「近代の超克」とは何か [著]子安宣邦
[掲載]2008年8月10日
- [評者]南塚信吾(法政大学教授・国際関係史)
■昭和日本のイデオロギーを読み解く
20世紀日本の大半を占めた昭和日本は、アジア・太平洋戦争を真ん中にしてその戦前と戦後によって形作られていた。その昭和日本のイデオロギーとは何であったのか。本書の狙いは、この昭和イデオロギーの解明にある。
本書が注目するのは、開戦直後に京都学派の知識人が持ち出した「近代の超克」という思想である。京都学派においては、明治以来 の日本の近代はヨーロッパをまねたものでありその近代の支配を受け入れたものであったが、英米の支配に反発する大東亜戦争はそれをついに超克する思想の体 現なのだとされる。大東亜戦争は「近代の超克」として正当化されたのだ。
著者は多角的な分析の末、この京都学派の思想は、戦争の自己弁護的なものに過ぎないとするが、しかし、戦後においてこの思想が竹内好によって高く評価されたことを問題にする。
著者によれば、竹内はかれ自身の「近代の超克」論を展開し、京都学派にはない「アジア」をそこに持ち込んだ。明治以来の「近代 日本はアジアに在ってアジアではない」とする竹内によれば、「近代の超克」とはアジアの原理によって近代日本を超克する思想なのだ。近代欧米の駆逐の思想 なのではない。そのアジアの原理とはなにか。それは、アジア固有の実態的原理ではなくて、自由や平等のような「西洋の生み出した普遍的な価値をより高める ために西洋を変革する」姿勢である。
竹内は京都学派の「近代の超克」を自らの観点から読み替えたことになるが、実は、著者は竹内の思想を深く理解した上で、それを さらに読み込んで言う。「現代世界の覇権的文明とそのシステムに、アジアから否(ノン)を持続的に突きつけ、その変革の意思を持ち続ける」という姿勢がア ジアの原理であり、それは具体的には、「殺し・殺される文明から共に生きる文明への転換」を求める意思であると。そして、そのような意思のない「近代の超 克」論は大戦を美化するに過ぎないし、最近のアジア共同体論も戦前の繰り返しになってしまうであろうと警告する。
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こやす・のぶくに 大阪大名誉教授。日本思想史。『「アジア」はどう語られてきたか』。
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