2008年8月20日水曜日

asahi shohyo 書評

「レオナール・フジタ展」北海道で開催 未公開作品が展示

2008年8月19日

  戦前のパリでおかっぱ頭の寵児(ちょうじ)。帰国後は戦争画を描き、戦後フランスに帰化。スキャンダラスなイメージの強かった藤田嗣治 (1886〜1968)だが、新しい藤田像が生まれつつある。北海道で開催中の「レオナール・フジタ展」は、多くの未公開作品で画家の知られざる側面を見 せる。また、先ごろ出た林洋子氏の著書『藤田嗣治 作品をひらく』(名古屋大学出版会)が、作品中心に藤田を解釈する助けになってくれる。(古賀太)

 北海道立近代美術館(札幌市)の「フジタ展」の目玉は3メートル四方の2枚組み大作「構図」「争闘」(ともに28年)の計4点 だ。「構図」の2枚がそろった展示は、29年に朝日新聞社が東京や大阪などで藤田の帰国展を開いた時以来で、「争闘」の2点は日本初公開。これらは92 年、パリ・オルリ空港近くの倉庫で60余年ぶりに発見されたものだ。

 「乳白色の肌」の裸婦像で知られる藤田は、これらの大作でほぼ初めて男性の裸体を描いた。筋肉隆々の男女がひしめくさまは、ギリシャ彫刻やミケランジェロなどに連なる神話的な図像だ。藤田はこの4点について妻ユキに「全身全霊を込めた」と書いた。

 展示にはまた、晩年に精魂傾けた仏北東部ランスの礼拝堂のためのスケッチや水彩画50点超があり、大半が世界初公開。晩年を過ごしたエソンヌ県のアトリエも再現し、藤田が使った机や絵筆、パレット、陶器などが見られる。

 道立近代美術館の佐藤幸宏学芸員は「近年、近藤史人氏による伝記や、06年の東京国立近代美術館の回顧展などで『藤田ルネサンス』というべき再評価が始まった。今回は、藤田が西洋の正統的な美術史に連なる作品を残そうとした跡を見せたかった」と話す。

 林洋子氏の著作からは、大作制作の経緯がわかる。パリ日本館の収蔵品になることを想定して描いたが、裸体画の刺激が強く、日本 的要素も無いため、「欧人日本へ到来の図」に差し替えられたらしいこと。帰国展は、フランスに膨大な税金を支払うため、絵の売り上げを見込んだものだった こと。また林氏は、これらの群像表現が、後の壁画や戦争画に連なると分析する。

 さらに林氏は、藤田が朝鮮半島や中南米など、ほうぼうを旅し、旅するごとに作風が変わったことや、カンバスも自分で作るほど手仕事を好んだことなどを指摘。「時代や社会の動きを敏感に反映した創造者で、多文化を生き抜く強い適応力があった、まれな日本人です」と述べる。

 東京国立近代美術館で藤田展を企画した一人の尾崎正明氏は「林氏の著作は、作品本位で藤田を分析した初めての本。28年の大作は藤田の変わり目で極めて重要。藤田研究は始まったばかり」と言う。

 「フジタ展」は9月4日まで。その後、宇都宮美術館、東京・上野の森美術館、福岡市美術館、せんだいメディアテークなどを巡回。

表紙画像

藤田嗣治 作品をひらく

著者:林 洋子

出版社:名古屋大学出版会   価格:¥ 5,460

0 件のコメント: