2008年8月5日火曜日

asahi shohyo 書評

ディズニー化する社会 [著]アラン・ブライマン

[掲載]2008年8月3日

  • [評者]橋爪紳也(建築史家、大阪府立大学教授)

■「懐かしい場所」へと変化した「異国」

 早いものだ。今年は東京ディズニーランドが開園して25周年の節目にあたる。ミッキーマウスとの出会いを楽しみに育った子供たちが、すでに社会で活躍している。

 当初私たちは、米国の本家そのままの環境にわが身を置いて、身近な「異国」を楽しんだものだ。しかしリピーター客が増加、独自の第2パークである東京ディズニーシーにも親しむにつれて、日本人にとって「懐かしい場所」として定着した。

 その影響力の強さには驚かされる。いまやショッピングセンターなどの設計ではテーマが不可欠だ。公共サービスに至るまで、愛ら しいキャラクターは欠かせない。表情をつくりながら接客する「感情労働」は観光業以外にも導入された。四半世紀のあいだに社会の隅々にまでディズニーラン ドで培われた方法論が浸透、日本人の生活様式や考え方も、すっかり「ディズニー化」した感がある。

 本書は、ディズニー・テーマパークの諸原理が、米国社会ひいては世界中に波及する過程を分析したもの。これまで同種の研究で は、アトラクションなどにあって歴史的事実を卑小化し、時に伝承や民話を無菌化する傾向を批判、「反ディズニー化」の立場をとる論調が少なくなかった。対 して著者は労働管理など経営の本質に踏みこみつつ、「ディズニー化」という現象を、まっとうに評価しようとする姿勢を貫く。

 面白いのは「マクドナルド化」との差異に関する指摘だ。生産現場と消費環境を合理化する外食産業から広がったビジネスモデルは 「マクドナルド化」と形容される画一化と均一化をもたらした。対して非日常的な経験の創出を目的とする「ディズニー化」はむしろ差異を生み出すと、いくぶ ん肯定的に解釈する。従来は同根とみなされがちだった双方が、実はまったく違う社会の針路を示しているということだろう。

 この仮説が果たして正しいのかどうか。20世紀の米国が生み出した強力な文化様式の行く末を、私たち自らが実験動物になって検証する途上にある。

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 The Disneyization of Society、能登路雅子監訳、森岡洋二訳/Alan Bryman 英国レスター大学教授。

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