2009年2月17日火曜日

asahi shohyo 書評

劇作家サルトル [著]山縣熙

[掲載]2009年2月15日

  • [評者]阿刀田高(作家)

■「自由の選択」思想と芝居との関係は

 ひどく懐かしい。

 かつてJ・P・サルトルはフランスの、そしてなぜか日本でも知性のシンボルであった。いつしか実存主義は構造主義の後塵(こうじん)を拝し、サルトルの名も遠くなった。

 「えーと『嘔吐(おうと)』っての、あったよなあ」

 「わかんねえんだよ『存在と無』なんか」

 「芝居は結構おもしろかったわ」

 本書のタイトルを見て感慨を覚える世代もあるだろう。

 フランスの作家は戯曲を書くことが多い。サルトルも10作品を残している。一般論として言えば芝居のほうが小説や評論よりとっつきやすい。芝居は庶民の娯楽と関(かか)わりが深いし、美男美女が舞台に立っているだけでも楽しい。

 学生時代にはずいぶんと下手くそのサルトル劇を見せられたけれど、サルトルの芝居には"よくできた"作品もいくつかあって、楽しみながら、

 ——こういうこと、言いたいんだ——

 と入門の道標となった。

 本書はサルトルの10編の戯曲について一つ一つ、形式、内容、状況に分けて解明したものである。大学の講義を基にして編んだものだから十分に学術的だが、けっしてわかりにくいものではない。

 サルトルの思想の中核をなすものは"自由の選択"である。目の前に文字通りいくつもの自由な道があり、人間はそれを選んでいく。これが芝居という形式とどう関わるか、著者の指摘は興味深い。

 そこには戯曲を読むことと芝居を見ることのちがいがある。前者ではト書きその他で登場人物がどういう人間かある程度決定され、 それが読者にわかっている。後者では登場人物はまず舞台に現れ、それから自分の役割を選んで決定していく。この構造はサルトルの思想にふさわしい。そこか ら見えてくるものがある。このほかにも著者は演劇であればこそわかりやすいものを逐一分析的に取りあげて、つきづきしい。サルトルは急に古くなったわけで はない。『キーン』など今でも上演価値のありそうな名作もある。文学も思想も、このまま消えてしまうのは惜しい。

    ◇

 やまがた・ひろし 38年生まれ。大阪芸術大教授。著書に『語る言葉 起(た)つ言葉』など。

表紙画像

劇作家サルトル

著者:山縣熙

出版社:作品社   価格:¥ 2,940

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