2008年8月26日火曜日

asahi shohyo 書評

収容所文学論 [著]中島一夫

[掲載]2008年8月24日

  • [評者]奥泉光(作家、近畿大学教授)

■資本制の過酷さを撃つ批評の言葉

  いわゆるグローバリゼーションの進展とともに、資本制のシステムは露骨な支配力を発揮しはじめた。過労死の悲惨、あるいは派遣労働や名ばかり管理職の過酷 さなどに端的に現れているように、労働力の商品化の徹底の果て、働く人間が消耗品とされる。そのような「現在とは『強制労働収容所』に包摂されていく『収 容所時代』ではないか」と述べる筆者は、戦後シベリアの抑留経験を通じて独自の思索をなした石原吉郎を論じるところから出発するのだが、本書を貫いて何よ り印象深いのは、「文学」の外へ出て行こうとする強い姿勢である。

 ベタな物語が大量消費される現在の「収容所」は、「文学的」なものの蔓延(まんえん)にこそ特徴がある。ここでは「文学」は、 疲れきった労働者に慰安や癒やしを与え、労働力を再生産すべき道具でしかないだろう。「文学」は果たしてこの狭い場所から出られるのだろうか。もちろん 「文学」なんてどうなったってかまわないので、つまり問題は言葉だ。「収容所」を撃つに足る言葉の獲得——だが、それはいかにして可能か? 絶望的とも思 える右の問いに貫かれた本書の言葉は、まさしく批評と呼ばれるにふさわしい。「快楽」や「戯れ」から遠く離れた冬の時代にこそ筋金の入った思考が可能にな るのだと、本書は密(ひそ)かに主張する。

表紙画像

収容所文学論

著者:中島 一夫

出版社:論創社   価格:¥ 2,625

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