ゼロ年代の批評 待たれる二分法越えた議論
2008年8月26日
評論家・宇野常寛氏
同時多発テロにイラク戦争、小泉改革など、いろいろあった2000年代も終盤。論壇では若手の「ゼロ年代論」が出てきた。
発売中の第65号で休刊する季刊誌「インターコミュニケーション」は、「コミュニケーションの未来——ゼロ年代のメディアの風景」と題し、荻上チキさんら80年代生まれの論客が鼎談(ていだん)をしている。
幼少時からITがあった彼らにとって、ウェブ2.0時代への西垣通さんと梅田望夫さんの評価の違いは「『ペシミズムか/オプティミズムか』の対立」で、構図自体「古い」。「現に日常生活内にネットがあるわけだから、そんな議論はもういいよ」との声も出る。
同誌が90年代初め、アートやサイエンスの可能性を称揚して「未来すげー」(荻上さん)といった誌面展開をしていたことを思え ば、時代状況が何とも対照的だ。必ずしもバラ色でない情報消費社会を生きるための、良い・悪いの二分法を超えた議論の成熟が急がれるということだろう。
78年生まれ、近著『ゼロ年代の想像力』(早川書房)が注目される評論家、宇野常寛さんも、二分法へのいら立ちは同じだ。反中 国などで力を増す右派。非正規雇用問題で活気づく「ニート論壇」。「僕は『免罪符商法』と呼んでいるのですが、正義が安易に描き出されている。ゼロ年代 は、左右のイデオロギー対決が復活した」
宇野さんによれば、宮台真司さんの「終わりなき日常を生きろ」などが話題を呼んだオウム事件後は、何が正しいかわからないから 何もしないことをモラルとする「引きこもり」の風潮が強まった。だが内外の情勢の厳しさを背景に「決断主義」が強まり、小さな物語同士の闘いが繰り広げら れている。
価値観の中ぶらりんに耐えるのはやさしくない、と宇野さん。問題は決断主義に伴う排他性の克服であり、徹底的に価値をひっくり 返すことで道は開ける。既にドラマや漫画では、「終わりのある(ゆえに可能性にあふれた)」郊外の日常を描いた宮藤官九郎らにそうした感性が認められると いうのだが……。
若手による、斬新で豊かな批評が待たれる。(藤生京子)
- ゼロ年代の想像力
著者:宇野常寛
出版社:早川書房 価格:¥ 1,890
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