをささげた。

 正午すぎに始まった式典では、岡田武夫・東京大司教が列福を要請すると、ローマ法王ベネディクト16世の代理のジョゼ・サライバ・マルティンス枢 機卿が法王の書簡を読み上げ、「使徒的権威によって福者の列に加えます」とラテン語で宣言。鐘の音と聖歌が響くなか、殉教者たちを描いた肖像画が除幕さ れ、188羽のハトが舞った。

 今回の列福は、81年に当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が長崎を訪問した際に嘆願運動が盛り上がったことがきっかけ。片岡千鶴子・長崎純心大学長らが約5万人に及ぶ殉教者の歴史を調査。07年にローマ法王庁に列福が認められた。

 188人は1603〜39年に全国各地で殉教した信者たち。日本人で初めてエルサレムを訪れたペトロ岐部、天正遣欧使節の中浦ジュリアンら5人の 司祭・修道者のほかは、武士や町人ら名も無き庶民がほとんどだ。日本の福者は1867年に列せられた205人に加え393人になった(聖者は42人)。

     ◇

 〈聖者と福者〉 信者の尊崇を集め、信仰生活の模範にふさわしいと認められた人たち。日本にはこれまで、1597年に豊臣秀吉に処刑されたパウロ 三木らの26聖人(1862年列聖)と1633〜37年に長崎で殉教したトマス西らの16聖人(1987年列聖)の計42人の聖者と、1867年に列福し た205人の福者がいる。日本の教会の再興を願うなどの理由でローマや修道会の主導で進められ、外国人司祭や男性指導者がほとんどだ。



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