2008年11月18日火曜日

asahi shohyo 書評

アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか? [著]スーザン・ジョージ/アメリカの宗教右派 [著]飯山雅史

[掲載]2008年11月16日

  • [評者]久保文明(東京大学教授・アメリカ政治)

■信仰を持つ人と持たない人との断絶

  2004年のアメリカ大統領選挙については、ブッシュ大統領が宗教を大動員できたことが勝因であると指摘された。ただし、わが国の理解ではこの現象が一般 化され過ぎているように思われる。たとえば92年と96年の選挙に際しては、宗教右派が突出し過ぎたことが、少なくとも共和党の敗因の一つであると解釈で きる。すなわち、共和党にとって宗教右派の役割はいわば両刃の剣である。

 今回の選挙で宗教右派は、情熱的ではないにせよ、マケインを支持した。出口調査によると、白人のプロテスタントで福音派ないし 「ボーンアゲイン」(これまでの生活を悔い改め全面的にキリストの教えに則して生まれかわった体験をもつ人)は有権者の23%を占めるが、73%対26% でマケインを支持した。それに対して教会にまったく行かない有権者(同16%)は、67%対30%でオバマに投票した。強い信仰心をもつほど、マケインす なわち共和党支持の傾向が強くでることは明らかである。このように、アメリカには、教会に行かない世俗的な人々と強い信仰を持つ人々の間に鋭い断絶が存在 する。

 ジョージの『いかに乗っ取られたのか?』は、まさにこのような文化的断絶の中、日夜、宗教右派勢力とアメリカにおいて戦ってい る当事者による強烈な批判の書である。彼女によれば、「一部の福音派キリスト教指導者はまぎれもなく危険なデマゴーグであり、彼らの夢はアメリカ合衆国に 疑似ファシスト的神政政治を確立することである」と断言する。ジョージは民主党に対してすら批判的であり、もはや中道右派政党に過ぎないと糾弾する。批判 の対象は新保守主義者(ネオコン)のような非宗教的な右派も含まれているが、それに留意しつつ、本書は、ここ30年ほどにわたって展開されてきた文化戦争 の一当事者による「戦闘の記録」であるといえよう。アメリカの左派と右派を隔てる壁がいかに厚いかを理解することができる。

 それに対して、飯山は長期的な観点から、アメリカ政治における宗教右派の役割を鳥瞰(ちょうかん)する。宗教右派に言及する研 究でもごく最近の現象にしか触れない本が多いが、『アメリカの宗教右派』は、19世紀から20世紀前半も射程に入れて、アメリカのプロテスタントが、近代 化を受け入れる勢力とそれを拒否し伝統的な信仰を重んじる人々とに分裂したところまで掘り起こす。さらに最近の宗教右派における世代交代の様相や、旧来の 勢力と地球環境問題にも関心を示す新たな勢力との間の亀裂にまで触れている。

 我が国では、宗教右派について頭から批判したり「きわもの」扱いしたりする風潮がある。しかし、世界の多くの国々はきわめて宗 教的である。もちろん我が国のような世俗的な社会に長所はあるが、だからといって宗教的な国や人々を、あるいはそれを政治の場で表出しようとする行為を、 ただ批判し、あるいは見下すだけの態度は妥当でないであろう。本書は、なぜアメリカの宗教右派がこのように活動しているかについて、落ち着いた説明を提供 してくれる。

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 『アメリカは——』森田成也ほか訳/Susan George 34年生まれ。仏在住女性活動家。▽『アメリカの——』いいやま・まさし 57年生まれ。読売新聞調査研究本部管理部長。

表紙画像

アメリカの宗教右派

著者:飯山 雅史

出版社:中央公論新社   価格:¥ 798

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