2008年8月6日水曜日

asahi shohyo 書評

幕末の外交官 森山栄之助 [著]江越弘人

[掲載]2008年8月3日

  • [評者]松本仁一(ジャーナリスト)

■開国へ向かう歴史を最前線で支える

 江戸時代、「通詞」は町人の身分だったという。特殊技術を持った専門職人の扱いだったのだろう。

 開国を求めて欧米列強が押しよせたとき、交渉の前面に立ったのは通詞たちだった。

 彼らは職務を通してアヘン戦争の成り行きを知る。欧米の軍艦にも実際に立ち入る。圧倒的な武力を目の当たりにし、開国以外に道はないことを理解する。

 しかし国際情勢を知らない攘夷(じょうい)派はテロを拡大し、攘夷派に担がれた朝廷は「外国打ち払い」を要求する。幕府はその場逃れを繰り返すばかりだ。そんな中で、通詞が主体的に動きはじめた。

 「開国」という大事をまがりなりにも成功させたのは、実は通詞の功績だったのではないか。この本は、その一人の森山栄之助を通じてそれを実証しようとする。

 1848年、漂着した米捕鯨船員15人が長崎に送られた。米国では彼らが虐待されているとのうわさが広がる。米艦が長崎に来航し、強硬に即刻引き渡しを要求する。

 慣例では、遭難者はオランダ船でバタビアに送られることになっていた。奉行所はうろたえる。ところが森山は、オランダ商館の助言で船員たちを出島に移し、そこで米艦に乗せるという便法で問題を解決してしまった。

 1854年にはペリーとの間で日米和親条約が結ばれる。米側代表団の一人は森山を通詞ではなく「応接掛代理」と呼び、「条約の処理はすべて栄之助の手に委譲されているのかと」推測している。

 その年11月にはプチャーチンが来た。日露和親条約でも森山は個人の裁量で下交渉に当たり、プチャーチンと対面で激論を交わすのである。

 67年、森山はついに兵庫副奉行に任じられる。町人身分からの大出世だ。だがその直後に、肝心の幕府が崩壊してしまった。

 森山は明治4年、51歳の若さで死去する。しかし思い残すことはなかったろう。

 組織が制度疲労で機能しなくなったとき、優れた個性が活動を始める。いまの日本でも、いざとなればそんな人が出てくるのだろうか。

    ◇

 えごし・ひろと 35年生まれ、長崎県の元小学校教員で、長崎の歴史や史跡に詳しい。

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幕末の外交官森山栄之助

著者:江越 弘人

出版社:弦書房   価格:¥ 1,890

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