言魂 [著]石牟礼道子、多田富雄
[掲載]2008年8月3日
- [評者]重松清(作家)
■ずしりと重く、ゆたかな言葉の往復
『苦海浄土』の作者と免疫学の泰斗との往復書簡集である。分厚い本ではない。余白をたっぷりとって組まれた言葉の数も決して多くはない。だが、読み手は、交わされる言葉一つひとつの持つずしりとした重みと、凜(りん)とした芯、そして豊かなふくらみに圧倒されるはずだ。
往復書簡を交わすさなかに『苦海浄土・第二部』を完成させた石牟礼道子さんは、〈言葉のなかった長い世紀のゆたかな沈黙〉を信 じる。人間の持つ〈あらゆる天性とゆたかな感受性〉が沈黙の中にたくわえられていた頃、〈人間たちの表情は、今よりもふかぶかとしていたのではないでしょ うか〉。
一方、脳梗塞(のうこうそく)に倒れたうえに前立腺がんにも冒された多田富雄さんは、〈日常とは本能的な死との戦いです〉と言 う。〈苦しみが日常になっているから、もうそれに耐えることも日常になったのです〉。そんな自分をじっと見つめる〈極限の私〉がいる。〈何が自分を生きさ せているのか。何故に耐えているのか、生きる力の元はどこにあるのか、どうして自殺しないのかなど、不思議に自分を凝視しているのです〉
往復書簡とは「読む」と「書く」の往復でもある。おそらくお二人は、自身の手紙を書くことと同等の——もしかしたらそれ以上の 誠実さで相手の言葉を読んできたはずだ。ゆえに多田さんの言葉には石牟礼さんの言葉が溶け込み、石牟礼さんの言葉は多田さんの言葉と共鳴する。〈ゆたかな 沈黙〉は多田さんのものでもあり、石牟礼さんもまた自らの〈極限の私〉のまなざしを感じつつ多田さんに返信するのである。
2006年節分に多田さんが書き上げた第1信から、2008年3月に〈何とぞまだ死なないでいて下さいませ〉と石牟礼さんが締 めくくる第10信まで、お二人の言葉の数々は、生と死、苦しみとよろこび、生命と魂……さまざまな命題をはらみながら、二重奏として読み手の胸に響く。そ れは、老いを迎え、死を見据えたお互いのいのちが奏で合う言葉の魂——「言魂(ことだま)」の交歓なのだ。
◇
いしむれ・みちこ 27年生まれ。作家。ただ・とみお 34年生まれ。東京大名誉教授。
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