2009年2月11日水曜日

asahi shohyo 書評

近世パリに生きる—ソシアビリテと秩序 [著]高澤紀恵

[掲載]2009年2月8日

  • [評者]南塚信吾(法政大学教授・国際関係史)

■王権はどのように都市に浸透したか

  ヨーロッパ史においては、中世都市と、産業革命および市民革命を経た19世紀の近代都市の研究は、かなりの蓄積を持つようになっている。とくに社会史が広 がった1970年代からの蓄積は著しい。しかし、16世紀から18世紀にいたる「近世」の都市の研究はそれに後れをとっていた。本書はそういうヨーロッパ 近世の都市の社会史で、それをパリという場で展開したものである。

 一般には、この時代のパリは「絶対王制の形成」期の都市として、王権が都市に浸透していくものと理解されている。しかし、「どのように」かという問題は解かれていない。王権が一方的に都市を支配していくというわけではないのである。

 本書によれば、都市パリには街区や教区を基礎にしたさまざまな人々の結合があった。これをソシアビリテという。これが都市の社 会的団体つまり社団を構成し、これに基づいてパリの人々は自前の秩序を築いていた。これが都市の自治である。王権はこの都市に直接の権力は及ぼしていな かった。しかし、ペストの流行、宗教対立、火祭り、貧民対策、治安の維持、清掃といった具体的な争点が出る度に、王権が都市の社団と対立したり、それを利 用したりしながら、都市の「公」に入り込んでくる。そして、18世紀のはじめには、都市の自前の自治は崩されてしまう。ここに近代都市の前提が作られてい くのだ。

 こうまとめれば簡単だが、事態は一進一退の過程であり、本書はこの過程を綿密な史料分析と、しっかりとした見取り図によって、説得的に解明していく。歴史研究というのは史料をこのように扱うのだという見本でもある。

 パリを素材にしたこの近世都市論が他のヨーロッパ都市にはどういう含意を持つのか興味あるところである。専門家以外にも理解が しやすいような話の進め方が欲しかったが、最近まれに見る一級の歴史書である。本書を読むと、都市の住民は都市の「公」に対してそれなりの責任があるのだ ということを改めて考えさせられる。

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 たかざわ・のりえ 55年生まれ。国際基督教大学教授(フランス近世史)。

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