2009年2月20日金曜日

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佐紀陵山古墳の学会調査始まる 宮内庁管理の陵墓2例目

2009年2月20日11時1分

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写真日葉酢媛命陵に入って調査する研究者たち=20日午前10時すぎ、奈良市、森井英二郎撮影

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 宮内庁が、垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)陵として管理する佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳(奈良市)で20日、日本考古学協会など考古・歴史系15学会の代表による墳丘の立ち入り調査があった。歴代天皇や皇族を埋葬したとされる陵墓への立ち入りは、昨年2月の五社神(ごさし)古墳(神功皇后陵、奈良市)に次いで2例目。午後には明治天皇陵と皇后の昭憲皇太后陵がある伏見城跡の桃山陵墓地(京都市伏見区)に立ち入る。

 茂木雅博・茨城大名誉教授ら15人が、宮内庁の福尾正彦・陵墓調査官らの案内で墳丘に入り、最下段部を約2時間かけて調べた。観察だけで、遺物の採取や発掘などはしていない。

 佐紀陵山古墳は全長200メートルを超す前方後円墳で、3段の墳丘を持つ。4世紀後半から末ごろの築造とみられる。中世の盗掘記録などから、複数の銅鏡や多数の石製品を伴う石棺が竪穴石室にあったことがわかっている。桃山陵墓地は、宮内庁管理の近現代の陵墓地では考古・歴史系学会として初の調査となる。豊臣秀吉が築いた伏見城跡(16世紀)にある。陵墓そのものは調査せず、城跡の石垣の保存状態などを観察する。

 陵墓は関西を中心に天皇・皇后の188の陵と、皇子や皇女ら552の墓がある。宮内庁は「陵墓の静安と尊厳の保持のため」として一般の立ち入りを禁じている。だが、宮内庁が指定する被葬者の年代と推定される築造時期が一致しない個所が多く、1970年代以降、学会側が公開を求め、昨年2月に初めて学術目的の調査が許可された。

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