2008年11月4日火曜日

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熊本・鞠智城跡から百済の仏像 亡命貴族の援助裏付け

2008年11月4日8時0分

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写真百済製とみられる青銅菩薩立像

写真出土した百済製とみられる青銅菩薩立像

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 7世紀後半に造られた古代山城・鞠智(きくち)城跡(熊本県山鹿市菊鹿町)から、朝鮮半島の百済(くだら)のものと見られる青銅製の仏像1体が出土した と、熊本県教委が3日、発表した。鞠智城は文献上、百済からの亡命貴族が技術指導して造ったとみられていたが、それを裏付ける資料だとしている。

 仏像は「菩薩(ぼさつ)立像」で、高さ12.7センチ、幅3センチ。ヘソの前で物を持っている▽脚の下に台座に差し込むための太い「ほぞ」と呼ば れる部分があるなどの点が、7世紀後半に百済でつくられた仏像の特徴と一致するという。当時、国内では仏教が広まり始めたばかりで、一般の日本人が仏像を 所有していた可能性は低く、県教委は「亡命百済人が持ち込んだ」とみている。

 鞠智城は広さ55ヘクタール。67年から発掘を始め、仏像は今年6月からの第30次調査の中で、城域北側にある、築城当時の貯水池跡から仰向けの状態で見つかり、文化庁などの専門家が鑑定していた。

 古代山城は663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れた大和朝廷が、防備のために西日本各地に築いたとされる。六つの城跡が確認されているが、遺構から百済製とみられる仏像が見つかったのは初めてという。

 古代山城のうち福岡県の大野城、佐賀県の基肄(きい)城は665年築で、百済からの亡命貴族が建築に携わったとの記述が日本書紀にある。鞠智城も同時期に百済人の支援で造られたとの見方が定説だったが、裏付ける遺物はなかった。



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